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「宮沢賢治」でございます!(その16)

2016年08月02日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
「賢治の祈り」井上ひさし①
【459ページ】
1926 (大正15)年3月、花巻農学校を退職した30歳の賢治は、花巻川口町下根子の宮沢家別宅で独居自炊の生活に入った。別宅は北上川の流れの見える高台の上にあって、周囲は松の林である。崖下から北上川の岸へ至る沖積地を拓いた2反4畝(24アール)の砂畑に、白菜、馬鈴薯、トマト、花キャベツ、チューリップなどをつくりながら、賢治は、農学校の教え子24名とレコードコンサートや楽器の練習会をひらいた。----

【463ページ】
「人間はなぜ生きものの生命で身を養わなければならぬのか。他を侵さずに生きて行くことはできないのか」と考えていたから肉も魚も食べなかった。むろん酒も飲まない。ただしサイダーはよくのんだ。

[ken] 宮沢賢治さんは今で言う「ベジタリアン」だったのですね。花巻農学校を退職してからは、定職に就かず独居自炊生活に入ります。それを可能にしたのは、別宅を持つほど実家が裕福であったことや、変わり者の子を持つ宮沢家が、頑固で理想主義者でもあった賢治との折り合いをつけた結果なのでしょう。並みの人間ならば、農村地帯で周囲との接触を限定し、孤独に生きていくのはつらいはずですが、賢治は肉や魚を食べず酒も飲まないで、時には教え子たちと音楽を楽しみ、創造の時間に全身全霊を込めた日々を過ごしたのですね。サイダーを好んだというのは意外でしたが、鰻が好きだったとも伝えられています。(つづく)
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利用する者としての自覚を促す!

2016年08月02日 | ここで一服・水元正介
慶応大学東門の喫煙所で昼食後の一服をしました。ゴミ箱付きのスタンド灰皿に、トングが装備されていました。喫煙所内でポイ捨てゴミを目にしたら、このトングを使って「ゴミはゴミ箱に、吸い殻は灰皿に」入れ、きれいな環境を整えましょう、ということなんだなぁ〜と受け止めました。そうしなさいではなく、気づかせること、それも大事な教育ですね。
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産直もいいけど、現地の野菜!

2016年08月02日 | O60→70(オーバー70歳)
▼宮城県東松島市内の八百屋に立ち寄ったら、お野菜の安さにびっくりしました。
▼横浜だと、長ネギ1本で100円はするのに3本で100円なのです。
▼しかも採りたて新鮮。キュウリやトマトの激安さには、思わず横浜まで買って帰ろうかなと思いました。
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