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抜き書き帳『生家へ』(その5)

2016年05月25日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
【165ページ】
知人の世話で、映画会社の人に経歴書を持っていった。--------
ちょうど、ストライキ騒ぎが起こりつつあったところで、大きな建物の中に方々の労組から応援に集まってきた人たちが居り、その人たちと一緒に夕食を貰い、その建物の中に寝た。そうして、それから1週間ほど、バリケードで封鎖された撮影所の中に居た。

【155~166ページ】
私は街の賭博場の中で、数え切れない人たち、主に自分より年長の人たちと顔を合わせていた。そうして買ったり負けたりしながら、次第に、他人と闘い、しのぎ合うコツを覚えていった。そういう中で身につけたものを誇る気はないが、しかし私にとってそれは社会的教養のようなものであり、生まれてはじめて衣服をまとって人前に出たような実感があった。
私は、私の眼の前の勝者や敗者を充分に敬愛することができたし、勝ったときの自分も負けたときの自分も、そのときどきの表情を恥じないでいることができた。それはきわめて珍しいことで、それまでいつも、生きていて恥ずかしいと思っていたのだった。誰に比べて恥ずかしいというのではない。だから始末がわるい。
それが、そのときどきの相手や状況の中で、自分を定着させることを覚えてきた。むろん、仮りの定着にすぎなかったけれど。

[ken] 積極的ではないにしろ、戦後の労働争議に、色川武大さんも身を置いていたことを知りました。また、色川武大さんは阿佐田哲也として変貌を遂げるわけですが、その瞬間と心の有り様について、少しだけ理解できたような気がします。(つづく)
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抜き書き帳『生家へ』(その4)

2016年05月24日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
【156~157ページ】
私の生家にかなり近い所に小さな丘があり、その上の神社の裏手に大きな石碑があり、その石台の上も折り折りの居場所になった。----
だから私は地上の方だけを眺めつづけていた。そうして犬のように身体をまるめ、煙草ばかり吸った。
私はその崖際の雑草のなかで、よく糞をした。----
都心部の方では、焼け跡の中にバラックやトタン張りの仮住居か点々としていて、----。
内山が、そういう空き地の一隅に、掘立て小屋を造った。彼はそこから歩いて15分ほど離れたところにある煙草屋の倅で、幼稚園の保母のような仕事をやっていた。彼の生家はバラックで一部屋だった。

[ken] 当時、たばこの流通はひっ迫していたはずなのに、「煙草ばかり吸っ」ていられたのは、たばこ屋の子どもと知り合いだったからでしょうね。焼け跡の風景がどんなものであったのか、私たちは実感としてわかり得ませんが、本書を通じて、当時の人々の心情を追体験できますね。(つづく)
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重版出来、なかなかの面白さです!

2016年05月24日 | O60→70(オーバー70歳)
▼5月10日放送の「重版出来」は、漫画が原作なので漫画チックではあるものの、とても深いと思いました。
▼運を貯めるために、そうしてる。出版社の社長さんになっても、電車通勤の借家暮らし。
▼運ば貯められよっと。運ば味方にすっと、何倍も幸せが来っと。おいの言うことが信じられんか、ならば殺せ、そしたらそれがおいの運たい。運ば無駄使いしたらいかん。問題はどこで勝ちたいかや。それを見極めんとな。(火野正平さん演じる謎の老人の言葉)
▼【宮沢賢治詩集/雨ニモ負ズ】に出会い、高田純次演じる社長は変わったのですね。「必要最低限の生活、重版出来のために運を貯め続けるのです。たった一冊の本が人の人生を変える力があり、救うこともある。本が私を人間にしてくれた」というセリフに感動させられました。
▼よっしゃ、今月中に『宮沢賢治』を読もう。
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抜き書き帳『生家へ』(その3)

2016年05月23日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
【153ページ】
それは中央線荻窪駅周辺の路上の風景である。----手巻煙草器売りの若い男は、まっくろで愛嬌のない顔を崩さず、一日じゅう座ったきり。

【154ページ】
日暮れに台を片付けて帰るとき、周辺の人たちの表情にも屈託が湧くようで、一日じゅうつまらなさそうな感じの手巻煙草器の若い男さえ、そそくさと肩をすぼめて帰っていくようだった。
ときどき、区役所の車がきて、我々は皆、列をつくり、DDTの白い粉を全身に浴びせられる。飴屋の爺さんは我々の肩を叩いて、なぁ、皆、飴になったみたいだ、といってよろこんだ。

[ken] 戦後の風景について、私は映画やテレビでしか知りません。また、たばこの一本売りに関しては、フィリッピンを観光旅行したとき、成年男子が交差点で停車中の観光客を相手に、しつこく売りつけようとしていた景色しか知りません。日本の戦後、「手巻きたばこ」の路地販売があったことは、本書で初めて知りました。DDTについては、小学生の頃にそのようなことがあったかな、という程度のあやふやな記憶です。手巻きたばこ売り男性から、戦後の虚無感や自暴自棄の感情が、切々と伝わってきました。(つづく)
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ヤモリがペットになるなんて!〈英訳付〉

2016年05月23日 | たばこの気持ち
▼このところ、パイプたばこにはまっているTさんは、犬猫禁止のマンションに住んでいます。動物が大好きなので、何かいいものはないかと探していたら、ペットショップでヤモリを見つけ、オスメス2匹を育て、最近、卵から2匹かえったそうです。
▼ヤモリは、ハムスターのように何でも食べられず、生きたままの虫しかたべないので、冬場は通信販売でコオロギを入手し、1日1匹程度与えているとのことです。これからの時期は、居住地の八王子市周辺で昆虫類が簡単に取れるので、それを与えるそうですが、4匹に増えたのでエサ取りが大変だ、と言っていました。
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抜き書き帳『生家へ』色川武大著(その2)〈英訳付〉

2016年05月22日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
【98ページ】
そして、無一文だった。恩給と、わずかな貯えを失った父親は、そのとき60歳を越えていた。多分、現実的な煩悶を重ねたろう。----で、母親がまず動きだし、私を連れて野菜や果物や穀類を田舎へ行って背負ってきて、街頭で売ることをはじめた。
----すると父親が、無言で、その一枚一枚の皺を伸ばして重ね、丁寧に算(かぞ)えた。そうして翌日の元手をわけて母親の前においた。残りは小机の上の古い葉巻の箱の中。それが私たちの所持金のすべてだった。

[ken] 私が子どもだった頃、空き箱や空き缶、菓子折りの包装紙は捨てずに再利用したものです。わが家では葉巻とは縁がなく、箱さえありませんでしたが、大人になってから葉巻の箱を見たり、触れたりしましたが、それは桐の箱だったり、硬い上質な厚紙の箱だったと記憶しています。本書の「古い葉巻の箱」も大事な物を入れておく箱として、長く使われていたのですね。(つづく)

[page 98]
And he was penniless. Having lost his benefits and what little savings he had, his father was then over 60 years old. He probably went through a lot of practical agony. At ----, my mother started to move first, taking me with her to the countryside to carry vegetables, fruits, and grains on her back and sell them on the streets.
---- Then my father would silently stretch out the wrinkles of each piece, pile them up, and carefully count them. Then he divided the next day's principal and placed it in front of his mother. The rest was in an old cigar box on the desk. That was all the money we had.

[KEN] When I was a child, we reused empty boxes, cans, and wrappers from pastries instead of throwing them away. We never had cigars in our house, not even a box, but as an adult I have seen and touched cigar boxes, and I remember that they were either paulownia boxes or boxes made of hard, high-quality cardboard. The "old cigar boxes" in this book were also used for a long time as boxes for storing important things, weren't they? (To be continued)



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国際貿易センタービルでの一服!

2016年05月22日 | ここで一服・水元正介
珍しく、京浜東北線で東京に向かっていちばん前の車両に乗りました。下車する時に、前方を見上げたら国際貿易センタービルの2階に、たばこを吸っているらしき人たちが大勢いました。
「えっ、あんなところに喫煙所があるなんて、今までまったく知らなかったなぁ!」とつぶやき、さっそく一服させていただきました。場所柄なのか、外国人の方も見受けられました。
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本日は新橋SL広場で古本市!

2016年05月21日 | ここで一服・水元正介
▼本日、田舎の先輩が内幸町ホールにおいて、猛練習を積んできた三味線の初舞台がありました。初めて訪れる内幸町ホールは新橋駅から徒歩5分、早めに着いたので、まずは駅前の喫煙所でメビウスワンを一服。
▼SL広場では古本市の最終日、なかなかの賑わいでしたが、ポリスボックスの近くに、6~7台ほど大きな将棋盤が並べられていました。将棋の駒も大きくて、将棋のイベントなのでしょうが初めて見ました。
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小さなあんこ玉!

2016年05月21日 | O60→70(オーバー70歳)
あんこを使う和菓子は数あれど、これほどシンプルなあんこ玉は少ない。焼印や飾りの模様さえなく、薄皮で包むこともしていない。材料の小豆だけの一本勝負なのである。

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抜き書き帳『生家へ』色川武大著(その1)

2016年05月21日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
先月、『生家へ』色川武大著(中公文庫、1986年11月刊行)を読み終えましたので、たばこの出てくるシーンを中心に、私の簡単な感想を付し、都合10回にわたり抜き書きを投稿します。

【76~77ページ】
昔から、何かをやりはじめるとのめりこむように凝っていか傾向が父親にはあった。----それから煙草の空箱だ。空箱を編んでいって碁盤の蓋を造った。蓋ができあがると、釜敷や鍋敷や土瓶敷や火鉢敷の敷物がたくさんできた。ある日父親は眼を見開いて発心したように大きな四角いものを編みだした。それは伸び拡がって際限がないようにも見え、父親自身も、面倒くさくてかなわない、とこぼしだしたほどだったが、結局、それは広縁と板廊下に敷かれた。父親がいった。さあ、これで足が冷たくないよ。

【78~79ページ】
私は恩給という奇妙なものの存在を忘れがちで、父親を、誰にも頭を下げずに屈託だけで生きている人間と思いがちであった。----なまじなものと提携をしない男だったから、どう考えても、海軍でも、株でも、調和がとれる可能性はない。したがって、この世でやれることはほとんど無いのであった。その後、彼がやったことは、小窓に貼る切絵だ。煙草の空箱で造る敷物だ。それから、写真の額縁。----
中国大陸で戦争が起きたときには、父親はあきらかに興奮したようであった。その頃はそうする人が珍しくなかったが、彼も大きな地図を買いこみ、赤鉛筆で日々の戦況を塗り込んだ。

[ken] たばこの空箱で工作品を作るのは、販売店で積極的にとりくまれていましたね。自らの作品は、店頭に飾っていたお店が数多く見受けられました。私の印象では、本書にあるような釜敷や鍋敷よりも、和傘が一番きれいで、飾ってある景色も良く覚えています。これをセブンスターで作ると、キラキラとして見栄えのある和傘になったのですね。当時の空き箱は、ほとんどがソフトパックでしたから、折りつなげることができました。現在はボックスタイプが多くなったので、工作できるだけ集めるのも大変でしょうね。(つづく)
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