最終的には国民・消費者の選択
長期的・総合的な利益と費用を考慮せずに、食料などの国内生産が縮小しても貿易自由化を推進すべきとする「自由貿易の利益」を語るのは見直す必要がある。まず、各国が国内の食料生産を維持することは、短期的には輸入農産物より高コストであっても、目先の安さのみしか見ていなかった原子力発電の取り返しのつかない大事故でも思い知らされたように、輸出規制が数年間も続くような「お金を出しても食料が買えない」不測の事態のコストを考慮すれば、実は、国内生産を維持するほうが長期的なコストは低いのである。
そして、狭い視野の経済効率だけで、市場競争に任せることは、人の命や健康にかかわる安全性のためのコストが切り詰められてしまうという重大な危険をもたらす。特に、日本のように、食料自給率がすでに39%まで低下して、食料の量的確保についての安全保障が崩れてしまうと、安全性に不安があっても輸入に頼らざるを得なくなる。つまり、量の安全保障と同時に質の安全保障も崩される事態を招いてしまうのである。
環境からの大きなしっぺ返しが襲ってくるコストも考慮されていない。環境負荷のコストを無視した経済効率の追求で地球温暖化が進み、異常気象が頻発し、ゲリラ豪雨が増えた。狭い視野の経済効率の追求で、林業や農業が衰退し、山が荒れ、耕作放棄地が増えたため、ゲリラ豪雨に耐えられず、洪水が起きやすくなっている。全国に広がる鳥獣害もこれに起因する。すべて「人災」なのである。
そして、農林水産業の衰退は、伝統文化も含む地域コミュニティの崩壊・消滅につながる。一部の人々の儲けが大幅に増大したとしても、地域の大多数の人々の生活は崩壊し、所得格差が拡大し、失業も増える。
見落とされているのは、「分配の公平性」の問題に加え、失業者が増えることによる社会的コスト、価格競争で安全性が疎かになるコスト、環境にダメージを与えるコスト、不測の事態に備えるコスト、地域社会が失われるコストなどである。総合的・長期的な損失を考慮しない「今だけ、金だけ、自分だけ」の視点で突き進んでくのは、結局、みなが「泥船」に乗って沈んでいくようなものである。目先の利益を得たつもりの者も、自分たちも持続できなくなることを気付くべきである。
結局、安さを求めて、国内農家の時給が1,000円未満になるような「しわ寄せ」を続け、海外から安いものが入ればいい、という方向を進めることで、国内生産が縮小することは、ごく一部の企業が儲かる農業を実現したとしても、国民全体の命や健康、そして環境のリスクは増大してしまう。自分の生活を守るためには、安全保障も含めた多面的機能の価値も付加した価格が正当な価格であると消費者が考えるかどうかである。そして、価格に反映しきれない部分は、全体で集めた税金から対価を補填する。これは保護ではなく、様々な安全保障を担っていることへの正当な対価である。それが農業政策である。農家にも最大限の努力はしてもらうのは当然だが、それを正当な価格形成と追加的な補填(直接支払い)で、全体として、作る人、加工する人、流通する人、消費する人、すべてが持続できる社会システムを構築する必要がある。
TPP交渉決着以前の時点で、TPP不安の蓄積も影響して、農村現場の疲弊は進んでいるが、先述のとおり、日本では、欧米のような直接支払いによる農業所得のセーフティネットの形成について、コメや酪農に象徴されるように、抜本的な対策は必要ないとの姿勢が崩されていない。過去5年の平均で収入変動をならすだけでは、最低限確保されるべき所得が確保できる保証がなく、生産者は将来見通しを持って、投資計画を立てることができない。このままでは、国民への基礎食料の供給がままならない事態が起こりうる。米国のように、保証される所得水準は高くなくても、最低限の所得の目安が持てるように、どういう水準になったら、どれだけの政策が発動されるという予見可能なシステマティクな政策を取り入れるべき岐路にあると思われる。ウルグアイラウンド決着時の6兆100億円や、2008~2009年の畜産危機での緊急支払いのような一時的な特別措置の「つかみ金」では実質的な有効性は低く、持続的な効果はない。政策発動がシステムとして組み込まれ、予見可能になると、政治家などが自身の力で実現したという体裁が取れなくなるため嫌う人たちもいるが、そのような身勝手は論理では現場はたまらない。生産現場が安心して、どこまでは自助努力で頑張り、どういうときには、政策がここまではサポートしてくれると見通して努力できるシステムを今こそ確立しておくべきである。そういう点で、米国の農業政策は、よく仕組まれている。ある面では、盲目的ともいえる米国追従を続けながら、どうして、いいところは真似しないのか。消費者も、自身の安全・安心な暮らしを守る観点から、いかに食料価格形成に関与し、自分たちの税金で直接支払いして対価を払う部分のあり方についても、政府に提案していく姿勢を持つべきではないか。農業政策は、農家保護ではなく、国民全体の安全保障費なのだと考える必要がある。
水田の4割も抑制するために農業予算を投入するのではなく、国内生産基盤をフルに活かして、「いいものを少しでも安く」売ることで販路を拡大する戦略が必要である。米粉、飼料米などに主食米と同等以上の所得を補填し、販路拡大とともに備蓄機能も拡充しながら、将来的には主食の割り当ても必要なくなるように、全国的な適地適作へと誘導すべきである。拡充した備蓄米を機動的に活用して10億人に近い世界の栄養不足人口の縮小に日本のコメで貢献することも視野に入れて、日本からの食料援助を増やす戦略も重要である。備蓄運用も含めて、そのために必要な予算は、日本と世界の安全保障につながる防衛予算でもあり、海外援助予算でもあるから、狭い農水予算の枠を超えた日本の世界貢献のための国家戦略予算をつけられるように、予算査定システムの抜本的改革が必要である。