一年前とは言え侮れない。見据えている波長領域がほぼ同じだから 時間の制約な
ど集中したらあっという間に消し飛ぶ。
一年前の時点で『今』があるをすでに観切っていたんだろうな。
自然量子クライン環こそ何ものにも超越して凄いな。
一年前とは言え侮れない。見据えている波長領域がほぼ同じだから 時間の制約な
ど集中したらあっという間に消し飛ぶ。
一年前の時点で『今』があるをすでに観切っていたんだろうな。
自然量子クライン環こそ何ものにも超越して凄いな。
ある時 その『蝶』はミラクルな舞いを繰り広げながら 『ついてこれるかな?』と
優しく光を投げかけた。
それからというもの 『私』はどんな時も幻の『蝶』を深い意識で希求した。
幼き日のかすかな記憶である。
今 想い起せば これが『蝶』と『私』との物語の始まりである。
三次元現実の表層意識なんて高々知れている。「人間」はそんなことすらなかなか
分からない。その因果応報が直近数千年の平面文化の仇為す宿命となっている。
本来 『人』は見えない自然のエネルギー領域から創まっており(それらを総称し
て高次元領域などという)高次元領域も物質顕現領域も統合一体の筈である。
折角 高次元概念を取得したのであるから素直に見えない次元から宇宙基準を構築
すればよいものを 物質欲近視野に囚われ遂には自身が捕縛されてしまっている。
これが 高次元と言葉では言いつつも高次元を蔑ろにし低次元を意識の棲家として
屯する不良星界人と言っても過言ではない現地球人の姿なのである。