友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

子どもたちを育てる方法は

2023年10月21日 17時45分33秒 | Weblog

 小学校で運動会が行われていた。快晴にはならなかったが雨の心配はなく、保護者はもちろんジジババなど大勢の人が応援に来ていた。校庭の隅には早々とブルーシートが敷かれ、家族や親族が陣を組んでいた。子どもたちの席の後ろには、保護者のイスもあり、我が子への声援が飛び交っていた。

 子どもたちの行進は乱れることなく、まるで私たちの子どもの頃と変わらなかった。「ゆとり教育」や「自由教育」から、「見せる教育」へ変わって来たのだろうか。先生たちも大きな声で、「ガンバレ!ガンバレ!」と子どもたちに檄を飛ばす。運動会が好きな子どもたちは、何をやっても楽しいようだ。

 今、子どもへの指導のあり方が問題になっている。宿題をやって来ない小1の男児に、女性担任が罰として給食を減らす指導をした。ほとんど毎日、3ケ月ほど続いたようだ。男児は給食が食べられず、帰宅するとご飯を3杯も食べたという。両親が担任の行為は体罰に当たると、損害賠償を求めて提訴した。

 詳しいことは分からないが、そもそもどんな宿題だったのだろう。毎日出さなくてはいけない宿題だったのか、男児はなぜ宿題が出来なかったのか。宿題をやって来ないことで、担任は両親と懇談したのだろうか。小1の子に宿題を出す必要があったのか、出すのならどんな宿題が適切なのか、学年で話し合ったのだろうか。

 保育園でも不適切指導が問題となり、自治体が実態を調査し、保育士が退職している。トイレに行かなかった園児に、「うんちの匂いがする」と言ってみたり、「赤ちゃんみたい」と嫌味を言ったり、食事の遅い園児の配膳を減らしたことが問題になった。でも、これくらいのことは、保育園では日常では無いのかと思ってしまう。

 確かに大声で威圧的な先生はいた。私が中学生の時、予科練帰りの先生が、「私が殴った生徒はみな、東大か京大にいった」と自慢していた。殴られてまでして、東大も京大も行きたくないと思った。熱血指導のつもりだったのだろうが、子どもたちを育てる方法としては間違っていた。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金に執着する女の逞しさ

2023年10月20日 18時08分32秒 | Weblog

 書店で、タイトルが気になって買ってしまった。『老人ホテル』の帯には、「極貧人生から抜けだしたい!」とあり、「傷ついた私を救ってくれたのは、ホテルに暮らす打ち捨てられた老人たちでした」とある。303ページの長編だが一気に読めた。

 作者は原田ひ香さんといい、1970年生まれとあるから私の長女と同じ歳だ。主人公を「天使えんじぇる」と名付けているし、長女は「大天使みかえる」、長男は「堕天使るしふああ」、次男は「羅天使らふあえる」、次女は「我天使がぶりえる」、三男は「亜太夢あだむ」、三女は「衣歩いぶ」、主人公は7人兄姉の末っ子である。

 旧約聖書に出て来る名前を子どもにつけたのはどういう意味があるのだろう。母親は17歳で妊娠し、34歳に最後の子である「天使」を生んでいる。4人目が生まれた頃、父親は腰を痛めて仕事をやめた。母親は乳飲み子を抱えていたから働けず、以来一家は生活保護を受けて生活してきた。

 いきさつは書いてないけれど、大家族で暮らす「仲良し一家さん」としてテレビで放映され、人気の番組になった。産室にまでカメラを引き入れ、リアルな出産シーンを撮らせ、母が号泣きし、父も泣き、兄姉たちも泣いて、高視聴率を稼いだ。けれど、それがために主人公は居場所がなくなり、高校を中退し家出をしてキャバクラに勤めることになる。

 ひとりの老婆に出逢い、老婆を追ってビジネスホテルで働くことになる。そのビジネスホテルは長逗留する訳あり老人が何人もいて、そこで働く掃除のおばさんも高齢者だから、24歳の主人公はまたいじめられる。主人公は何とかして謎の老婆に近づき、次第に心から慕うようになる。老婆も心を許し、金儲けの方法を指南する。

 そこそこに金はあればいいと思ってしまう私には、主人公の思いや老婆の気持ちが遠い存在でしかない。そんなことで金持ちになれるのと疑ってしまう。金に執着する女の逞しさをそっと見守る気持ちで読んだが、この小説が何を伝えたいのかは分からなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帰ってきたら汗をかいていた

2023年10月19日 17時22分27秒 | Weblog

 街の写真屋へプリントを頼みに行って来た。私はスマホを持たず、古いガラ系のケイタイを使っている。ところが彼のところにある機械では読み取れなかったようだ、悪戦苦闘の末、ケイタイから何かを取り出し、新しい機械の端子に読み取らせて、「これでプリント出来ます」と言ってくれた。

 長い時間をかけて、3枚プリントしてもらい、会計は132円だった。「これじゃー、仕事にならんじゃーない」と言うと、「いや、仕事ですから」と答える。「先日来たお客さんには、『肝心なところが印刷できていない』とひどく怒られました。スマホの画面とプリントの幅にズレがあるので、前もって言ってくだされば調整できますからと、再度プリントしました。でも、そういうお客さんを大切にすることが仕事だと思っています」と、悟ったことを言う。

 「写真屋の仕事も随分変わりました」と話す。フィルムを現像し、プリントすることはほとんどなく、スマホで撮った写真をプリントするケースも少ないようだ。撮影を頼まれることもコロナで減ってしまったと。それでも、「義父から受け継いだ写真屋を守って行くことが自分の使命だ」と言う。子どもは娘さんだけなのにどうするのかと思っていると、「写真好きの仲間に店は任せるつもり」と考えているようだ。

 それにしても、以前は商店が並ぶ通りだったのに、今は営業している店は少ない。人口は増えているのに、商店が無くなっていくのはどうしてなのだろう。発展会に加入しない店主もいるようで、「市や商工会とも話しているけれど難しいです」と話す。「商店街が無くなれば、困るのはご近所の皆さんなので、何とか踏ん張りたいです」と言う。

 時代には波があり、流れがある。無理に逆らえば潰されてしまう。地道にコツコツとやるしかないのだろうが、一生懸命に頑張っている彼に報われる日の来ることを祈るばかりだ。今日は暑いと言ってもいいような一日だった。ほんの少ししか離れていない写真屋へ行っただけなのに、帰ってきたら汗をかいていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

来週はどこへ行くべきか

2023年10月18日 17時38分14秒 | Weblog

 水曜日はカミさんとのデートの日、可児市のローズガーデンへ出かけた。秋のバラ祭りが始まっていたのだが、まだ早すぎた。秋のバラは、春のバラに比べ、少し小ぶりになってしまう。いつもなら、我が家のルーフバルコニーの鉢植えのバラの咲き具合を参考に出かけるのに、今、バラは1鉢も無い。

 ローズガーデンは、いつ来ても花が楽しめるように、バラだけではなくいろんな花が植えられている。春はチューリップ、夏にかけては薄い空色のネモフィラが、丘一面に植えられているが、今日見たのは赤や黄色のマリーゴールドだった(写真の1)。

 入場した時からカミさんが、「何か甘い匂いがするわね」と言っていたが、緑の広場に出て匂いの正体が分かった。春には全く気が付かなかったが、キンモクセイが広場の両脇に植えられていた。気を付けて見ると各所にキンモクセイが植えられていた(写真の2)。

 バラ園としてはいまいちだったが、季節外れに来てみるのもいいのかも知れないと思った。本当は映画が観たかったけれど、「こんな気持ちの良い天気の時は、外を歩きましょう。運動をしていないあなたの為に言ってるのよ」と、押し切られた。

 映画の題名を聞かされたら、さらに激怒したことだろう。何も言わなくてよかった。「来週の水曜日はもう少し、紅葉が見られるところがいいわね」と念を押された。まだ紅葉には早い気がするが、どこか美術館でも博物館でもいい、喜びそうなところを探さなくては。

 ローズガーデンを出て、可児の「道の駅」に向かった。地元の野菜や果物が安いと評判で、結構な人の数だった。買い物をし始めると、「これも安い」と言うだけで買ってしまう。ふたりしかいないのに、そんなに買ってどうするのと思ってしまう。

 帰る途中で喫茶店に寄ってコーヒーをゆっくり飲みたかったけれど、「コーヒーは家で飲めばいい」と言われてしまう。買い物の中には冷凍品もあったから、早く帰る方がいいかと思い直してハンドルを握る。さて、来週はどこへ連れて行くべきか、誰か教えて!

その1

その2

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気落ちしていて歌えなかった

2023年10月17日 18時18分28秒 | Weblog

 シンガー・ソングライターの谷村新司さんが亡くなった。74歳とあるから、私よりも5歳下になる。70年安保世代と言っても良いだろう。70年代は学生運動が盛んだったけれど、やがて失速し、若い人たちに厭世気分が蔓延していった。

 そんな気持ちがフォークソングブームとなり、若者たちはギターを抱えて自分の思いを歌った。『神田川』を聴くと、私はいつも、東京の出版社で同じくアルバイトをしていた多摩美大の友だちを思い出す。

 彼の下宿は自由が丘にあった。「遊びに来いよ」と言う言葉に従って出かけた。駅で待ち合わせ、初めに行ったところが「質屋」だった。そこで電気釜を受け取り、それから買い物をして部屋に上がった。女の子が、食事の用意をしていた。

 最終電車の時間が迫り、帰ろうとして彼に、「駅まで送ろうか」と彼女の方を見て言うと、「今晩は泊まるから大丈夫」と笑う。その時になって、同棲していることに気が付いた。私の周りにはそういうカップルはいなかったので、東京の人は凄いと面食らった。

 谷村さんの歌も何となく寂しさが漂っているが、『チャンピオン』はもう一度頑張ろうと奮い立たせてくれる。『今はもうだれも』『冬の稲妻』は失恋の歌のようで、聴いていると胸が痛い。やっぱり70年代の悲しみというか喪失感が滲み出ている。

 谷村さんも年齢を重ねていくと、暗くて寂しい歌から希望が見える歌へと変わっていった。『昴』は中国でも若い人に支持されたし、『いい日旅立ち』は山口百恵さんが歌って、とても良くなって大いにヒットした。

 今日は5度目の法務局参りをしてきた。20日までに電話が無ければ「これで完了となる」と言うが、全てが終わるのは「11月末になるでしょう」とはどういうことなんだろう。『チャンピオン』でも歌って帰ろうと思ったが、気落ちしていて歌えなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人から信仰を絶つことは出来ない

2023年10月16日 17時19分02秒 | Weblog

 イスラエル政府は、パレスチナ自治区ガザへの地上侵攻の準備は整ったと発表した。ガザを実効支配するイスラム組織ハマスを、根絶すると意気込んでいる。ガザ地区から大量のロケット弾が、イスラエルに砲撃されたことへの報復という。

 ガザ地区には220万人が生活しているし、イスラエルから連れ去られた人も何百人かいるはずだ。陸海空からの大規模な攻撃が準備されているというから、双方に多数の死傷者が出ることは確実なのに、ハマスからの攻撃を受け、反撃ムードが支配的らしい。

 ハマスはイスラムの軍事組織だが軍隊ではない。中東ではイスラム教とユダヤ教との対立が長く続いてきた。同じ神の下に生まれた宗教なのに、いや、同じ神だからこそ対立が根深いのだろう。ユダヤ教からキリスト教は生まれ、マホメットの教えからイスラム教が生まれた。

 どうして殺し合うまで憎しみ合っているのか私には分からないが、キリストは人を殺してはいけないと説き、マホメットは互いに助け合いなさいと説いたのに、争いは絶えない。信仰が国家と結びつくと、国家間の戦争になった。

 ユダヤ教徒が神からの「約束の地」と言うのがイスラエルだ。古代の中東では、豊かな土地を求めて多数の民族が争った。そこで神は、ユダヤ人に永遠に住むことの出来る地を約束されたという。

 ユダヤ人もパレスチナ人も、イラク人やサウジアラビア人も、同じ中東の民の子孫だろう。文化にも大きな違いは無いのだろう。日本で問題になっている統一教会は、朝鮮半島で生まれたキリスト教の土着の分派と言える。

 人は何かを信じることで、生きる力や心の安定を得る。人から信仰を絶つことは出来ないのかも知れない。何を信じても構わないが、信仰によって人を傷つけたり、ましてや殺し合うのはまともな宗教ではないと悟るべきだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

せめて良い人に出逢えたと思われる人に

2023年10月15日 17時15分17秒 | Weblog

 朝からテレビを観てしまった。「マラソン・グランドチャンピオン パリ五輪代表選考レース」が、「男子」は5チャンネルで、「女子」はNHKで放映されていた。会場は東京で、かなりの雨が降っていて、選手の皆さんには気の毒な気がした。

 降りしきる雨の中、選手は黙々と走り続ける。沿道には大勢の人が傘をさして、あるいは雨合羽を着て応援している。マラソンは古代ギリシアの故事に由来するとはいえ、2時間以上もただ走るだけの競技で何も面白くない。

 マラソンは技を競う訳でも、チームワークを発揮する訳でも無い、ひたすら走り続けるだけなのに、なぜ私は見入っているのだろう。そう思った時、藤井聡太さんが八冠達成したことで喜んでいた自分を思い出した。

 人はきっと、一生懸命に頑張る人が好きなのだ。自分ではとても出来ないことをやり遂げる人に憧れるのだ。だから興奮し、まるで自分のことのように歓び、素晴らしいと思うのだろう。自分を投影するというより、自分が出来ないから憧れるのだ。

 電車の優先席に座り込んで騒いでいるヤンキーを見ると無性に腹が立つのに、年寄りが席を立ってお腹の大きな女性に席を譲る姿には胸が熱くなる。いや、ヤンキーが子連れの母親に席を譲るのもなぜかホッとする。

 エレベーターで先に乗った人が「開け」のボタンを押していて、「何階ですか?」と聞いて階数のボタンを押してくれた時も、親切な人と一緒でよかったと思う。重い荷物を持った人に、「私が持ちましょう」と手を差し出す姿に温かみを感じる。

 人は他人の姿に、思いやりを感じたり、凄いなと感心したりする一方で、不快に思ったり、怒りさえも抱く。どうせ生きているなら、他人に感動を与えられなくても、せめて良い人に出逢えた思われる人でありたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

彼女と私は同歳のはずだ

2023年10月14日 17時13分23秒 | Weblog

 

 風も無く、曇り空。ルーフバルコニーに出て掃除をしていると、カミさんが声をかけて来た。「このキンモクセイは残しておいた方がいいのでは。何も無いと、ちょっと寂しいよ」と言う。花は小さいが、まだキンモクセイの香りが漂っている。

 私の小学校へと上がっていく坂の角、図書館の庭にキンモクセイが植わっていた。運動会の頃になると、とてもいい匂いがしていた。今、住んでいる「街の木」でもあるキンモクセイが好きで、教え子が御殿場に住んでいた時、そこの祭りで買って来て植えた。

 もう何十年になるのだろう。昨年、我が家のバラで最も古くて大きな樹に、カイガラムシが大量に発生した。木酢液を歯ブラシにつけて、擦り落としたけれど、バラは花を咲かせなくなり、鋸で切ってしまった。

 その時、キンモクセイにもカイガラムシがへばりついていたので、歯ブラシで擦り落としたが、やっぱり花は元気が無い。キンモクセイもこれまでと思っていたのに、カミさんの一言で思い直し、下草を取り除いて土の表面をきれいにしてみた。

 植木鉢から取り出して、根元の土を入れ替えてやれば、まだしばらくは元気に花を咲かせてくれるだろう。作業をしてみると、自分に力が無いことを痛感する。以前なら持ち上げられた鉢なのに上がらない。こんな具合で鉢を残しておくことが出来るのだろうか。

 マンションの回覧板に、新しくできた内科クリニックが集会所で月に1回、何でも相談を行うとあった。マンションも高齢者が増え、病院へ通うことも億劫な人がいるから、需要と供給が一致している。

 私は新しいクリニックに月に1回通院し、血圧を下げる薬をもらっているが、クリニックでも会う人は年寄りばかりだ。先日も同じマンションの人から、「年取ると、あっちこっち大変」と話しかけられた。あれ、あれ、彼女と私は同歳のはずだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界の指導者に将棋で勝負させたら

2023年10月13日 17時30分41秒 | Weblog

 将棋の藤井聡太さんが八冠を成し遂げた時、親戚でも教え子でもないのに、「バンザイ」と声を上げてしまった。大谷翔平選手の活躍に一喜一憂し、応援してしまっていたが、藤井聡太さんの八冠達成に喜んでいる自分にも驚いた。

 私は、将棋が好きな訳でも無く、ただ若いのに凄いと感心していた。同じ愛知県に住んでいるというだけで、こんなにも嬉しいものなのだろうか。カミさんは「あのハニカンダ笑顔がいいのよ」と、手放しで喜んでいる。

 今朝の中日新聞は藤井聡太さん特集で、見開きの2ページを使った「八冠への道すごろく」が折り込まれていた。カミさんは「これ、お正月にみんなでしましょう」と張り切っている。すごろくには「戻ル」がところどころにあるから、どんな偉業にも苦労はあったのだろう。

 愛知県は「藤井フィバー」に燃えているが、イスラエルとパレスチナは戦争状態にある。ロシアとウクライナの紛争も全く収まる気配は無い。どうして人間は戦争から抜け出せないのだろう。戦争をすれば、多くの人が死に、傷つき、生活が奪われるのに。

 戦国時代は、双方から代表が出て、1対1の決闘で勝負してきたのに、第1時世界大戦からは戦闘機や戦車などの大量殺人兵器が登場し、死者数は一気に増えた。今は、何百キロも離れた地へ爆弾を落とすロケットが使われている。

 ロケットの先端に核爆弾を装置した核兵器を、どの国もどれだけ保持するかで競い合っている。地球滅亡に向かって突き進んでいるのは、恐らく、自分だけは生き残れると思い込んでいるからだろう。指導者は意外に、先を見る目が無いのだ。

 藤井さんたち棋士は先の先を読んで駒を指すが、最後の最後で、一手間違えれば負けてしまう。将棋の世界では負ければタイトルを失うが、戦争は勝っても負けても全て失う。世界の指導者に将棋で勝負させたら‥。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

市川沙央さんの第2弾が読みたい

2023年10月12日 18時12分27秒 | Weblog

 長女の、中2の娘の運動会に応援に来た姉である上の孫娘が、ふたりの息子を連れて、「ついでにそっちへ寄るわ」と遊びに来てくれた。上の子はもうすぐ3歳になるが、下の子は生まれてまだ3ケ月だ。よくこんなに幼い子どもを連れ回すと心配になる。

 3ケ月の子を抱っこしてみると、1ケ月ほど前に来た時よりも大きくなっているし、まだ首は座らないと言うが、表情は豊かだ。赤子は大人の表情から学ぶというが、「可愛いね」と笑いかけると笑顔で返してくれる。

 添い寝をすると、居るのを確かめるように両足を盛んに動かし、「アーアー」と甘えてくる。自分では生きられないから、大人に気に入ってもらう他ない。可愛い笑顔もその手段だが、大きくなるにつれ自立し、人に甘えることを忘れてしまう。

 3歳になる上の子は、手足も伸びて大きくなったが、弟に母親を取られて時々ヒステリックになる。我が家に置いたままの玩具を持ち出して、ひとり遊びが出来るようになったが、それでも完成品を母親に見せに行き、褒めてもらうと満足そうな顔をする。

 子どもはこんな風にして成長していくのに、子どもだけで遊んではいけないとか、留守番をさせてはいけないとか、条例を定めようとした埼玉県の自民党県議団は全く子どもの成長を考えていない。提案は見送ったけれど、「瑕疵はなかった」と自分たちの浅はかさを反省する気は全くない。

 市川沙央さんの『ハンチバック』を、ぜひ多くの人に読んでもらいたいと思う。人は自分と違う人を見ると、違うというだけで差別してしまう。差別は区別ではない、下に見ようとする意識だ。蔑むことで自分の優位を得ようとするのだろう。

 そんな目でズーと見られてきた市川さんは、「怒りだけで書きました。復習をするつもりでした」と言ったが、紛れも無い彼女の本心だろう。けれど表彰式で、「こうして皆様に囲まれていると、復讐は虚しいということも分かりました」と語る。

 「私は愚かで、浅はかであったと思います。怒りの作家から、愛の作家になれるようなに、これから頑張っていきたいと思います」と結んでいた。期待している。彼女の第2弾が読みたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする