友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

結婚、家庭の変化

2015年07月08日 18時51分14秒 | Weblog

 大和塾の活動が広く知られるようになり、ひょんなことから市の男女共同参画推進事業実行委員を引き受けることになった。行政に協力することを拒む理由もないし、何よりも友だちに委員を押し付けておいて、彼女が夜ひとりで出かけるのを放っておくわけにはいかないから、運転手のつもりで一緒に出るようにしてきた。実行委員会と言いながら、実際は行政が掲げる男女推進事業の一部を担っているに過ぎず、大方は3月に行なっているフェスタをどのように行なうか最大の課題である。

 今では男女共同参画などと言われているが、かつては男女平等と言い、性による差別をなくすことが主眼だった。安倍政権は、女性が輝く社会を掲げているので、各自治体はその具体化に取り組まなくてはならない。職場や社会における性差別をなくしていくというより、男性も産休や育休を取りなさいとか、家庭では家事を分担しましょうとか、学校では男女混合名簿にしなさいというようなことが取り組まれている。家庭科の授業では男の子も料理や裁縫や掃除・洗濯などを学ぶというが、私の小・中学時代もそういう授業だった。

 どのような家庭が理想かはおそらく人によって違うだろう。ましてや子どもを生むか生まないかは政府が口に出すことではない。今、若者たちは結婚しない風潮にあるが、やたらと「結婚しなさい」と押し付けることもどうかと思う。家庭とか、結婚とか、形が変わってきている。いや、考え方が変わってきた。アメリカ合衆国は同性の婚姻も認めた。どうも私たちは、結婚は異性とするもの、家庭は父がいて母がいて子どもがいると考えてきた。愛し合う者同士が結びつくことが結婚なら、同性であってもいいわけだ。

 友だちが、「ひとり暮らしの人のために、恋人リースというものがある」と教えてくれた。「一緒に食事に行ったり、映画を観たり、散歩したり、お話したり‥でも恋愛はダメなのよ」。ひとりの方が気楽でいいと言いながらも、やっぱり寂しくなる。そんな時は相手をしてくれるというシステムだ。結婚で縛られるのはイヤという人にはちょうど良いのかも知れないが、まだ古い私はちょっと寂しい気がしてしまうが、きっとそうなっていくのだろう。

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七夕の夜は二胡の演奏会

2015年07月07日 22時16分48秒 | Weblog

 名古屋城の能楽堂で行なわれた二胡の演奏会に行ってきた。張濱さんとその娘の日妮さんによる『親子で贈る二胡七夕のゆうべ』である。張濱さんは名古屋芸術大に留学していたこともあって、この地方になじみが多い。知り合いが張濱さんの後援会に入っていたことから、初めはみんなで出かけた。二胡の演奏者として活躍する張濱さんはこの地方では知らない人がいないくらいの有名人になっていった。

 初め見た時はまだ可愛くて小さな女の子だった日妮さんも今では高校2年生。アメリカの学校で学んでいるという。夏休みで日本に帰って来たけれど、来年は大学進学の年、「よい知らせを持ってきたい」と初々しく話す。背が高く、細身の身体で、指がとてもきれいだった。お父さんよりも日妮さんの演奏の方が澄んだ音色のように感じた。女優になってもいいような女性で、「きっとお父さんよりも有名になるわよ」と、一緒に行った女性は話す。

 張濱さんはあいさつの中で、「日本と中国は兄弟の国。もっと仲良くなりますように」と言った。音楽に国境はないと昔から言われるけれど、それは人には国境はないのに、人の政府が勝手に線引きをしているためだ。確かに肌の色、顔のつくりなど、人には違いがある。言葉はどうしても地域に縛られる。にもかかわらず、音や絵や物語は共感させる何かがある。中国の人が日本で活躍しているように、世界中で世界中の人が活躍している。芸術の分野だけでなく、スポーツや料理やあるいは労働で貢献している。

 ギリシアの国民投票はEUの緊縮案にNOと答えた。財政破綻がどういう結果をもたらすのか、EUもギリシアも分からないようだ。どんどん国境という枠を超えて、出て行く人もいれば入って来る人もいるだろう。世界はますます多様化して、そのうち国境など意味のないものになっていくだろう。今日は七夕、また今年も曇り空だ。天の川が見えないのは、誰かが嫉妬しているからだろう。早く会えるようになるといいね。

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楽天的でなければ面白くない

2015年07月06日 18時14分40秒 | Weblog

 女子サッカーの『なでしこジャパン』、残念ながらアメリカに勝てなかった。4対2になった時はひょっとしたら同点になり、延長戦でも決着がつかなくてなどと夢見た。結局、試合開始の前半に4点も入れられたのが痛い。友だちは何でも自分によい方に解釈する人で、「後半だけ見れば2対1で勝っている。いい試合だった」と言う。楽天的な人だから井戸掘りをしていても、「100件ほど掘ってきたから分かります。水は出るでしょう」と、何を根拠にそんなに自信が有るのだろうと思うくらいの言い方だ。

 「お天気はいいだろうか?」と言えば、必ず「大丈夫!」と答えるが本当に当たるから不思議だ。それでも今日のように、作業したくないと思うような時に少々の雨が降ってくると、「作業できないから止めましょう」と誠に都合がいい。濃尾平野と違って尾張の東部は丘陵地で粘土層がつながっている。こういう地質のところは私たちのような手掘りでは無理なのだが、「井戸は掘ってみないと何とも言えません。水が出れば、いい水でしょう」と期待を持たせる。

 自信を持つことは大事なこと。自信がなければ人に勧めることも出来ない。営業していた時は商品がいかに価値のあるものかを自信満々に説明していただろう。それでいて時々、ビックリするくらい正直なことを成り行きでしゃべってしまう。我が身の正当性や自慢話のつもりだろうが、わざわざ何も知らない相手に話さなくてもいいのにと思うほど根っから正直者である。すぐ傍に井戸があるというので、どのくらい掘ったのか聞きに行ったところ、「70メートル」と言われて途端に元気をなくしてしまった。

 依頼主の奥さんも確かそんな話をしていたのに、その時は聞く耳を持っていなかったようだ。さて、どうやって撤退するか、彼がどう説明するのか、ちょっと心配になる。「正直に言えばいいのです」と言うけれど、昨日までは「井戸掘りは我慢比べみたいなもの。諦めないことが一番肝心」と説明していたことと矛盾しないのだろうか。けれど、矛盾だろうと、常に楽天的に都合よく考える、このスタイルに私たちのグループは大いに助けられた。いつも「物事、楽天的でなければ面白くないですよ」と叱咤激励されてしまう。

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久しぶりの井戸掘りでへとへと

2015年07月05日 19時53分29秒 | Weblog

 今日は久しぶりに井戸掘り。久しぶり過ぎて、今、身体が痛くて仕方ない。先日、場所は確認した。その時、埋め立てた土地だったので、シャベルカーで埋めた土の分だけでも掘ってくれれば助かると話した。そうしたら3メートルほど、掘ってあった。ありがたいことではあるが、既に水が30センチ溜まっている。これを汲み上げないと作業が出来ない。用意したポンプで吸い上げるが、底は小石交じりの粘土層だった。

 穴倉は狭いからふたりが入って作業するのがやっとのことだった。初めの粘土層は比較的掘りやすかった。用意した150パイの塩ビ管を立てて周囲の壁の崩壊を防ぎ、その中を掘り進めるけれど、なかなか思うように進まない。根気比べだと分かっているつもりでも、掘り進まないとイライラしてくる。たとえ1時間に10センチでも掘れるなら希望があるが、1時間やっても5センチとなると、たった5センチの差なのに、ダメなのかと思えてくる。

 そんなこんなで、悪戦苦闘しながらも何とか60センチほど掘れたから、地表からは約3メートル60センチほどということになる。この硬い粘土層がどのくらい続くのか不安だけれど、やるしかない。それで張り切った結果、へとへとになってしまった。明日の天気予報を聞くと、今日と変わらないようなので、続けて明日も井戸掘りをするが、もう少し若ければと思わずにいられない。けれど、みんな私より年上なのに頑張っているのだから、若い私も頑張らなければならなくなる。疲れた!

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言葉は面白い

2015年07月04日 19時31分49秒 | Weblog

 言葉は面白い。この辺りの方言に「づつない」という言葉がある。「手の施しようがない」というような意味で使われる。その語源は「術がない」だったとは知らなかった。準備しておくことをこの辺りでは「まわす」と言う。「ごはん、まわしといて」といえば、ご飯の準備をしておくことだが、「まわす」が「根回し」からきているとは知らなかった。「かんこうしておいて」という言葉もよく聞く。よく考えておくという意味で使うけれど、秀吉の手紙に「勘考するように」とあるそうで、文字を見ればなるほどと思う。

 名古屋で出版社と古書店を経営する舟橋武志さんは独学の郷土史家だ。私が初めて舟橋さんと出会ったのは、彼が主催した小牧での古墳巡りだった。尾張の歴史を丹念に調べ上げていた。金にならないことをよくまあやっている人だと感心した。大和塾の講師探しの時、ふとどうしているのだろうと思った矢先に、中日新聞で舟橋さんを見つけた。名古屋弁について、講演している記事だった。早速、尋ねて行き、大和塾第44回市民講座の講師を引き受けてもらった。

 舟橋さんは岩倉の生まれ、祖母は西春の人。3世代同居の大家族だったというから、尾張弁の中で育ったのだろう。それぞれの地域にそれぞれの言葉が存在していたが、国が統一されれば言葉も統一される。それでも明治になる前は、各地に大名がいて統治していたから、地方独特の言葉が存在した。薩摩藩などは密偵を見つけやすいので、薩摩言葉を大事にした。書き言葉は同じでも話し言葉は全く違った。それではダメと考えた明治政府は全国統一の国語を確立した。

 その過程で方言の研究もされたようで、舟橋さんは柳田国男の「方言周圏論」を紹介した。京都の言葉が長い時間をかけて地方へと広がったという説である。だから意外にも尾張と同じ言葉が岡山にあったりする。また江戸時代の国替えで言葉が換わったり、参勤交代で江戸の文化が地方へまた逆の場合もあって、言葉は留まるよりも伝播していった。今日の講演にはなかったけれど、江戸文化を象徴する花魁ことばも、意思疎通を図るための共通語であったという説がある。

 なるほど言葉は面白い。

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思春期

2015年07月03日 19時20分50秒 | Weblog

 ペースメーカーチェックのために名古屋赤十字病院へ行ってきた。半年に1回の検査だけれど、病院でしなければならないことなのかといつも思う。再来受付をすまし、検査センターで心電図検査を受ける。心電図検査は10秒くらいで終る。今日は看護師さんがきれいな女性だったので、来たかいがあったけれど、こんな短い時間で大丈夫なのかと心配になる。

 循環器内科の前で名前を呼ばれるのを待つ。待ち時間を過ごすために文庫本を持っていくが、結構読める。名前を呼ばれて中に入るが、先生の前に座ることなく「ベッドに横になって」と言われる。技師と思われる若い男性が聴診器のようなものを左肩に置く。ズルズルとすべり落ちてしまうので、「服を脱ぎましょうか」と言うが、「いや」とか何か言って、そのまま計器に目をやり数字を読み上げていく。

 それが終ると、「はい、いいですよ」と言う。私が黙っていると医師が私を振り返り、「特に有りませんから、半年後に来てください」と言う。「時々、左の乳の辺りが痛い時があるのですが‥」と聞きたかったけれど、どうも質問することがヤボな気がして辞めた。何か異常があれば言うだろうし、言われてから考えればいい、そう思うことにした。生きられるだけ生きられればいい。手術したり、薬漬けになって生きたいとは思えない。

 地下鉄も電車も、乗っている人たちはみんなケイタイを眺めている。イヤホーンで聞きながら忙しく指を動かしている人が多い。何もせずにボォーとしているのは私のような年寄りだけだ。ジロジロ見るのは失礼だと思い、読みかけの文庫本を取り出して読むが、車内の女性たちが気になって時々視線がそちらを向いてしまう。夏だから女性たちはナマ足をむき出しにしている。キレイな形の足が多い。

 小学校男の子が前に座った女子大生の露わな太ももを見ていた。ふと、思春期を迎えた酒鬼薔薇聖斗はなぜ異性に関心がなかったのだろうと思った。私の知り合いで学校に行かず部屋に閉じこもったままの子がいるが、彼の性への関心はどうなのだろう。私の中学1年の時は、友だちとエロ雑誌を回して見ていた。恥ずかしさと罪悪感があったけれど、今思えば極めて正常な思春期だった。

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なでしこ決勝戦へ

2015年07月02日 18時05分32秒 | Weblog

 サッカー女子ワールドカップ大会の準決勝戦を見た。今朝8時から試合開始で、初めはちょっと押され気味だった。イングランドの選手は身体も大きく、走るのも速く、足も長い。なでしこのパスが通らない。イングランドの長いパスに冷やりとする。前半の半ばに、なでしこにペナルティキックのチャンスがやって来た。キャプテンの宮間選手がゴールを決め、一気に盛り上がった。これで優勝決定戦に進めると思った。

 ところがその直後、今度はなでしこが反則し、イングランドにペナルティキックを与えて、1対1となった。後半戦も互いに点が取れない。延長戦になるのかなと思っていた時、思わぬチャンスがやってきた。長いパスが通って、なでしこがイングランドのゴールへ向かう。相手はふたりで押さえ込もうとする。イングランドの選手の方がわずかに足が出て、ボールをキーパーに返そうとした。

 こういうことってあるのか。ボールは高く、ゴールの枠に当たった。イングランドの選手が日本のゴールに向かって蹴った時は、枠に当たって外に弾かれていたのに、守りのために蹴ったボールは枠の内に落ちた。ウオンゴールだ。これが決勝点となって、なでしこは決勝戦に進めることになった。ウオンゴールほど悲しいものはない。イングランドの守りの選手は泣き崩れていた。監督はじめ選手が集まってきて慰めていたけれど、本人は地獄の苦しみだろう。

 痛快な勝ち方ではなかったけれど、勝ちは勝ち、なでしこの選手たちは大喜びだった。古参の澤選手の目にも涙があった。「澤選手にすれば、みんな子どものようなもの、活躍が嬉しいのよ」とカミさんは言う。澤選手は先輩だが、お母さんではないから、そんな風に言うのは可哀相じゃーないの。それに母親は子どもの活躍を喜ぶけれど、子どもにとってはプレッシャーということもある。

 「少年Aの父母の手記」を読んでも、下重暁子さんの『家族という病』を読んでも、互いを知り合うことは難しい。良かれと思って行うことが、相手には伝わらないばかりか重りになる。スポーツのチームプレイならアイコンタクトで伝わるのに、どうして人は心を伝えることが上手く出来ないのだろう。伝わって当然という思い込みが災いしているのだろうか。

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新幹線で焼身自殺した男のこと

2015年07月01日 18時12分16秒 | Weblog

 新幹線の中で男が自殺した。71歳だった。エッ?じゃー私と同じ年齢じゃーないか。自ら死ぬのは、生きる希望がなくなったのか。それにしても、なぜ新幹線の車輌を死ぬ場所に選んだのだろう。たとえ一時でも自分の名前を世間に知らせたかったのだろうか?テレビも新聞も男の名前を報じている。同級生や故郷の縁者は、思い出してくれたかも知れないが‥。

 自ら命を絶つのであれば、もっと人知れず行なうべきだろう。誰も来ないような草原や河原など、他人を巻き込むことなく死ぬ場所はいくらでもある。自らガソリンを身体にかけ、「危ないから逃げなさい」と言ったというから、他人を巻き込むつもりはなかったのだろう。いったいなぜ彼は新幹線で焼身自殺を図ったのか。新聞やテレビでは、「35年間年金を払ってきたのにこれでは暮らせない」と愚痴をこぼしていたという。

 年金に不満があるのであれば、国会か厚生省の前で自殺した方が効果的だっただろう。どこが故郷か知らないが、新幹線に乗って、一歩でも故郷に近づきたかったのかも知れない。ひょっとしたら、集団就職で都会に出てきたものの、何かの都合で職を転々としなければならなかったのか。それは本人の責任だと人は簡単に言うけれど、努力が報われる人もいれば努力が実らない人もいる。真面目に生きていれば幸せになれる訳でもない。

 真面目に、努力して、精一杯に生きてきても希望に辿り着けない人もいる。それでも人は黙々と歩み続ける。そして普通に生きることが苦にならなくなる。なのに、男はどうして死を選んだのだろう。しかも、新幹線の中で焼身自殺をすれば、多くの人に迷惑がかかると考えが及ばなかったのだろうか。男がどんな人生を歩いて来たのかと想像してしまう。

 小学校のクラス会を開いてくれた友人が、「こんな写真が出てきたけれど、これが第1回のクラス会だろうか?場所はどこだろう?」と、写真を添付したメールを送ってきた。早速自分のアルバムを見たけれど、同じ写真はなかった。子どもの時から高校を卒業するまでのアルバムを眺めていると、遠い昔が思い出される。どんな毎日を送っているのだろう。もう、今年の半分が過ぎてしまった。

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