昨日、簡単に説明した大和神社。
その成り立ちは神社の御由緒によると
日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)は大地主大神(おおとこぬしのおおかみ)で、
宮中内に天照大神と同殿共床で奉斎されたが、第十代崇神天皇六年に天皇が神威をおそれ、
天照大神を皇女豊鋤入姫命をして倭の笠縫邑に移されたとき、皇女淳名城入姫命(ぬなきいり
ひめ)に勅して、市磯邑(大和郷)に移されたのが当神社の創建であると伝えられている。
(2000余年前)
とある。
天皇はともかくとしても大神と言われている神が実在していたかどうかは定かでないので、一応
読むだけにしておきます。
奈良時代、朝廷の命により、唐の国へ渡って学ぶ遣唐使、その他使臣は、出発に際して、此処へ
参詣し、交通安全を祈願されたそうだ。
ここから大和高田を経て當麻の竹ノ内峠を越え、堺市の仁徳天皇陵付近
から船に乗って唐へ向かったのだ。
それから約1300年の後、世界最大最強を誇る戦艦の守護神とされました。
そんな関連があったことを今回訪れて初めて知りました。
境内には戦艦大和展示室があってちょっと覗いてみました。
正直なところ、広島県・呉市の大和ミュージアムの壮大な資料や模型を見た経験があるので
1m少しのプラモデルには苦笑いをしてしまいました。
終戦前の昭和20年4月7日、戦艦大和は沖縄南方にて轟沈しました。
その英霊、第二艦隊司令長官伊藤整一命外、2,736柱と護衛艦の方々が境内の
石碑の横の祖霊社に合祀されています。
海無し県の奈良県内にそんな船との関わりがある神社があったとは面白いですね。
「拝殿」の南側の奥まった場所に摂社の「高おおかみ神社」がありました。
「高おおかみ神社」には水源の神様である水師大神が祀られています。
神徳は天候、産業を司り水利を授けるとされ、祈雨、祈晴、暴風雨除けを祈る人は多く、
例祭の6月1日には多くの参拝者が遠方から訪れるようでした。
鳥居から社までの両側の幟にはかなり遠くからのおところが書かれてあるのもありました。
水の神、商売繁盛の神と書いてあったら参拝せずに帰るわけにはいきませんもんね。
しっかり神頼みしてきました。