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『外務省に告ぐ』(その11)

2016年08月26日 | O60→70(オーバー70歳)
【322ページ】
東郷氏は外務省サラブレッドの家系だが、祖父の東郷茂徳氏は、豊臣秀吉による慶長の役で、朝鮮半島から連れてこられた朝鮮人陶工の末裔だ。東郷の前は朴という姓を名乗っていた。東郷和彦氏はそのことを隠さず、「僕は韓国系だ」と言っていた。
【335ページ】
母たち3姉妹は最前線で軍と行動をともにした。前田高地の激戦で、母は米軍のガス弾を浴びた。----。軍人の中にはすぐに大声で怒鳴り、ビンタをする乱暴者もいたが、「米軍は女子供を殺すことはしない。捕虜になりなさい」とそっと耳打ちする英語に堪能な東京外語専門学校(現・東京外国語大学)出身の兵士もいた。

[ken] 私は7月から8月にかけて、テレビ東京で放送された韓流ドラマ「ジョンイ」を興味深く見ていました。主人公の女性陶陶工は、豊臣秀吉の文禄・慶長の役の際、鍋島藩に連れてこられ96歳の長寿をまっとうした「有田焼の始祖」とされています。本書の東郷氏も同じく朝鮮陶工の末裔と知り、日本と朝鮮(韓国)・中国との関係の深さを再認識させられました。尖閣列島とか、竹島とかで争わず、歴史を学び文化交流から近隣諸国としての関係を再構築して欲しいものです。335ページの記述は、佐藤優が他の著作でも繰り返し書いています。沖縄戦の語り継ぐべき一つの事実として、私の決して忘れられない記憶となりました。(つづく)
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製材所のある町!

2016年08月26日 | ここで一服・水元正介
▼8月20日、午後10時過ぎに横浜を出発し、東名〜首都高〜東北道と車で北上し、翌日の朝、白河で降りました。途中、休み休み走って、製材所のある町に着いたのは21日の午前6時20分でした。後方は私が小学生の頃、田んぼで三角ベースのソフトボールをしていたら、真っ赤に燃え上がり、焼失する様子を見上げていた米山薬師が建っていました。山から朝霧が舞い立ち、私たちは叔母さんの出棺の儀に向かいました。
▼お世話になった叔母さんの葬儀・告別式・精進落としを終えて、また白河から東北道に乗って、横浜の自宅には午後9時過ぎに着きました。翌日の天候を思ったら、とても叔母さんの告別式に間に合いませんでしたから、本当に良かったと思いました。出棺の儀のとき、葬祭会社が叔母さん宅にスタンド灰皿を設置していましたが、それはホームセンターで販売されているブリキ製の赤い灰皿を、黒く塗り直したものでした。
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