【222ページ】
日本の場合、戦前の治安維持法が拡大解釈されていった反省から、政治犯罪は存在しない建前になっている。そこで政治的に有害な人物を排除する場合には、政治犯罪を経済犯罪に転換して処理する文化が生まれた。それだから政治家は収賄や政治資金規制法違反のような金にまつわる犯罪で逮捕される。
【237ページ】
宗像 刑法的にいうと、故意と過失の間には、故意、未必の故意、認識ある過失、過失、の4段階がある。おっしゃるように故意と過失というのは、離れているように見えて、虹のスペクトルのようなものなんです。
[ken] 恥ずかしながら、私は、日本に政治犯が存在しない建前になっていることを明確に認識していませんでした。本来、「政治的に有害な人物」は選挙によって識別されるのが本筋だいえます。しかし、昨今の投票率は低迷しており、選挙区選挙で当選するためには、相変わらず「ジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(鞄)」の有無が大きく作用しており、明らかに「政治的に有害な人物」と思われる人でも居座り続けることが可能です。そこに、検察の出番があって「政治犯罪を経済犯罪に転換して処理する文化」が定着している現実を理解することができました。それにしても、237ページの「故意と過失の間には、故意、未必の故意、認識ある過失、過失、の4段階がある」というのも複雑系ですね。(つづく)
日本の場合、戦前の治安維持法が拡大解釈されていった反省から、政治犯罪は存在しない建前になっている。そこで政治的に有害な人物を排除する場合には、政治犯罪を経済犯罪に転換して処理する文化が生まれた。それだから政治家は収賄や政治資金規制法違反のような金にまつわる犯罪で逮捕される。
【237ページ】
宗像 刑法的にいうと、故意と過失の間には、故意、未必の故意、認識ある過失、過失、の4段階がある。おっしゃるように故意と過失というのは、離れているように見えて、虹のスペクトルのようなものなんです。
[ken] 恥ずかしながら、私は、日本に政治犯が存在しない建前になっていることを明確に認識していませんでした。本来、「政治的に有害な人物」は選挙によって識別されるのが本筋だいえます。しかし、昨今の投票率は低迷しており、選挙区選挙で当選するためには、相変わらず「ジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(鞄)」の有無が大きく作用しており、明らかに「政治的に有害な人物」と思われる人でも居座り続けることが可能です。そこに、検察の出番があって「政治犯罪を経済犯罪に転換して処理する文化」が定着している現実を理解することができました。それにしても、237ページの「故意と過失の間には、故意、未必の故意、認識ある過失、過失、の4段階がある」というのも複雑系ですね。(つづく)