友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

暑さの中で失敗に凹む

2015年07月20日 18時06分09秒 | Weblog

 昨日は朝から井戸掘りだった。依頼主があらかじめシャベルカーで2メートルほど掘ってくれたので、楽に掘り進められると思っていた。ところが現場を見ると、前日までの台風の影響で周囲の壁が崩れ、水も溜まっている。とりあえず、溜まっている水を吸い上げ、落ちた土砂をもう一度シャベルカーで取り除いてもらったが、結果的にはこれが仇となった。再び穴に入り、塩ビ管を立て、周囲をシャベルカーで埋めてもらった。

 塩ビ管の中に一回り細い塩ビ管を入れ、これに水を流し込んで掘り進めるのだが、初めてすぐに石に当たって進めない。手で回して掘る道具に変えて掘ろうとしても、石が邪魔になって掘れない。シャベルカーで土をかき回してしまったために、塩ビ管の下にあったのだろう。諦めて場所を変えるより手がない。昨日は曇り空だったから、井戸掘りにはありがたい天候だったのに、全身が日焼けしていた。

 熱中症にならないようにとスポーツドリンクを飲んだが、2時間もすれば1本が空になる。それほど体が水分を欲しがった。水を使って掘る方法は足元がドロドロになるので、踏ん張りが効かない。年寄り3人には過酷過ぎる作業で、にっちもさっちもいかなくなってきた時はもう、ヘトヘトだった。私は心臓が破裂するかと思った。午後4時過ぎ、作業を終了し、道具を片付け、依頼主に状況を説明して終る。「ああ、疲れた」と言っていた先輩たちも声も出ない。

 家に戻ってシャワーを浴びて鏡を見ると、顔から首そして両腕さらに手が真っ赤になっていた。どんなに拭いても汗が噴き出して来る。冷房の効いた部屋で横になるとそのまま眠ってしまった。午後6時過ぎに起きて、孫娘が来るのを待つ。7月生まれの孫娘の誕生日プレゼントに「シルバニア・ファミリア」というオモチャセットを買ってあげる約束を果たすためだ。

 オモチャの専門店に行ったけれど、考えられない数の品物がある。6歳になった孫娘は、9千円台のセットと6千円台のセットの前でかなり迷っていた。値段のことも気になるし、今あるものとどのように遊ぶのかと思案し、結局6千円台の「お医者さんセット」に決めた。人形でひとり遊びをするところは母親である長女とよく似ている。長女が作り出す夢の世界を聞いていると天才ではないかと思ったが、きっと孫娘もそんな夢物語を作って遊ぶのだろう。

 家に帰っても、ブログを立ち上げる気力もなく眠り込んでしまった。

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雨が止んで、西の空に太陽が‥

2015年07月18日 18時21分19秒 | Weblog

 やっと雨が止んで、青い空が顔を出した。眩いばかりの日差しだ。急激に暑さが増してきて、じっとしていても汗ばんでくる。今日は次の井戸掘りの日だったけれど、あいにくの雨で中止となった。午前中、マンションに引っ越してきた女の子が、「部屋に何もないんです」と言うので、「要らなくなった物がたくさんあるの」と言って知り合いの家に連れて行った。彼女が欲しい物と、知り合いが要らない物とが一致した物を持って行った。

 要らない物を整理するのはなかなか出来ない。知り合いも自分の物ではなく、母親の物だから「持って行って」と言える。女の子は、必要のない物は「それは持っています」とか「要らないです」とハッキリしている。高価な湯飲み茶碗のセットやペアのコーヒーカップは持っていても損はないと思うけれど、「いいです」と断ってしまう。自分が気に入らない物をもらってもゴミになるだけと読んでいる。

 午後は福祉会館のホールで行なわれたコーラスを聴きに行った。昨日、案内の電話をいただいたが、「天気がよければ井戸掘りに出かけますが、雨なら聴きに行きます」と答えたので、たとえ雨が上がっても井戸掘りは中止になったのだからと出かけた。久しぶりにグループの面々を見て、「歳を重ねたね」と思った。歌が好きだからと続けて来たけれど、「もうそろそろ限界」と寂しいことを言う。

 ゲストに、彼女たちが応援してきたアンサンブルで歌う全盲の山田さんが出演し、さだまさし作曲の東北復興の応援歌『夢の轍』を歌った。彼は小学校の時に全盲になったけれど、山登りも好きで健常者と変わらない行動家である。大和塾でも講演してもらったことがある。前向きな生き方は多くの人に共感を生んだ。相変わらず声量は豊かで、聞き惚れてしまう。歌っている姿を見て気付いたが、右手にマイク、左手に点字の歌詞カードを持っている。歌詞カードを指で追いながらよく歌えるものだと改めて感心した。

 喫茶室で友だちとお茶していると、友人が福祉会館の南のビオトークで「今晩、ホタルを放つ」と、教えてくれた。家に戻ると、西の空に太陽が輝いている。きっと今晩はホタルの乱舞が見られるだろう。地区のスピーカーが盆踊りを行なうと告げている。明日は間違いなく井戸掘りになる。もう少し、頑張ろう。

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憂鬱

2015年07月17日 18時38分47秒 | Weblog

 台風11号は四国から中国へと進み、日本海に抜けた。けれども自転車で進むような速度のためか、まだ強い風が吹き、時々雨が降ってくる。昨夜は寝苦しかった。今年初めてエアコンをつけて寝たけれど、夜中に何度か目が覚めた。ベランダのゴーヤによる緑のカーテンの支柱はもう一度縛り直したが、東からの強い風を受けて大きく揺らいでいた。ネットが外れて支柱の棒が落ちることはないだろうか、ルーフバルコニーの植木鉢は大丈夫だろうか、そんな不安が眠りを妨げた。

 このところの心配事のためなのか、胃までキリキリと傷む。台風のせいだけでなく、安保関連法案が衆議院を通過したことも私を憂鬱にしている。民主主義は多数決で決まる。小学校の時から教えられてきたことだが、いつもなぜかしっくりしない。中学でも高校でも生徒会の仕事をしたけれど、絶対多数の生徒の意見は通らない。地方議会の議員になったけれど、圧倒的な数で押し切られてしまう。理屈を通して実現した提案もあるが、民主主義の多数決の定義を覆すことではなかった。

 衆議院本会議で自民党議員から造反が何人出るかと期待したが、反対や退席はゼロで、ふたりの議員が欠席した。欠席した村上誠一郎議員は党内で集団的自衛権の行使容認に反対していたから当然だが、もうひとりの若狭勝議員はどういう人なのだろう。加藤紘一さんの娘さんの鮎子議員は憲法9条の改正に反対を表明しているが、安保法案は賛成してしまった。ハト派で知られている河野太郎議員も賛成している。造反して、自民党公認を取り消されることが恐いのだろう。結局、政党とは自己保身の集団で、上意下達の組織なのだ。

 安倍首相はどんなことがあっても安保関連法案を成立させたいと固い決意で臨んでいる。たとえ参議院で採決に至らなくても、60日ルールを適応して衆議院で再可決させるつもりだ。圧倒的多数の自民・公明議員が後押しできる今しかチャンスはないと踏んでいる。民主主義は多数決で決めるのだから、法案が成立するのは確実だ。ますます憂鬱になる。何かいいことないのかと叫びたくなる。台風の風はまだ止まない。

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担任を非難するだけでは‥

2015年07月16日 18時34分23秒 | Weblog

 台風11号が近づいている。時折り、ザアーと雨が降ってくるが、止んで陽が差す時もある。風が強くなってきたが、雨は止んでいる。明日は小学校で1学期の終業式のはずだが、台風が来れば21日に延期になるのだろうか。18日から家族旅行の計画があれば学校を休むことになる。家の都合で学校を休んでいいのかということが昔は話題になったけれど、今時の人なら家の都合が優先だろう。

 学校は授業日数が決められているから臨時に休めばどこかで代わりを設けなくてはならない。児童・生徒が休む・休まないは家庭の都合で決めていいと私は思う。義務教育というのは親の務めであり政府の義務を言うのであり、児童・生徒は学ぶ権利があるのだから、休む権利もあるはずだ。我が家の娘たちは学校が大好きだったが、それは、娘たちが活躍でき評価してもらえたからだ。

 学校が地獄のような所と感じているなら、誰が進んで行く気になるだろう。いじめにあっている子どもたちには学校は恐怖の場であり、地獄の日々である。岩手県の鉄道自殺をした中学2年の男子も「死にたい」とか「死ぬ場所は決めてある」とか、担任との連絡ノートに書いている。多くの自殺した子どもは何らかのSOSを発しているが、それが周りには分からなかった。しかし、彼の場合は担任の目に留まっているから、彼は救いの手を待っていただろう。

 「担任だけを非難するのは酷な気がする」と言う女性に出逢った。学校の事件が発生すると、必ず「担任は何をしていた?」と非難が集中する。確かにこれだけのやり取りをしながら、どうして助けられなかったのかと私も思う。その反面で、ノートに書かれた担任の言葉から、何とか彼を不安やストレスから転換させようと考えていることが推測できる。ただ、思春期の男の子の心理が分かっていない気もする。

 「(彼の)笑顔が好き」という担任なら、一度はとことん付き合って話を聞いてほしかった。彼の家庭環境を知っている担任だからこそ、じっくり話を聞く機会を作ってほしかった。済んでしまったことは取り戻せないが、せめて全職員の前で経過を話し、何が不足したのか、どうすることがよかったのか、先生たちがみんなで話し合ってほしいと思う。先生も議員も、話し合うことがなさ過ぎる。

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『ブンナよ、木からおりてこい』を観て

2015年07月15日 18時35分24秒 | Weblog

 名演の7月例会は劇団青年座の『ブンナよ、木からおりてこい』。先回、私の市で友人たちが演じた作品なので、ぜひ観たいと思った。青年座の作品は俳優たちの声が大き過ぎてうるさく、舞台の演出も凝り過ぎていて、友人たちの作品の方が落ち着いて観ていられた。原作は水上勉氏で、子ども向けの物語である。主人公はトノサマガエルのブンナ。今居る所より、もっと広い素晴しい世界があるはずだとシイノキに登っていく。しかしそこは、トビが捕えたエサを置いておく所だった。

 トビに捕えられ傷ついたスズメ、モズ、ネズミ、ヘビが、悟り切ったようなことを言いながら、いざトビがやって来ると命惜しさに相手を差し出してしまう。土壇場では本性がむき出しになるわけだが、その醜さがテーマなのかと思った。「この世は弱肉強食なのだ。強いものが生き残る」というセリフもある。理屈ではなく、現実を生き抜くために、人は強くなければ生きていけないと、戦前の子どもに言い聞かせたのだろうかと作者の意図を考えた。けれども、調べてみると作品は1980年に発表されている。

 しかも、自衛隊員に蜂起を呼びかけた三島事件を意識した作品とある。ブンナが生きて戻ることが出来たのは、シイノキの天辺で傷ついて死んだネズミにウジがわき、羽化して虫となってブンナが食べることが出来たためだ。仏教の生命の連鎖を窺うことが出来る。生きていくため、カエルは虫を食べる、ヘビはカエルを食べる、トビはヘビを食べる。こうして命は次の命を支えていく。「命と命が繋がって、みんな生きている」と考えれば、感謝が生きる基本だと分かる。

 水上氏は三島事件をどのように意識していたのだろう。武力では何も世界は変わらない、命と命が繋がっているように感謝の気持ちを持って淡々と生きていきなさい。そう作品で答えたのだろうか。今、国会で安保関連法案が自民・公明党によって委員会で可決され、明日の本会議に上程される。「強くなければ、国は守れない」と自民・公明党は考えているようだけれど、世界はまだ弱肉強食時代なのか、これを変えていくのが政治なのではないのか。人の人としての生き方とは何だろう。

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佐世保の女子高生は医療少年院送致

2015年07月14日 19時06分59秒 | Weblog

 一気に夏らしくなった。緑のカーテンのつもりで育てているゴーヤが天上にまで届いた。カミさんは毎朝ゴーヤを眺め、余分な枝や葉を切り、伸びたツルはネットに縛り付けている。「そんなにかまったらいかんよ。何でも自然のままに」と言っても聞く耳はないようで、せっせと手をかけている。今日は東からの風が強く、ゴーヤはネットにしがみついて風を避けている。

 台風が近づいている。直撃なら、ルーフバルコニーで満開となっているサルビアや日日草が受ける被害は大きい。先回の強い風の時も、サルビアが3本、日日草が2本、痛めつけられて枯れる寸前まで追い詰められた。折れた枝を切り落とし、やっと回復しつつあるのに心配だ。「自然のままに」と思いつつも、手をかけて助けられるなら助けてやりたい。わずか68円でも命は長く生きさせてあげたい。

 2004年に佐世保市の小学校で6年生の女子が同級生を殺害した事件があった。仲良しのふたりだったが、ウェイブのやり取りから殺害となったもので、小学6年という年齢や首をカッターナイフで切りつけ、死ぬまで蹴ったりしていた残酷さが話題になった。その10年後、同じ佐世保市のマンションで高校1年の女生徒が同級生に殺害された。工具で殴り縄で首を絞め、その後首を切断した。残虐な行為なのに、「殺してみたかった」と述べている。そして翌年の2015年、名大生の19歳の女子学生が高齢の女性を殺害し、「幼い時から人を殺してみたかった」と言う。

 酒鬼薔薇聖斗にも共通しているのは思春期に家族に死去した人がいたこと、感情の起伏が激しいこと、小動物を解剖していることなどがある。しかも加害者は被害者と親しい間柄であったし、学業の成績もよく、両親も高学歴である。いったい何が彼女たちを殺人者へ追いやったのだろう。ホラー小説や漫画・映画を何度も見ていたことも要因のひとつなのだろうか。

 昨日、佐世保の16歳の女子に医療少年院送致が決定された。酒鬼薔薇聖斗と同じだ。時代が彼女たちを生んだのだろうが、いったいなぜなのだろう。自民・公明党は安保関連法案を明日、委員会で採決し本会議で可決し参議院に送りたいという。憲法学者が「法案は憲法違反」と述べ、地方議会が反対あるいは慎重にと決議しているのに、全く聞く耳を持たない。私はデモには参加していないが、法案は反対だ。そういう国民は多いと思う。

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「苦あれば楽あり」

2015年07月13日 20時15分34秒 | Weblog

 蒸し暑い一日だった。それだけでも気持ちが萎えるのに、井戸掘りが成功しなくてさらに落ち込んだ。良い日があれば、悪い日もあるさ。そんな風に生きてきたつもりだったけれど、上手くいかない日々が続くと意外に落ち込むことがよく分かった。ギリシアやイタリアそしてスペインなどの南欧の人々は「人生は楽しむためにある」と言い、「夜がくれば必ず朝がくる」「影があるのは光があるから」「別れは出逢いの始まり」「ピンチもあればチャンスもある」と極めて楽天的に受け止める。

 「苦あれば楽あり」と、物事はすべて表裏一体のワンセット。しかし、順番を逆にしてしまうと絶対に落ち込む。「朝がくれば必ず夜がくる」「光があれば影がある」「出逢いは別れの始まり」「チャンスの後はピンチ」と暗くなってしまう。物事はすべて表裏一体であったとしても、どう捉えるかでかわってしまう。南欧の人々のように楽天的に考えれば明日は今日よりももっとよい日になるだろう。鴨長明のように「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」までなら無常ですむが、『別れの磯千鳥』にあるように「逢うは別れの初めとは」となると無情に変わってしまう。

 このところ井戸掘りは成功していないのに、「この辺りならちょっと掘れば水は出るでしょう」などと先輩は気楽に言う。「出るとは思いますが、掘ってみないと何とも言えません」くらいの言い方にして欲しいと頼むと、「イヤに慎重だねえ」と言われてしまった。過剰な期待を持たせて、水が出ればよいが、出なければかなり落胆させることになる。「後ろ向き」かも知れないが、それで水が出ればその時は大いに喜べばいいと思う。いずれも相手のことを思ってのことだが、その表現はいろいろだ。

 言葉は重すぎても軽すぎても相手を傷つけてしまうことがある。慎重になり過ぎると伝わらない。相手がどういうタイプかによっても受け止め方は違ってくる。ユーロ圏首脳会議でギリシア支援が合意されたという。どんな言葉が行き交い、合意に至ったのだろう。「恋愛なんてめんどくさい」という人は何が大切なのだろう。こんなこと考えてもどうにもならないのに‥。

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ギブアップ

2015年07月12日 18時33分31秒 | Weblog

 天気が良くなったので、昨日、今日と連続して井戸掘りに出かけた。余りの暑さに根を上げながら、掘れないかと頑張った。初め掘ったところは固い粘土層に当たったみたいで、どんなに掘っても1ミリか2ミリくらいしか進まない。これではもうお手上げだと思うけれど、先輩は「場所を変えてみたらどうか」と言うので、今日、再び場所を変えて掘ってみた。

 先回と同じくらいの深さまで、いや、もう少し浅いところで再び固い層に当たった。確かに根気強く、たとえ1時間に1センチか2センチでも掘れたなら、ヨシと考えるべきなのかも知れない。けれど、狭い穴倉の中で足場も悪く、老人が3人、どんなに頑張っても知れている。そう思って、今日は40代の若手を連れて行ったけれど、彼は穴倉に入って掘る道具を回したけれど、「もうダメです。ギブアップです」と言う。

 私たちが手で掘ることに興味を持ち、どんな風に掘っているのかと自分も体験するつもりで来たけれど、「キツイっですね」と弱音を吐く。弱音ばかりか、飲んだものを吐いてしまう姿を見て、これは無理強いは出来ないと思った。炎天下での肉体労働は慣れない者にはきつすぎる。依頼主に何時までも期待を持たせるわけにはいかないので、「私たちの力では限界であるとはっきり言ってください」と先輩に頼む。

 すぐ、ギブアップしたのでは面子がないと言っていた先輩もここまで頑張ったのだからと腰を上げ、依頼主に説明をする。「もっと深く掘る機械を持っていないのか?」と依頼主は言う。けれども私たちは手掘りでやってきた。道具も簡単なものしかないし、それも手作りに近いものばかりだ。業者のような機械を揃えるほどの資金もないし、保管場所もない。「私たちが知っている業者に見積だけでもしてもらい、その金額でどうするか考えてください」と依頼主に話す。

 7年前に井戸掘りを始め、何箇所掘ったのか、キチンと数えたことはないけれど、ギブアップした箇所も20件近いと思う。やってみて、井戸掘りは相当に難しいことが分かった。それだけに、水脈に当たり、水を汲み上げることが出来た時は嬉しくて、結局その喜びがあるから続いている。それでもやはり歳をとった。もうヘトヘトだ。

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『少年Aの父母の手記』を読んだ

2015年07月10日 18時58分39秒 | Weblog

 雨が止んで、ちょっとだけ陽が差してきた。この様子なら明日は井戸掘りになりそうだ。固い粘土質の層に当たってしまい、掘り進めることが難しい。それに、やはり体力は極端に落ちた。一番若い私がもう力が入らないのだから、私よりも5つ年上の先輩たちがすぐ息が切れてしまうのも無理はない。明日、「掘れない」と告げても、このジイちゃんたちでは無理だと納得してくれるだろう。もうひとつ頼まれているが、こちらは濃尾平野だから掘れない地層ではないので期待したい。

 『少年Aの父母の手記』を読んだ。続けて少年Aが書いた『絶歌』も読んだ。少年Aと私に共通するところもあるが、きっとそれは多くの人に共通するところだろう。彼が特殊な気質だとしても、多くの人はそれを成長の過程で落としていくか、完璧に隠していく。彼はその特殊な気質を幼い時から隠してしまい、隠し通せてしまった、そこに悲劇が生まれた。それは母親の手記によく表われている。

 「Aは人に必要以上に気を遣うなど、繊細でやさしいところのある子でした。すぐ人を信じて傷つきやすく、臆病で純粋すぎる。根が正直なので、学校でも先生に思ったことをそのまま言うので、不器用で心配になるほどでした」。母親は溺愛することが親の務めと信じて生きてきた。だから、「親として子のことはいいことも悪いことも全部知っておきたい」と言っているように、全部知ることなど出来ないのに知っているつもりでいる。

 小学校でAが弟の友だちを殴った時、中学生になって親しくしていた同級生を時計を巻いた拳で何度も殴った時も、「理由があったんだろ」と諭している。母親は子どもの幼い頃、Aが弟たちに暴力を振るうので厳しく諌めるが、Aが砂場で遊んでいて玩具を他の子に取られても「返して」と言えないので、「取られたら、取り返しなさい」とけしかけている。小学校高学年で万引きしたり、ナイフで自転車のタイヤを切りつけたり、何度も学校に呼び出されているが重要なことと思っていない。だから、庭で猫を殺して解剖しているのに、気が付いていなかった。

 中学の時、同級生をいじめて注意を受けたのに、「Aと一緒に遊ばないようにと先生が言った」と聞いて、母親はすぐ学校へ行き、「なぜ、そんな注意をしたのか、理由を教えてください。私が納得できる理由がないなら、Aに謝ってほしい」と詰め寄っている。母親は「お母さんが全部、ちゃんと守ったるから」と言ってきたが、それが支配であることに気付いていない。溺愛すれば子どもが親の思うように育つと思うのは幻想だ。我が子であっても、個人なのだ。

 明日は夏祭りの打ち合わせをするのでブログは休みます。

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岩手県で中学2年生が鉄道自殺

2015年07月09日 17時56分43秒 | Weblog

 岩手県で中学2年の男子が鉄道に飛び込んで死んだ。「死ぬ場所は決めています」と担任へ提出する生活記録に書いていた。校長は「担任から何も聞いていない」と述べていた。学校の対応、担任の指導が問題になっている。男子生徒の写真がテレビに映し出されていたけれど、見るからにおとなしく優しそうだ。テレビ局はすぐにいろいろと調べる。両親は離婚し、母親と妹は別のところで暮らしている。彼も母親と一緒にいたが、父親と祖母を気の毒に思ったのか、父親の元に帰っている。

 それが彼の意思なら、気持ちの優しい子であることは間違いない。中学校は大人への第1歩で、授業は難しくなるし、人間関係も厳しくなる。不登校になる子はこうした環境に耐えられないためだ。写真で見る彼は、幼さが残るから身体も大きい方ではないだろう。学校でいじめに遭い易いタイプだ。相手が抵抗しなければ、たとえ抵抗してもその力が弱ければ、いじめる側はエスカレートしていく。弱い者をいじめることでウサ晴らしをしている連中は強い力には弱い。

 彼は1年の時も、2年になった時も、女性の担任だった。「もう限界」とか「死にたい」とか伝えても、「誰にでもあること」「頑張りましょう」とか励ましている。男の子のいじめの心理や、いじめられている男の子の心の動きまで気が回らなかったのだろう。たぶん、いじめた側の男の子たちは女教師を舐めていたと思う。自分が指導できないのであれば、同僚に相談するべきだったのに、この学校にはそういう習慣も空気もなかったようだ。

 担任がもっと早い段階で手を打っていれば、彼は死なずにすんだ。そうした点で学校には責任がある。いじめはなくならないと言う人がいる。こんな事件が起きるとそうかも知れないと思うけれど、最小限のところで食い止めることは出来るだろう。新聞にも出ていたけれど、無戸籍の子どもがいることや、学校へ行けない子がいることも解決しなくてはならない。貧しさの連鎖を断ち切り、子どもたちが活き活きと暮らせる社会を創ることは大人の責任である。

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