『ぼくの血となり肉となった500冊そして血にも肉にもならなかった100冊』(立花隆著、文藝春秋)を読む。
立花隆の読書日記。これまでシリーズとして『ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎術』、『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』(どれもタイトル長いぞ~)の2冊があり、どちらも読んでいる。本書はタイトルどおりに、役に立った本を500冊そうでなかった本を100冊紹介しているわけではない。実際にはそれよりずっと多い本が掲載されている。まじめで硬い本とやわらかい本が5対1くらいの割合で混じっているので、比喩的に表現したとのこと。
2部構成になっていて、前半はインタビュアーが筆者の若い時からの読書遍歴を聞き出す。後半は本シリーズのメインとなる「週刊文春」に掲載された「私の読書日記」の2001年3月15日号から2006年11月2日号までを収録したものである。
500ページくらいあるがほぼ一気に読んだ。相変わらず嫌になってくるほどの興味の幅の広さと深さ、そして博学さ。立花氏の頭脳を表現するのによく「知の宇宙」といった言い回しが使われるがまさにその通り。本書を読むだけで読みたい本が50~100冊くらい出てくる。時間制約の中で、クソ真面目に全部読む必要はない。大きな図書館で探してザッと速読するだけでも相当知識・見識が高まるだろうが、なかなかそれもできていない。
裏帯に著者の言葉として、
「もっと読みたいと思う本が次々にあらわれてくるということが、知的人間にとっては、生きている証しといってもいい。もしその欲望がなくなったら、その人はすでに知的に死んでるといっていい」
と書いてある。同感。
立花隆の読書日記。これまでシリーズとして『ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎術』、『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』(どれもタイトル長いぞ~)の2冊があり、どちらも読んでいる。本書はタイトルどおりに、役に立った本を500冊そうでなかった本を100冊紹介しているわけではない。実際にはそれよりずっと多い本が掲載されている。まじめで硬い本とやわらかい本が5対1くらいの割合で混じっているので、比喩的に表現したとのこと。
2部構成になっていて、前半はインタビュアーが筆者の若い時からの読書遍歴を聞き出す。後半は本シリーズのメインとなる「週刊文春」に掲載された「私の読書日記」の2001年3月15日号から2006年11月2日号までを収録したものである。
500ページくらいあるがほぼ一気に読んだ。相変わらず嫌になってくるほどの興味の幅の広さと深さ、そして博学さ。立花氏の頭脳を表現するのによく「知の宇宙」といった言い回しが使われるがまさにその通り。本書を読むだけで読みたい本が50~100冊くらい出てくる。時間制約の中で、クソ真面目に全部読む必要はない。大きな図書館で探してザッと速読するだけでも相当知識・見識が高まるだろうが、なかなかそれもできていない。
裏帯に著者の言葉として、
「もっと読みたいと思う本が次々にあらわれてくるということが、知的人間にとっては、生きている証しといってもいい。もしその欲望がなくなったら、その人はすでに知的に死んでるといっていい」
と書いてある。同感。