洗心 senshin

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二年前の記事。 「第一義。」

2024-12-08 12:13:33 | つぶやき

一年前の記事「第一義。」

第一義。表層脳では 五感情報のすべてを平面概念に落とし込み二元比較でさも実体であるかのように錯覚できるため この世のあらかたの表面を我が物に出来ると思い込んで生きていられるの......

(二年前の記事)

表層脳では 五感情報のすべてを平面概念に落とし込み二元比較で
さも実体であるかのように錯覚できるため この世のあらかたの表面を
我が物に出来ると思い込んで生きていられるのだ。

しかし 本当はすべては少なくとも十数次元の波長層からクライン環生成されており真実の現実は何処にあるかと問えば自然神の意念の揺らぎにより動作する数多の生命活動なのである。

そのごく一部である人類の生命時空間なのである。
大元を自然量子ネットワークと観定め 生存理念として『自然神』の意向に
副いその生を全うすることが第一義となることが使命なのである。


… … … … …

(一年前の感想)
なかなか難しいが 表層記憶脳平面の並べ替えによる思惟思考ではなく 『魂』と肉体をクライン接続させて自ら創造活動をすることの確実に次元精度が高質な意識活動を『人』は誰も欲している筈である。
だからこそ 敢えて厳しい自己探索の旅に出るのであろう。紆余曲折あろうとも そんなことは『魂』にとっては観通しているのであり 最も相応しい選択を最後の最後には探し当てるのである。
『自然創造神』を眞に識る者は幸いである。

(本年の感想)
だからこそ 敢えて厳しい自己探索の旅に出るのであろう。紆余曲折あろうとも そんなことは『魂』にとっては観通しているのであり 最も相応しい選択を最後の最後には探し当てるのである。

繰り返しであるが 眞(まこと)その通りなのであろう。自然より『自然クライン環』として生れ落ちた『惑星人』はその肉体がある時もその肉体が喪われた時も『魂』は観通しているのであり 最後の最後には最も相応しい選択と果を受け取るのである。



一年前の記事。 「『今』こそその時である。」

2024-12-08 11:46:27 | つぶやき

『今』こそその時である!

『自然クライン環』提唱が第一義であったのは それが自然界のすべての規範となるからである。三次元表層脳価値に規範があるのではない。『人』(惑星人)たる者 十数次元の周波数層に連......

(一年前の記事)

『自然クライン環』提唱が第一義であったのは それが自然界のすべての規範となるからである。三次元表層脳価値に規範があるのではない。『人』(惑星人)たる者 十数次元の周波数層に連なる生命実体である訳であるから その創造原初の規範は丸ごとクライン環が何時の『今』も采配する立体構造図となるのである。三次元脳集積は物理基準に過ぎない。顕潜統合意識を統括するのは『人』個々の『自然クライン環』であることを自覚せねば惑星人は本来の超次元層への接続能力を浮上させることが出来ず いつまでも「人間」(人魔)の断末魔に喘ぐことになるだろう。厳しい予想だが 既に予兆は頻発して来ている。大宇宙の創造原初から降りてくる大正転換の嵐である。恒星系を光に染め惑星圏を光に染め惑星人をも光で反転(正転)させるのである。内(魂)から浄化され外(五感三次元)に血膿が出ない道理はないのである。どうすれば血膿を物質化しないで正転換を遂げるか永年の叡智を絞ることである。
惑星人は表層脳の清濁美醜等々に攪乱されず ただただ己自身の『魂』を活性化し眞の『自然神』(創造原初)と周波数共振し 本来あるべき優良惑星人の姿に立ち還るのだ。『今』こそその時である!

… … … … … 

(本年の感想)
まさに『惑星大正転』のこの時空の流れである。数千年に及ぶ価値観の集積に翳りが出 更には大破壊が足許から生じて来ているのである。永年の洗脳により井の中の蛙となった現生地球人にはそれらの超客観的事実が判らないのである。自然は何処までも自然を全うするものなのである。『今』こそ 『自然神(創造原初)と周波数層共振し 本来あるべき優良惑星人に立ち還るのである。