ビジネス・社会システムの原点に返る~「3だけ主義」から「三方よし」へ
今の日本では、「今だけ、金だけ、自分だけ」=「3だけ主義」で、どこかにしわ寄せをして自らの目先の利益を追求する風潮が強いように思われる。買いたたきや安売りをしても、結局誰も幸せになれない。それでは、結局、皆が「泥船」乗って沈んでいくようなものである。「3だけ主義」でなく、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」でなくては社会の持続的で均衡ある発展(inclusive growth)は望めない。皆が持続的に幸せになれるような適正な価格形成を関係者が一緒に検討すべきである。安さを求める消費者とマーケットパワーの強い小売部門が食料の産地や加工部門に安さを強いることが結果的に安全・安心を破壊し、生産そのものも縮小させてしまい、国民の食の安全保障を質的にも量的にも崩壊させる。消費者と小売部門も結局自らの首を絞めている。食料に安さだけを追求することは命を削ること、次の世代に負担を強いること、その覚悟があるのか、ぜひ考えてほしい。
以前に比較して、政治や企業のリーダーは「今だけ、金だけ、自分だけ」の追求については極めて有能であるが、社会全体の発展や持続性を考慮する資質は明らかに落ちてきているように思われる。巨額の個人的利益を得ている一部の人が、政府の中枢に入り込んで、「規制緩和」の旗印の下に、露骨に、さらに貪欲に「今だけ、金だけ、自分だけ」で、多くの国民の生活を犠牲にしつつ、私益を追求する行為は目に余るものがある。
また、市場支配力が存在する市場での「規制緩和」は市場の歪みを是正するのではなく、さらに一部の利益を増大させる形で市場の歪みを増幅することを認識しなくてはいけないにもかかわらず、独占・寡占は放っておいても是正されるとして、「とにもかくにも規制緩和」を主張するシカゴ学派の論理展開は、いかに特定の人々に都合が理屈であるかと思わざるを得ない。
ヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんは、『いよいよローカルの時代~ヘレナさんの「幸せの経済学」』(ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ、辻信一、大槻書店、2009年)の中で、概略、次のように述べている。「多国籍企業は全ての障害物を取り除いてビジネスを巨大化させていくために、それぞれの国の政府に向かって、ああしろ、こうしろと命令する。選挙の投票によって私達が物事を決めているかのように見えるけれども、実際にはその選ばれた代表たちが大きなお金と利権によって動かされ、コントロールされている。しかも多国籍企業という大帝国は新聞やテレビなどのメディアと科学や学問といった知の大元を握って私達を洗脳している。」やや極端な言い回しではあるが、こうした事態からの脱却が、本当の意味で、「日本を取り戻す」ために急務と思われる。
このままでは、我々が伝統的に大切にしてきた助け合い、支え合う安全・安心な地域社会は、さらに崩壊していく。しかし、「今だけ、金だけ、自分だけ」では持続的な地域の発展も、国民の命も守ることもできない。地域を守ってきた人々や相互扶助組織は不当な攻撃に屈するわけにはいかない。我々が発展してこられたのは、「3だけ主義」と正反対の取組みをしてきたからである。自己の目先の利益だけを考えているものは持続できない。持続できるものは、地域全体の将来とそこに暮らすみんなの発展を考えている。我々には地域の産業と生活を守る使命がある。このような流れに飲み込まれないように踏ん張って、自分たちの地域の食と暮らしを守り、豊かな日本の地域社会を次の世代に引き継ぐために、今こそ奮闘すべきときである。
一方、TPPで利益を期待する「1%」の方々は「3だけ主義」(今だけ、金だけ、自分だ)に陥らず、「3方よし」(売り手よし、買い手よし、世間よし)で、人の健康、雇用者の生活、環境にも配慮して、遍く行き渡る均衡ある(inclusive)発展を目指すことこそが自身の企業経営と経済社会の持続の道なのだということを思い出していただきたい。
筆者は競争を否定しているのではない。結局は、競争の名目で、負担が一部の人に押し付けられる。安さを求める消費者とマーケットパワーの強い小売部門が食料の産地や加工部門に安さを強いることが結果的に安全・安心を破壊し、生産そのものも縮小させてしまい、国民の食の安全保障を質的にも量的にも崩壊させる。消費者と小売部門も結局自らの首を絞めている。タクシー業界やバス業界の規制緩和も同じである。結局、経営陣はツケを、賃金カット、安全性の対策費のカットに回してしまい、働く人も利用者も危険にさらされ、皆が泥船に乗っていることに気付かなくてはならない。そこには持続性のある均衡ある発展(Inclusive Growth)はない。
つまり、規制緩和すべき側面もあろうが、ただ、市場における強者が弱者にしわ寄せするような競争ではなく、全体が持続できるような市場の相互扶助的ルールが必要なのである。つまり、最適点は、保護か競争かの極論ではなく、その中間のGolden Mean(中庸)にある。それを提示できる理論が必要である。
筆者は、経済学を否定しているのでもない。世界の1%の巨富が増えて99%が貧困化しても世界全体の富が増加すれば効率化された(実際、「世界の最富裕層1%の保有資産、残る99%の総資産額を上回る」とのデータも出されている。http://www.afpbb.com/articles/-/3073560?cx_part=nowon_txt) とし、独占・寡占を取るに足らぬ問題として、規制緩和=一層の富の集中を後押しする「経済学」がおかしいのである。競争を否定しないが、ルールなき競争でなく、Inclusive Growth につながる市場の条件整備やルールが不可欠であり、その最適な水準を提案できるGolden Mean(中庸)の経済学が必要である。
社会で、そうした議論ができるためには、すべての分野について、経営陣と労働組合のパワーバランスのような、正常なカウンターベイリング・パワー(拮抗力)の存在が不可欠である。現在の日本は、政治も市場も、一方の 強大な力が強くなりすぎ、対抗する力がさらに巧妙に潰され、社会が極めて偏った危険な方向に突進しかねない状況にある。内閣での外務・経産省vs農水省、政治での官邸vs党、与党vs野党、官邸vsメディア、市場における小売vs製造vs農家など、あらゆる側面で正常なパワーバランスが失われている。1日も早く、社会の諸力のバランスを回復しないと危うい。
今の日本では、「今だけ、金だけ、自分だけ」=「3だけ主義」で、どこかにしわ寄せをして自らの目先の利益を追求する風潮が強いように思われる。買いたたきや安売りをしても、結局誰も幸せになれない。それでは、結局、皆が「泥船」乗って沈んでいくようなものである。「3だけ主義」でなく、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」でなくては社会の持続的で均衡ある発展(inclusive growth)は望めない。皆が持続的に幸せになれるような適正な価格形成を関係者が一緒に検討すべきである。安さを求める消費者とマーケットパワーの強い小売部門が食料の産地や加工部門に安さを強いることが結果的に安全・安心を破壊し、生産そのものも縮小させてしまい、国民の食の安全保障を質的にも量的にも崩壊させる。消費者と小売部門も結局自らの首を絞めている。食料に安さだけを追求することは命を削ること、次の世代に負担を強いること、その覚悟があるのか、ぜひ考えてほしい。
以前に比較して、政治や企業のリーダーは「今だけ、金だけ、自分だけ」の追求については極めて有能であるが、社会全体の発展や持続性を考慮する資質は明らかに落ちてきているように思われる。巨額の個人的利益を得ている一部の人が、政府の中枢に入り込んで、「規制緩和」の旗印の下に、露骨に、さらに貪欲に「今だけ、金だけ、自分だけ」で、多くの国民の生活を犠牲にしつつ、私益を追求する行為は目に余るものがある。
また、市場支配力が存在する市場での「規制緩和」は市場の歪みを是正するのではなく、さらに一部の利益を増大させる形で市場の歪みを増幅することを認識しなくてはいけないにもかかわらず、独占・寡占は放っておいても是正されるとして、「とにもかくにも規制緩和」を主張するシカゴ学派の論理展開は、いかに特定の人々に都合が理屈であるかと思わざるを得ない。
ヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんは、『いよいよローカルの時代~ヘレナさんの「幸せの経済学」』(ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ、辻信一、大槻書店、2009年)の中で、概略、次のように述べている。「多国籍企業は全ての障害物を取り除いてビジネスを巨大化させていくために、それぞれの国の政府に向かって、ああしろ、こうしろと命令する。選挙の投票によって私達が物事を決めているかのように見えるけれども、実際にはその選ばれた代表たちが大きなお金と利権によって動かされ、コントロールされている。しかも多国籍企業という大帝国は新聞やテレビなどのメディアと科学や学問といった知の大元を握って私達を洗脳している。」やや極端な言い回しではあるが、こうした事態からの脱却が、本当の意味で、「日本を取り戻す」ために急務と思われる。
このままでは、我々が伝統的に大切にしてきた助け合い、支え合う安全・安心な地域社会は、さらに崩壊していく。しかし、「今だけ、金だけ、自分だけ」では持続的な地域の発展も、国民の命も守ることもできない。地域を守ってきた人々や相互扶助組織は不当な攻撃に屈するわけにはいかない。我々が発展してこられたのは、「3だけ主義」と正反対の取組みをしてきたからである。自己の目先の利益だけを考えているものは持続できない。持続できるものは、地域全体の将来とそこに暮らすみんなの発展を考えている。我々には地域の産業と生活を守る使命がある。このような流れに飲み込まれないように踏ん張って、自分たちの地域の食と暮らしを守り、豊かな日本の地域社会を次の世代に引き継ぐために、今こそ奮闘すべきときである。
一方、TPPで利益を期待する「1%」の方々は「3だけ主義」(今だけ、金だけ、自分だ)に陥らず、「3方よし」(売り手よし、買い手よし、世間よし)で、人の健康、雇用者の生活、環境にも配慮して、遍く行き渡る均衡ある(inclusive)発展を目指すことこそが自身の企業経営と経済社会の持続の道なのだということを思い出していただきたい。
筆者は競争を否定しているのではない。結局は、競争の名目で、負担が一部の人に押し付けられる。安さを求める消費者とマーケットパワーの強い小売部門が食料の産地や加工部門に安さを強いることが結果的に安全・安心を破壊し、生産そのものも縮小させてしまい、国民の食の安全保障を質的にも量的にも崩壊させる。消費者と小売部門も結局自らの首を絞めている。タクシー業界やバス業界の規制緩和も同じである。結局、経営陣はツケを、賃金カット、安全性の対策費のカットに回してしまい、働く人も利用者も危険にさらされ、皆が泥船に乗っていることに気付かなくてはならない。そこには持続性のある均衡ある発展(Inclusive Growth)はない。
つまり、規制緩和すべき側面もあろうが、ただ、市場における強者が弱者にしわ寄せするような競争ではなく、全体が持続できるような市場の相互扶助的ルールが必要なのである。つまり、最適点は、保護か競争かの極論ではなく、その中間のGolden Mean(中庸)にある。それを提示できる理論が必要である。
筆者は、経済学を否定しているのでもない。世界の1%の巨富が増えて99%が貧困化しても世界全体の富が増加すれば効率化された(実際、「世界の最富裕層1%の保有資産、残る99%の総資産額を上回る」とのデータも出されている。http://www.afpbb.com/articles/-/3073560?cx_part=nowon_txt) とし、独占・寡占を取るに足らぬ問題として、規制緩和=一層の富の集中を後押しする「経済学」がおかしいのである。競争を否定しないが、ルールなき競争でなく、Inclusive Growth につながる市場の条件整備やルールが不可欠であり、その最適な水準を提案できるGolden Mean(中庸)の経済学が必要である。
社会で、そうした議論ができるためには、すべての分野について、経営陣と労働組合のパワーバランスのような、正常なカウンターベイリング・パワー(拮抗力)の存在が不可欠である。現在の日本は、政治も市場も、一方の 強大な力が強くなりすぎ、対抗する力がさらに巧妙に潰され、社会が極めて偏った危険な方向に突進しかねない状況にある。内閣での外務・経産省vs農水省、政治での官邸vs党、与党vs野党、官邸vsメディア、市場における小売vs製造vs農家など、あらゆる側面で正常なパワーバランスが失われている。1日も早く、社会の諸力のバランスを回復しないと危うい。