この震災で、生きるってことをさらに深く思うようになって
人々のいろいろなココロの揺らぎを感じ、
生きることへの執着こそが、人類の進化を生み出したんだって思う。
そして、今の私が私に言い始めたこと。
「人生たかだか80年やん!」
どんなに生に執着しても、癌になって死ぬこともある。
交通事故で生涯を終えることだってないとはいえない。
生を持ってこの世に来たからにはとことん生き抜かなくてはいけないけれど、
だったら、同じ生をどう執着する?
たかだか80年の人生を何に使う?
あと、30年足らず。
息子の未来。
その子どもの未来。
できることはなんでもやろう。
どうせなら、もっと執着してやろう。
「生きることへの執着」。
それは身を守るということと同意語か?
それだけで、人生よかったと思えるのか?
いや、いや、絶対にちがう。
病気にならないようにとか、
事故に遭遇しないとか、
大切なことだけれど、
それが私の人生とするならば、私でなくてもいいわけだし。
だから、私の生きることへの執着は、どう生きるかを執着することだと思っている。
「わたしだからこんな風に生きる」という執着をしよう。
そう思うと、怖いものが何もなくなった。
50を過ぎるということは、こういうことなのか。
歳を取るのも悪くないね。
あと30年。
動けるのは30年ないかもしれない。
私の人生の最後の仕上げに入った気がする。

人々のいろいろなココロの揺らぎを感じ、
生きることへの執着こそが、人類の進化を生み出したんだって思う。
そして、今の私が私に言い始めたこと。
「人生たかだか80年やん!」
どんなに生に執着しても、癌になって死ぬこともある。
交通事故で生涯を終えることだってないとはいえない。
生を持ってこの世に来たからにはとことん生き抜かなくてはいけないけれど、
だったら、同じ生をどう執着する?
たかだか80年の人生を何に使う?
あと、30年足らず。
息子の未来。
その子どもの未来。
できることはなんでもやろう。
どうせなら、もっと執着してやろう。
「生きることへの執着」。
それは身を守るということと同意語か?
それだけで、人生よかったと思えるのか?
いや、いや、絶対にちがう。
病気にならないようにとか、
事故に遭遇しないとか、
大切なことだけれど、
それが私の人生とするならば、私でなくてもいいわけだし。
だから、私の生きることへの執着は、どう生きるかを執着することだと思っている。
「わたしだからこんな風に生きる」という執着をしよう。
そう思うと、怖いものが何もなくなった。
50を過ぎるということは、こういうことなのか。
歳を取るのも悪くないね。
あと30年。
動けるのは30年ないかもしれない。
私の人生の最後の仕上げに入った気がする。

たま先生とほとんど同じ考えです。
いつ死んでもいいように生きてきたつもりですが、
私は私が好きなので私という個体に非常に執着していました。
この震災で、私として残りどれぐらいの人生があるなら
何をしたいかと再度自分に問いかけたら、
「私は残りの人生を後世を受け継いでいく子ども達が
少しでも笑顔で過ごせるようなココロとカラダで
いられるように私が出来る限りのお手伝いをする。」
という答えが返ってきました。
そして、今までと同じように全ての「命」を尊敬のココロで
感じ、感謝のココロで生きていこうと思っています。
これからの時代、サニーさんのような強い意志をお持ちの方が子供たちの支えになりますね。
ありがとうございます。