ロバートソン・スミスは、「供犠」を重視する。羊、牛・・・等を犠牲として神に捧げ、さらにその肉を、氏族全員で食べる。食事を共にすることによって、神と氏族、そして氏族のメンバー全体の結びつき(まさに絆)が更新・強化される、という。
これと似た話が、ギリシア神話にもある。ハーデースによって冥界にさらわれたペルセポネは、そこで出された食物に口をつけてしまった。だから彼女は、地上に帰れなくなった(あるいは、半年しか帰れなくなった)。食事を共にしたことで、冥界の一員になってしまったのだ。
スミスによれば、古代においては神もまた氏族のメンバーであり、人間たちと血縁関係にある、と考えられていた。「神聖さ」とは氏族全員の体内に流れる「血」のことであり、神が崇拝されるのは、自分たちと同じ血が流れているからだった。これは、今のキリスト教やイスラム教から見ればとんでもない考え方だが(人間は被造物に過ぎないから)、細かく見ていけばこれらの宗教の中にもこの時代の名残りを確認することができる、という。