友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

谷岡学長に落胆する

2018年06月15日 17時10分41秒 | Weblog

 

 デイゴの花が咲いた。沖縄県の県花で、この花がよく咲く年は台風が多いと言う。我が家のデイゴは沖縄で買ったものではなく、日曜日の大河ドラマ『西郷どん』の舞台、鹿児島で思わず買ったものだ。まだ、島唄が流行していない時で、なんとなく「恋の歌」にふさわしい思いがして買ってしまった。

 デイゴの花言葉は、「愛・生命力・活力」とある。沖縄では年中青々と生い茂っているのかも知れないが、我が家のデイゴは、冬には完全に葉を落とす。毎年、もう来年は芽が出てこないのではと思うほど枯れてしまうのに、5月になると芽がどんどんと伸び出してくる。花はマメのようできれいではないし、風が吹くとボタボタ落ちて掃除が大変だ。

 それでもデイゴが青い空に大きく伸びてくると、いよいよ夏だと感じる。インターネットでこのブログのタイトル『友々素敵』を見たら、「タニオカクニコのブログ」が載っていた。私はこの人に票を入れたこともあり、国会での出来事を記したブログを読んでいた。ベ平連の支援を受けて参議院議員になった中山千夏さんを彷彿とさせたからだ。しかし1期で辞めて、至学館大学の学長に専念していた。

 ところが、レスリング部の栄監督のパワハラ問題が浮上した時の、谷岡学長の会見を見て驚くと共に落胆した。「栄は何のパワーもない人間です。パワーのない人間がパワハラが出来ますか」と、訳の分からないことを言う。学長がこんなことでいいのか?この人は問題の本質が分かっていないと思ったら、今度は「学生が望むので栄氏を監督に再任する」と言う。日大の学長もひどかったが、全く同じレベルだ。

 誰でもそうかも知れないが、結局は自分ファーストだ。自分にとって都合が悪ければ、見向きもしない。権力のある人ほど他人への思いやりに欠ける。さて、もうすぐ孫娘が3人揃ってやって来る。忙しくなりそうだ。

 

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広げていって欲しい

2018年06月14日 18時41分30秒 | Weblog

 「また来るからね」と姉の肩に手を置いて言うと、「もう、来んでいい」と姉は言う。「へそ曲がりなこと言ったらダメだよ」と言い返すと、「フン!」という仕草を返してきた。姪っ子が「会いに行くと嬉しいそうなのに、帰る時はすねる」と言うから、そんな姉なりの表現なのだろう。しかし、かなり弱ってきていることは確かで、別れの時が近づいてきているのかも知れない。

 明日の夜から、仙台の次女と4歳の孫娘が、さらに次女のダンナも出張を組み込んで、我が家にやって来る。バラや夏花の植木鉢を体裁よく並べ、孫娘がルーフバルコニーで遊べるように整えた。土曜日の朝は、ルーフバルコニーで大人たちにコーヒーを、子どもたちに牛乳を飲ませてあげたい。いとこが来るというので、長女のところの小3の孫娘は一緒に泊まると張り切っている。ただし、23歳の姉と一緒に泊まることを望む甘えん坊である。

 東京都目黒区の5歳の女の子が餓死したアパートの前に、全国から人々がやって来て、お供え物をしている様子がテレビで放映されていた。皆さん口々に、「かわいそうで」「助けてあげられなくて」「とっても悔しい」と言う。優しい人々がこんなに多いのに、どうしてあんなに残虐な悲劇が生まれてしまったのだろう。豊かさの影に何かが潜んでいるような気がする。

 野田洋次郎さんの『HINOMARU』を私は軍歌とは思わないが、震災に遇っても負けないで前向きに生きていく「日本」の姿を歌ったのに、日本の若者はそんな程度かと落胆してしまう。私はジョン・レノンの『イマジン』の方が好きだ。私の心に響く。「想像してごらん 国境なんて存在しないと そう思うのは難しいことじゃない 殺す理由も、死ぬ理由もない (略) 想像してごらん すべての人々が平和のうちに暮らしていると」。

 仲間をつくる、友だちをつくる、と広げていって欲しい。なのに、身近な者だけで固まろうとする傾向にないだろうか。「日本」にこだわる必要はない。「日本」に固まろうとすると、見解の違う人を排除する方向へ進むことになる。5歳の女の子を痛む気持ちを、さらに多くの不幸な子にも向けて欲しい。「自分だけ」に留まらずに。

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せっかく良いことをしたのに

2018年06月13日 17時34分38秒 | Weblog

  街路樹の枝は揺れていないのに、我が家のルーフバルコニーには相変わらず強い風が吹きまくっている。空は秋のように青く澄み、雲は遥か遠くの山にしかない。15日にやって来る4歳の孫娘に、「きれい」と言ってもらいたくて鉢植えの花たちを育ててきたが、2日間も続く強風のためにせっかくの花が痛んでしまった。

 うまくいかないことからなのか、ふと、新美南吉の『ごんきつね』を思い出した。私が小学生の頃の教科書には無かったが、今では定番となっている作品だ。小学4年の国語で学習するという。新美南吉は知多半島の出身で、安城の女学校の教師だったので、私の母と共通するところがあり、「ごんきつね」の住処の描写は母の実家の風景と似ている。

 きつねの「ごん」はまだ子どもで、親は亡くなったのか1匹で暮らしている。たまたま、母と子で暮らしている「兵十」が、川でウナギを捕らえているのを見た「ごん」は、そのウナギを横取りしてしまう。いたずらのつもりだったのに、「兵十」の母親の葬儀を見て、「兵十」は病気の母親に食べさせたかったのだと知る。

 自分と同じようにひとりぼっちになった「兵十」を慰めようと、魚売りのイワシを盗んで「兵十」の家に投げ込むが、「兵十」は魚売りに「盗人」と言われて殴られてしまう。そこで「ごん」は栗やマツタケをせっせと「兵十」の家に届ける。ところが家に入った「ごん」を見つけた「兵十」は、またきつねが悪さをしに来たと思い、鉄砲で撃ち殺してしまうが、そこに栗やマツタケがあったので、持って来ていたのが「ごん」と気付く。そんなストーリーだったと思う。

 せっかく良いことをしたのに、いつも裏目に出てしまう。そんなことはよくある。結果はどうであれ、相手のために行ったのならそれでいい。私は、「ごん」も「兵十」もひとりばっちという点がポイントのような気がする。自分を受け入れてくれる相手があれば、きっと生き抜いていけるだろう。恩返しというより孤独がテーマだったのではと思ってしまう。

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人類らしい第一歩を踏み出した日

2018年06月12日 17時30分38秒 | Weblog

  朝から台風並みの強い風が吹いていて、午後にはルーフバルコニーの植木鉢が1つ、北からの風を受けて倒れた。風が強いので、窓を開け、直しに行くことも出来ない。我が家はマンションの上層にあり、西側にルーフバルコニーがあるから、風をまともに受けてしまう。我が家は大荒れの天気の中だが、今日は「歴史的な日」となったようだ。

 北朝鮮の金委員長とアメリカのトランプ大統領が左と右から同時に出てきて、真ん中で硬く握手を交わした。トランプ大統領は「最初の1分で分かる」と言っていたが、金委員長を「話の出来る男」と見定めたのか、ふたりで廊下を歩く時も笑顔を交わし、入室する時は右手を差し伸べ、左手で金委員長の脇に手を置く親密さだった。

 米朝がどんな風に「朝鮮半島の非核化」を進めるのかと、世界中が注目している。どのような展開になろうとも、確かに今日は「歴史的な日」となった。世界を見れば、未だに紛争は絶えないが、「殺し合う」ことより「話し合う」ことが選ばれるようになってきたのだろう。人類はそれぞれが生き残るために、「殺し合ってきた」けれど、ようやく「人類らしい第一歩」を踏み出したのだ。子や孫のためにも嬉しいことだ。

 ロック歌手の野田洋次郎さんの作った『HINOMARU』がネット上で話題になっている。歌詞を見て、野田さんは何歳なのだろうと思い調べてみた。32歳、なるほど若い人の中には母国への愛着をこのように感じるのかと思った。彼自身が「戦争は嫌いだし、賛美する気は全くない」と言っている。それでも日本は「日出ル国」である。「日の本の旗の下、前に向かって」と鼓舞したくなるのだろう。

 朝鮮も日本も中国も、アジアは農業の国。自然の恵みを受け、みんなが協力することで生き残ってきた。飢饉に合っても、みんなで助け合ってきた。もちろんそんな美しい歴史ばかりではないが、「融和」を大切にしてきたから生き残ることが出来たはずだ。これからもそう願いたい。

 昨日はどうして2回もアップしてしまったのか?削除するにはどうしたらよいか、誰か教えてください。

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新幹線殺人事件の悲劇

2018年06月11日 17時29分25秒 | Weblog

  新幹線の車両で、22歳の男が乗客を切りつけ、2人の女性が重傷を負い、1人の男性が死亡する事件が起きた。死亡した男性はケガをした女性をかばい、男の暴力を止めようとして殺された。狭い車内の中で、凶器を振り回す男に、素手で立ち向かった勇気に頭が下がる。車内にはまだ男性は何人かいたのだろうから、他に加勢する人がいたなら、彼も死なずに済んだかも知れない。

 そうは言ってもいざとなった時に、死亡した男性のように私も出来るかは自信がない。人はみんな弱い存在だ。あんなにキリストを尊敬し、キリスト亡き後のリーダーであったペテロでさえ、「あなたもあのナザレ人イエスと一緒だった」と人が言うとペテロは慌てて打ち消して、「私は知らない。あなたの言うことが何の事か、わからない」と3度も否定してしまう。

 自分の命を惜しまない人はいない。危険を承知で止めにに入った男性も、死までの覚悟していた訳ではないだろうが、それにしても悲しすぎる。殺人を犯した男は「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」と勝手なことを言っている。しかも男は、生きていても仕方ないと自殺志望があったという。自殺もまた殺人だから許されることではないが、たまたま止めに入った善良な人を手にかけるとは、全く人間が理解できていない。

 狂気の男は、他人を理解する「心」に欠けている。男は成績の良い子であったが、登校できなくなり、両親は叱責して立ちなおさせようとし、さらに突き放したと報道されている。彼は親戚の家に引き取られ、「引き籠り」生活者になった。誰も自分を認めてくれない、誰からも愛されていない、そんな孤独な思いが今回の殺人となった。愛されていたなら、可愛がられていたなら、こんな事件にはならなかったと私は思う。

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新幹線殺人事件の悲劇

2018年06月11日 17時29分25秒 | Weblog

 新幹線の車両で、22歳の男が乗客を切りつけ、2人の女性が重傷を負い、1人の男性が死亡する事件が起きた。死亡した男性はケガをした女性をかばい、男の暴力を止めようとして殺された。狭い車内の中で、凶器を振り回す男に、素手で立ち向かった勇気に頭が下がる。車内にはまだ男性は何人かいたのだろうから、他に加勢する人がいたなら、彼も死なずに済んだかも知れない。

 そうは言ってもいざとなった時に、死亡した男性のように私も出来るかは自信がない。人はみんな弱い存在だ。あんなにキリストを尊敬し、キリスト亡き後のリーダーであったペテロでさえ、「あなたもあのナザレ人イエスと一緒だった」と人が言うとペテロは慌てて打ち消して、「私は知らない。あなたの言うことが何の事か、わからない」と3度も否定してしまう。

 自分の命を惜しまない人はいない。危険を承知で止めにに入った男性も、死までの覚悟していた訳ではないだろうが、それにしても悲しすぎる。殺人を犯した男は「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」と勝手なことを言っている。しかも男は、生きていても仕方ないと自殺志望があったという。自殺もまた殺人だから許されることではないが、たまたま止めに入った善良な人を手にかけるとは、全く人間が理解できていない。

 狂気の男は、他人を理解する「心」に欠けている。男は成績の良い子であったが、登校できなくなり、両親は叱責して立ちなおさせようとし、さらに突き放したと報道されている。彼は親戚の家に引き取られ、「引き籠り」生活者になった。誰も自分を認めてくれない、誰からも愛されていない、そんな孤独な思いが今回の殺人となった。愛されていたなら、可愛がられていたなら、こんな事件にはならなかったと私は思う。

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40年に1度しか咲かない花

2018年06月10日 18時24分42秒 | Weblog

  「40年に1度しか咲かない花が咲いたから見に来ないか」と義弟から電話をもらい、見て来た。地面から鋭い葉っぱがいっぱい出ている。その株の中から長い茎が出て、先端に赤い花らしきものが見える。ニュージーランドが原産の多年草で、義弟が家を建て替えた時に、庭に植えてもらったものだという。寒さに強く、1年中葉っぱがあるので、観葉植物として人気があるそうだ。

 「ニューサイラン」という名前で、花言葉は「素直」だという。義弟のところはおめでた続きだ。3月に念願の孫が生まれ、40年に1度しか咲かない花が咲き、「凄いね」と感心していたら、義弟は仏壇の前から立派な箱を持って来た。開けると中には孫の名前の日本酒が入っている。「名前を入れてもらったの?」と聞くと、「この名前の酒があったんです。1万5千円もするので、誰も買わなかったのか、偶然見つけたんです」と言う。「今度のお盆の時に飲もう」とカミさんが言うと、義弟は「いや、空けません」と渋る。孫の父親とふたりでゆっくり味わうべきだろうと私も思う。

 孫が生まれて、義弟の喜びようは並みでない。もう嬉しくて嬉しくてたまらないのだ。孫の父親は義弟と話も合うようで、一緒に飲めることが何よりも楽しいそうだ。娘夫婦には初めての子だから、一緒に市の「パパママ教室」に出かけたり、検診日は必ず休みを取って3人で行くという。孫の父親は仕事から帰ると、孫と一緒にお風呂に入り、娘が入浴する時は孫の世話をして寝かしつけるそうだ。

 私たちの時代でも、親と同居していない家族は、父親が赤子の面倒をみることはあったが、まだ「男社会」が残っていたから、母親は家事に子育てに仕事と大変な負担だった。今はどこの家庭もそれなりに、助け合うことが当たり前になってきている。そのため、いっそう夫婦の絆が強くなり、良い傾向だと思う。みんながそうすれば、自然と「働き方」も変わるだろう。家族で一緒に居られる時間が少しでも保証されるようになるといい。

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オープンキャンパス

2018年06月09日 17時06分30秒 | Weblog

  友だちに誘われて、地元の芸術大学で行われている先生たちの『作品展』を見て来た。大学の駐車場に何台もバスが止まっているし、駐車している車も多い。ずいぶん人気なんだなあーと思いながら行くと、「オープンキャンパスの受付」とある。そうなのか、大学が高校生のために行っている事業の1つとして、『作品展』が企画されているのだ。私服だったから分からなかったが、高校の制服の子もいたし親子連れもいて、オープンキャンパスは人気のようだった。

 『作品展』を見て、私の頃とは全く違うと思った。作品の作り方や見せ方が変わってきた。私たち時代でも抽象画を描く人はいたが、私は精密な描写によって、現実とは違う空間を描くことに熱中していた。描くものは全て現実のものなのに、描かれた世界は全くの虚構、現実と思っている世界は虚構だという主張を込めていた。コンプレッサーがあれば、もっと写真のように表現できたのに、当時はボカシアミを使い時間をかけて仕上げていた。

 先日も近くのイオンモールへ出かけた時、1階の西側で『花のイラスト展』が行われていた。愛知県のイラストレーターの作品展ならば、今は大学で教えている卒業生も出品しているだろうと思い、出品者の名前を見ると確かにあった。地元の芸術大学の先生たちの作品も、このモールでのイラスト展も、りテクニックが凄い。どのようにして仕上げたのだろうと知りたくなる。やっぱり私は一昔いや二昔も前の人間のようだ。

 今晩は、21日から出かけるベトナム旅行の打ち合わせ会。打ち合わせとは名目で、このところみんなで会っていないから、ベトナムの話が終わったら「一杯飲みましょう」という段取りである。1品持ち寄りなので、私も鶏肉料理をする。酒のつまみには好評の1品である。来週は仙台の次女たちがやって来るし、6月は結構忙しい。寂しい思いをする暇はなさそうだ。

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方向感覚

2018年06月08日 17時48分11秒 | Weblog

  梅雨入りにふさわしいというのもヘンだが、音もなく雨が降っている。来週の金曜日から我が家にやって来る4歳の孫娘のために、何とか花を植えたが、まだ6鉢植えられずに残った。20鉢以上処分したのに、一向に減った感じがしないが、4歳の孫娘はルーフバルコニーを見て、「わあー、キレイ」と言ってもらえるくらいには整った。

 バラもその頃に、また花を咲かせてくれるだろう。サルビアや日々草のような夏の草花も、きっと孫娘を楽しませてくれるはずだ。孫娘はルーフバルコニーへ出て、「水やりする」と言い出すことだろう。花に水をやるだけでなく、「パパちゃんも」と私に向かって水をかけてくる。我が家にやって来た時の、4歳の孫娘がやりたいことなのだ。

 仙台から次女と4歳の孫娘が来るからと、長女の小3の孫娘は「私も泊まる」と言うが、23歳の姉に向かって「一緒に泊まるよね」と勝手に巻き込んでいる。まだ、ひとりで泊ったことがないので自分でも不安なのだ。私は小学校の高学年になると、ひとりで電車に乗って姉のところに出かけたし、バスと国鉄と名鉄とさらにバスを乗り継ぎ、母の実家まで行ったが、当時は何の不安もない時代だった。

 何でもキョロキョロ見て歩くのが好きだったから、何度か行って方向が分かると、駅から歩いて行った。運河を見たり、セリの終わった市場を見たり、防空壕のあとを見たり、よく迷子にならなかったなと思うくらい彷徨った。不安になることもなかった。車窓から見える目印を覚えていて、脇道に逸れても動物的なカンが働いて、最後は辿り着くことが出来た。

 この前も「どこを走っているの?」と聞かれて、「北だよ」と答えると、「北ってどっち」と分からない人がいて驚いた。「この道を右に行って、次を左」と、スマホを駆使して教えてくれるが、私は東西南北で言ってもらった方が理解できる。地図は上が北だけど、左右だと地図をグルグル回すことになって分からなくなってしまう。やっぱりこれも年齢のせいなのかも知れない。

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とっても悔しくて涙が出てくる

2018年06月07日 17時26分51秒 | Weblog

 どうしてこんな痛ましいことが起きてしまったのか。大人たちは幼い子を見ると、誰もが可愛いと思う。ところが親になると全く違ってしまう。ヨソの子は一瞬の触れ合いだが、我が子は四六時中一緒にいる。泣くし、わめくし、訳の分からないことをする。親がやって欲しいこととは全く違う、「ダメ」なことばかりする。

 幼い子にすれば、親は絶対的な存在だ。食事も着る物も寝る場所も与えてくれる。親になるといつの間にか、自分が子どもにとって絶対の権力者になっている。「これが出来なければ食べさせません」と言えば、子どもは訳が分からなくても、どんなに理不尽でも、いやそもそも子どもにとって親は絶対者だから、考えることも許されないから、従うしかない。

 東京都目黒区で5歳の女の子が亡くなった。親の虐待による衰弱死という。父親は女の子の実父ではないが、「真面目でよく働いた」とIT企業の元上司は言う。几帳面な男なのだと私は思う。父親になり、女の子を「育てる」ことになって、「絶対」をあるいは「完璧」を求めたのだろう。女の子への要求はエスカレートし、出来なければ「叩いたり」「外へ出す」ことに、何の疑問も感じなくなったのだろう。

 母親は実子なのに、「母」から「女」になってしまい、父親の「しつけ」という名の残虐な暴力を、「あなたが出来ないからよ」「あなたが悪いからよ」と、女の子に言って聞かせたのだろう。親にすれば、「子どものためにやっている」と残虐性が見えない。5歳の子が書いていた「反省ノート」を新聞で読んで泣けた。

 「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」「もうあしたはぜったいやるんだぞとおもって いっしょうけんめいにやって パパとママにみせるぞというきもちでやるぞ」。 私の親は学校の先生だったが、私は小学校に上がるまで文章は書けなかった。5歳で、こんなに文章の書ける子を、とっても悔しくて涙が出てくる。

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