友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

アメリカの中間選挙の結果

2018年11月08日 18時18分29秒 | Weblog

  重労働ではないのに、昨夜は寝つきが悪かった。多分、そのせいだと思うけど、今朝から鼻水とクシャミが止まらない。チューリップの球根は届いている。明日は雨になるという予報だ。何としてでも鉢の土の入れ替え作業を終了させようと思った。けれども、作業をしているのか、鼻水を拭いているのか分からない状態で、午後2時過ぎ、とうとう諦めた。

 鼻水やクシャミは身体のバランスがおかしいという警告だろう。人の身体はうまく出来ている。そう思うことにした。アメリカの中間選挙の結果、上院は共和党が、下院は民主党が過半数を占めた。トランプ大統領は「大成功」と言っていた。テレビの解説者は、「共和党はより過激な右寄りに、民主党は左寄りになっていく」と分析していたが、そもそも両党の政策や信条の違いが分からない。

 アメリカを目指してやって来ている何千人もの「キャラバン」を、「犯罪者がいる」「職を奪われる」と煽り立て、「アメリカの安全を守れ」とキャンペーンした共和党、「人種、宗教、民族に関係なく暮らせる社会」をアピールした民主党、自由主義経済を主張する共和党、保護貿易を唱える民主党、私はそのくらいの違いしか知らない。大企業の多くが民主党を押し、白人労働者が共和党を支持するのもよく分からない。

 「右寄り」と「左寄り」の思想や政策の違いは何だろう。国家の統制が厳しいという点を左翼的というなら、日本は教育・医療・年金制度などかなり社会主義的であるし、役人の権限が強い点も社会主義国家と同じだ。首相が企業に対し、賃金上げを要請する珍しい国でもある。「自分第一」か、それとも「寛容」か、その点で「右寄り」と「左寄り」に分かれる訳でもないようだから、いったい何をもって「右」とか「左」と言うのだろう。

 アメリカの中間選挙の結果ばかりが注目されているが、投票率はどうだったのか。民主主義の根本と言われる投票だけど、投票しない人は何を考えているのか、その辺りの調査・分析はどうなっているのだろう。それにしても、いまだに鼻水が止まらないのはなぜだろう。

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『黒の舟唄』を口ずさんでいた

2018年11月07日 17時06分43秒 | Weblog

  穏やかな曇り空で風もなかったから、屋外での作業にはもってこいだった。今日はカミさんがゴルフに出かけたから車が使える。岡崎市美術博物館の『ダリ展』や尾西の三岸美術館も行きたいと思っていたが、行ってみたところでどうなる、それよりもこんな日は作業だろうという声がして、そうだよねと納得し、結局、朝から午後4時近くまで、黙々と取り組んだ。

 土を相手に単純な作業をしていると、今、読んでいる姜尚中さんの『母の教え』の中の姜さんとダブってくる。姜さんはこれまでの都会から、軽井沢近くの高原に移ったようだ。そこで彼は土を耕し野菜を育てている。「掘り起こされ、砕かれていく土の匂いが、遠い記憶を刺激し、泥んこになって遊んだ幼いころの思い出がよみがえってくるようだ」。「地面から切り離され、土いじりとは無縁だった人間が、古希に近い歳になってから、こんな体験をするようになろうとは、夢にも思わなかった」(P92~93)。

 この『母の教え』は10月に発行されたばかりで、4日(日)の中日新聞に紹介されていたので、すぐ書店に行って中身も見ずに買ってしまったが、姜尚中さんの「自分史」のような内容だ。中学からの友だちが市の図書館が主催した「自分史講座」を受講したところ、私の小学校5・6年の時の友だちに出会ったとブログに書いていた。ふたりとも「自分を見つめ直す」機会にしているのだろうか。どんな自分史が書けたのか、ぜひ、見せてもらいたいものだ。

 単純作業としていると、昔のことをよく思い出す。今日は何故か、野坂昭如さんが歌っていた『黒の舟唄』を口ずさんでいた。「男と女の間には 深くて暗い川がある 誰も渡れぬ川なれど エンヤコラ今夜も舟を出す」。そうさ、男と女はなくてならないのに、どうしてこんなに行違うのか、それでも求めずにはおられない、苦しいほど恋しくても、いつか別れが来るとしても、会わずにはいられない。それが男と女なのさ。でも、4番の「たとえば男はあほう鳥 たとえば女は忘れ貝」って、どういう意味なんだろう。

 今、アメリカの中間選挙の結果がニュースで流れてきた。どんな時代になっていくのだろう。

 

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書棚の奥にあった小さな冊子

2018年11月06日 17時22分55秒 | Weblog

  書棚を整理していたら、B5の半分ほどの小さな冊子があった。しかも30ページ余りしかない。タイトルは『新聞記者の内観体験記』とあった。書き出しは、「もしも、太宰治が『内観』を体験していたら、(略)ヒトラーがしていたら人類の歴史は違ったものになっていただろう」で始まり、「1週間の経験はそれほど強烈なものだった」と、体験記を書いた理由を述べている。

 何時、誰にもらったものなのか覚えがない。長い間、他の書籍に押しつぶされていたくらいだから、私の興味を引くようなものではなかった。余りにも小さな冊子なので、パラパラとめくってみた。「こうして自分は変わった」という話は、本人にとっては大事な経験だろうが、私は「それはそれは」と受け流すばかりで、関心が湧いて来ない。

 中学生の時、私がキリスト教会に通っているのを知った友人が、「集まりがあるから」と誘ってくれた。8畳ほどの部屋に青年たちが車座になって、ひとり1人、いかにして自分がまともな人間に変わることができたかと、みんなの前で大きな声で告白していく。当時、隆盛だった新興宗教の青年部の集まりだった。これは私の求めているものではないと痛感し、友人に「参加しない」と告げた。

 この冊子の新聞記者は小3の長男の「夜驚症」に悩んでいた。自分が「こちら報道部」で内観療法を記事で取り上げ反響があったので、「もっと見届けておくひつようがある、という一種の責任感めいた気持ちと職業的好奇心もあって」出かけた。そして1週間後、「天上から日の光が辺り一面にまんべんなく降り注ぎ、私自身を包んでいる感覚。昨日まで見たこともなかった、まっさらな世界の真ん中に、この自分がいる」と感じた。そして、「息子の怖がりが治った」「家族全員が内観を経験した」。

 人は誰も、心に何かを抱え込んでいる。けれど気付いて、何とかしようと思う人は少ないし、むしろ日々の生活に追われて、心の空洞を埋めることより、暮らしていくことが最優先になっている。アメリカの中間選挙が始まるが、アメリカを救いの国と思ってやって来る人々に対して、軍隊を使い銃器で追いかえそうとするトランプ大統領の政策を支持する人々が半数いる。我が身を「内観」するなら、自分だけ良ければとはならないだろう。

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偏執症なのかも知れない

2018年11月05日 17時05分18秒 | Weblog

  鉢の土入れ替え作業をしていて思った。古い土に残っている根毛をいくら取り除いても、100%完全に除去することは出来ない。50%でも70%でも、そんなに違いが生まれることはない。それでもなお、少しでも取り除いておこうとするのは私の好みでしかない。1つの鉢の土の入れ替えに1時間以上もかけ、エコノミー症候群になるくらいに身体を縮めて作業をするのも、単なる私のこだわりに過ぎない。

 私は努力の人ではなかったが、自分の基準にはこだわる癖があった。小学校5年までは、授業で手を挙げることができなかった。通知表にはいつも、「もう少し積極性が欲しい」と書かれていた。5年のあのストライキも、なんとなくみんなに付いて行った。ただ、その過程で脱落していく仲間が何人か出た。それぞれに自分の意思で学校へ戻ったのだが、私にはそれが不思議だった。この事件を契機に、自分の意思を持つ積極的な人間になろうと決めた。

 中学生になり、試験の度に成績順が廊下に張り出された。バカバカしい。人を点数で評価するのは間違っている。試験のための勉強はしない。試験で良い成績を取って、それだけで評価されるような社会には期待がない。勝手にそんな風に決めて、勉強は授業でやればいいと家では宿題以外はしなかった。幸いなことに家には父にもらった百科事典があったから、それを眺めて暮らした。中間とか期末とか、範囲の決まっている試験はそこそこだったが、範囲のない実力試験は成績がよかった。

 それでまた勝手な考えに陥った。試験は実力でやるもの、試験のための勉強は一時的なもの、などと屁理屈を考え、試験勉強をサボった。次第に結果が目に見えて現れてきたのに、勉強は自分が自分のためにするもの、自分が納得できなければやらなくていいと自分の道にこだわった。ドストエフスキーやトルストイ、ジイドやルリケを読み、歴史や地理に没頭し、キリスト教に共鳴する一方で、ブリジッド・バルドーやジャンヌ・モローに魅せられていた。思えば、偏執症なのかも知れない。

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勝ち敗けが嫌いな理由

2018年11月04日 17時17分37秒 | Weblog

  天気予報で今日は雨降りと出ていたので、昨日は朝から夕方まで、一日中作業に没頭した。最後に、まだ入れ替えの済んでいない鉢と土に入れる肥料などを、雨に濡れないようにブルーシートで覆って作業を終えた。予報通りの雨のため、今日はやることがない。何も予定がないのは実に寂しい。そこへいつも電話をくれる大先輩~呼び出しがかかり、喫茶店へ出かけた。

 市が行っている歴史講座の資料を届けてくれたのだ。若い時から、どこの誰の選挙の応援に行ったという、とりとめのない話が続く。自民、民社、社会党に知り合いがいて、応援を頼まれたそうだ。政党の色合いとか政策とかは二の次と言うが、それでよく前座の演説まで出来ると感心する。「選挙が好きなんですね」と聞くと、一瞬考え込んだが「好きなんですね」と言う。

 楽しければそれでよいのかも知れない。プロ野球の日本シリーズで、広島はソフトバンクに完敗した。別に贔屓のチームがある訳ではないが、セ・リーグに住んでいるのだからと広島を応援して見ていた。広島はセ・リーグでは圧倒的な強さだった。その広島がパ・リーグの2位のチームに負けるようなら、セ・リーグよりパ・リーグの方が実力は上と言える。結果はその通りになってしまった。

 カミさんのスポーツ好きに異議を挟まないために、私も一緒にテレビ観戦をするが、どういう訳か分からないが、スポーツは終わると空虚な気持ちに襲われる。どちらも一生懸命で闘っているのに、勝敗がつけられる。勝敗のないスポーツなど誰が好むかと叱られそうだが、私には虚しさだけが残る。真剣にスポーツに取り組んだことがないからだろう。

 勝敗とか、順位とか、そうしたものにめっぽう弱い。勝ちたいとか1位になりたいとか思うのに、いざとなると、結果を恐れて怖気づいてしまう。自分が弱いから、弱いことを突きつけられるのを恐れるのだろう。この歳になって、なんとなく自分の輪郭が見えてきたが、ますますどうしようもない奴と思うばかりだが変えようがない。困ったものだ。

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社会人の孫娘が水泳大会に出るという

2018年11月03日 17時51分59秒 | Weblog

  社会人2年目の孫娘が、子どもの頃通っていたスイミングスクールの先輩として大会に出ると言う。大学生になってからは全く泳いでいないし、社会人になって母親と同じ看護の道に進み、不規則な生活なのに、いきなり泳いで大丈夫なのかと心配になる。孫娘は泳ぐことが好きなようだが、身体が小さいから選手になるほどの基礎体力はない。

 孫娘がスイミングスクールに通って一番よかったのは、友だちにも恵まれたかも知れないが、私は「成果は必ず付いてくる」という体育の人たちの考えを身に付けたことだと思う。練習しなければよい結果は生まれない。努力は決して裏切らない。「諦めず、ベストを尽くす」。私のような怠け者にはなかなか出来ないことだ。

 しかしまた、人生には、「こんなに努力しているのに、どうして報われないのだろう」ことに出会う時もある。そんな時に、「成果が出ないから止める」などと、短絡的にならないで欲しいと思う。残念ながら人生には「どうにもならない」時がある。それでも、自分のいいところは「元気で頑張る」ことだと気付いて欲しい。ビックリするくらい楽天的で前向き、それが孫娘の長所なのだから。

 シリアで人質となったフリー・ジャーナリストの安田さんがテレビで袋叩きにされている。安田さん自身は「紛争地に行く以上は、責任は自分にあり、自分の身に起きることは自業自得」と覚悟している。しかしテレビの専門家でないコメンテーターと言われるお笑い系の人たちは、まるで巷の人たちのレベルと同じだ。そんなに言うなら自分が紛争地に行ったらと思うが、「政府が禁止しているから行けない」と開き直るだろう。

 仕事の中には、命を懸ける、そういう仕事がある。生きて帰れたのだから本当に良かったと思う。予期せぬことが生まれた時、それをどれだけ冷静に受け止められるかである。3年余の長い間、生きることを諦めたりせずに、じっと耐え続けた精神力は凄い。安田さんもまた「諦めず、ベストを尽くす」タイプの人なのかも知れない。

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あっ、地震だ!

2018年11月02日 18時17分34秒 | Weblog

  午後4時55分、パソコンに向かい操作しようとした時、本当に微かな揺れを感じた。オヤッ、地震かなと思うと揺れは少し大きくなったが、それ以上に進むことはなかった。3・11東北大震災の時は、オヤッと思った次の瞬間に大きな揺れが来た。この揺れが前触れなら、次はもっと大きな揺れが来る。確かめるのにそれほど時間は要しない。まずは冷静に見極めることだ。

 私はすぐパソコンの電源を切り、次の揺れに備えたが、第2波はやってこなかった。阪神淡路大震災の時はかなり揺れた。東北大震災の時も揺れたが、震源地が遠かったので阪神淡路の時ほどではなかった。最近はやたらと地震が発生する。「地殻が活動期に入った」と言う学者もいるが、活動期はどんなメカニズムになっているのだろう。

 地震のような阻止不可能な現象に対しても、人は出来る限りの備えをしようと努める。なのに人間は、人間が原因を作っていることを、なぜ阻止することができないのだろう。私は憲法の改憲には反対だ。そもそも軍隊を持つこと自体を是としない。すると多くの人が「外国が攻めてきたらどうするのか」と言う。

 軍隊のない国を攻めるのに、砲撃や爆撃をする必要はないから、攻め込むのは簡単だろう。だから死者も出なくて済む。軍隊は相手の国を攻撃するために存在する。攻撃するとは相手の軍隊を壊滅状態にすることだから、つまりはどれだけ人を殺すかである。軍隊は国が行うので当然国民は巻き込まれるし、広島や長崎のように殺される。

 トランプ大統領は「銃を持て!」と檄を飛ばすが、銃がなければ殺し合うこともない。「それでは銃を持った奴がいたら、そいつが世界を牛耳ることになるぞ」と言うだろう。まさしく今のアメリカがそうだ。「武器を持って制圧した者は、武器で制圧されるだろう」と昔の人は記したのに、どうして未だに人間は懲りないのだろう。そのうち地球に大変動がやって来るかも知れない。

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矛盾はいつも付いて回る

2018年11月01日 17時19分19秒 | Weblog

  「今年もあと2カ月になりました」とアナウンサーが言う。新年を迎えるまで、「あと2カ月ある」のか、「もう2カ月しかない」のか、人によって思いは様々だろうが、落語ではないが歳を取ると、時間の流れはとても速い。別にやり残したことがあるとか、やらなければいけないことがある訳ではないのに、年末が近いというだけで何故か焦ってしまう。

 良い天気が続いているのに、ルーフバルコニーでの鉢の土の入れ替え作業は遅々として進まない。午後になると風が強くなり、土が舞って作業が出来ないからだ。それでも今年は、「ボチボチやれるところまでやればいい」と気楽に考えている。そう書きながら11月末になると、「どうしよう、どうしよう」と焦るだろうなとも思っている。

 矛盾はいつも付いて回る。中学1年の同じクラスに、よく「キャーキャー」言う女の子がいた。目がパチッとしていて色白で明るい子だった。1年間一緒に授業を受けるうちにその子が好きになった。それから高校3年の冬、彼女から「あなたが好きなのは私ではなくて、あなたが作り上げた私なのよ。私よりも良い人を見つけてね」と別れを宣告されるまで、私はズーと彼女が好きだった。

 ふたりでどこかへ行くとか、ふたりだけで話をするとか、手紙をやり取りするとか、何もしていないのにただ好きだった。伊藤佐千夫の『野菊の墓』やジイドの『狭き門』のような「恋」に憧れていたというか、好きなだけで相手に通じていると思い込んでいた。ところが、高校生になって年上の色っぽい女性を見ると、彼女には抱いたことのない欲望が湧き上がるようになった。

 「十戒」にある「姦淫」である。彼女のことが好きなのに、別の女性に欲望を抱いている「矛盾」に悩んだ。「人は罪深い存在だからこそ、神に救いを求めなさい」とキリスト教会では説くが、なんともやりきれなかった。彼女の宣告は矛盾した私への「罰」だと思った。あれから60年近くも時は経つのに、矛盾は今も付いて回る。

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