JRがまだ国鉄と言っていた、いやいや太平洋戦争よりも前の1939年の頃奈良県の
五條駅から和歌山県の新宮駅まで、山の中を走る鉄道・五新線が計画・着工され
ました。
工事途中に戦争で鉄が無くなって中断したりしたものの、1957年に工事を再開し、
1959年に五条駅から西吉野村・城戸(現・五條市西吉野町城戸)までの路線の地盤が
先行でてきあがりました。
ところが西吉野村の村内の鉄道の駅の数が少なく、西吉野村としては停留所の数の多い
バスにと鉄道の通過を反対しました。
城戸から先の阪本まで路盤工事を進めるとともに住民の意見を立てた、暫定使用で
バスを通すことになったそうです。
そのうえ、近鉄南大阪線・吉野線の延長で相互乗り入れし、野口 - 五条 - 阪本の
電化工事を負担し、さらに南海電車が橋本から気動車(ディーゼル)を乗り入れる案も
出て、盛り上がったように見えたのですが結局挫折、バス路線として存続することになり
ました。
鉄道の線路(単線)として進められていたのでその部分はバスだけの専用道になっていて
橋やトンネルも線路こそないけれど路線バスしか走ることがありませんでした。
路線はそれゆえに遮断機のある踏切は無くて一般道を横切るときもバスが一旦停止し
横切る車を優先にしていました。
2002年まではJRが運行していました。
五条での乗り換えの煩わしさがあったこと、並行道路の改良が進み専用道路の必要性が
薄れてきて2010年の10月でJRバスは撤退。
地元自治体の委託を受ける形で奈良交通のバスが運行されています。
賀名生(アノウ)の梅林や杉木立、柿の木の合間を通って長閑に走ります。
そんな幻の鉄道「五新線」の路盤を走る路線バスが9月30日をもって廃止となり、明日が
そのラスト・ランの日となります。
そんなお別れ会が27日、五條市西吉野町の専用道城戸バス停周辺で行われました。
乗ったことは無かったですが残念な気持ちでいっぱいです。
残念と言えば 御嶽山の噴火に巻き添えになった方々 と 二人の「たかこ」さん。
御嶽山の方はまだ発見されない登山者もいらっしゃるとか。
二人の「たかこ」さんは 土井たか子 さん と 上原多香子さん。
色々ありますね。
ご冥福をお祈りいたします。