物部の森

日常感じたこと、趣味のこと、仕事のこと・・・等々
日記風に書いてます。

円楽死去、「次の円楽」はそのとき・・・

2009年10月31日 | Weblog
 三遊亭円楽死去の翌日30日、まな弟子・三遊亭楽太郎は、自らプロデュースする「博多・天神落語まつり」のため福岡に滞在しており、オープニングイベントで司会を務め、予定通り落語会を行った。
 高座に選んだ演目は、なんと「浜野矩随(はまののりゆき)」。これをネットニュースで読んだとき、もともと予定されていた演目だったのか?と思わず「博多・天神落語まつり」のサイトをチェックした。だが、プログラムには「出演者:三遊亭楽太郎」とあるだけで演目は書かれていない。つまり楽太郎は、円楽の訃報を受け、自らその場で「浜野矩随」を演じようと決めたのである。
 私は「浜野矩随」という噺(はなし)が好きではない(興味のある方はグーグルなどで検索するとあらすじが出てくるので、調べて下さい)。この物語は、息子の「浜野矩随」を一人前の彫刻師になれるよう願をかけて、母親が自害をする。そうして最後、めでたく矩随は名人になるのだが、そのときには母親は死んでしまっている、という悲劇性がやるせなく、なんとも後味が悪い。志ん朝も生前、「つまらない、嫌な話。この話に血道をあげる人の気が知れない」と述べている。最近の落語家の中には、最後母親は一命をとりとめ、すべてハッピーエンドとアレンジするものもいる(志の輔とかそう)。
 そんな複雑な大ネタを、楽太郎はあえて選んだ。それはこの噺が師匠の十八番だったから、という理由だけではないだろう。「息子を名人にと願った矩随の母親の死」と「自分が父親として慕う大師匠の死」、そして「後に名人になる矩随」と「これからの落語界を背負っていかなければならない自分自身」を、それぞれ重ね合わせているように思えてならない。
 来年2月、「六代目三遊亭円楽」襲名予定。かつてのプリンス・楽太郎の悲壮な決意が感じ取れる。
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