ペルシアのクセルクセス王が、まだギリシアに攻め込む前のエピソード。ある男が、自分の息子の兵役免除を願い出たところ、クセルクセスは激怒。息子の体を真っ二つに斬って道の両側に置き、軍隊にその間を通過させた、という。
これとそっくりな供犠が、ロバートソン・スミスの「セム族の宗教」に出てくる。ローマ人のだったか、ゲルマン人のだったかは忘れたが、戦いに敗れた軍隊が、二つに切断した犠牲獣(ちなみに、人間ではない)の間を全力で駆け抜ける、というものだ。
この供犠の最初の形は、単に犠牲獣の血を兵士たちにふりかけるだけのものだったのだろう、とスミスは推測している。古代において、神と神聖なる獣と人間は血縁関係にあり、「三位一体」をなしていた。危機に陥った時、人々は神聖なる獣の血によって、神との「絆」を再構築しようとした。これがこの供犠の意味なのだ、という。
これをクセルクセスは、よりによって戦いの前にやってしまった。この時にペルシア戦争の結末は、決まっていたのかもしれない。