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長野県元気づくり支援金事業・「先人のいきざまを後世に伝える事業」で、民話作家の高田充也先生を招いての2日目の講演会を開催しました。岡田地区をはじめ東山部には多くの民話が残っています。岡田に関連したものでいえば、六助池の狐、商人石、ちょが池の話などがあります。部会では一回目の聞き取り調査を終え、資料を整理し2回目の調査を行い、民話を書き下ろしていく予定です。
ちょが池(稚児池)
むかし、岡田の伊深に、暮らしはまずしかったが、大層親切なお爺さんが住んでいました。
ある日、お爺さんが外へ出ると、幼子が泣いていて、そのそばに母親が倒れていました。
「これは大変だ」
驚いたお爺さんは、やっとのことで母親を家まで連れてきました。母親は苦しげに、
「すみません。善光寺詣りへ行く途中ですが、疲れが重なって、ここまでくると目まいがして、倒れてしまいました。お世話をかけてすみません」
と、礼をいいました。
「いえいえ、こんなむさ苦しいところで良かったら、体が しっかりするまで、いく日でも泊まっていっておくれ」
お爺さんは笑顔で答えました。
一夜明けた朝のことでした。
「お爺さん、池へ連れていって、神さまが、お母さんのお薬を下さるって」
女の子の夢のお告げをきいて、
「これは、女の子の母を思う気持ちが、神さまに通じたのだ。お椀やお膳のように神さまが心配して下さるに違いない」
とお爺さんは思い、すぐに女の子の手をひいて池へ急ぎました。池のふちには、女の子が夢の中で見たと同じ薬の袋が置いてありました。女の子とお爺さんは、池からとびかえり、母親に飲ませました。すると、母親の病気は、めきめきと良くなり、三日たつと、元の体に戻りました。母親と女の子はお礼を言って、善光寺へと旅立って行きました。
それから後、この池は『ちょが池』と呼ばれ、今では近くの人達が祠を建てて、大事に祀っています。
(語りつぐ民話 高田充也 作)
この話は伊深に伝わる民話です。現在は祠も無く、『稚児の池権現』の石碑が建てられ、近所の心ある人たちがお参りをしている。