不完全な市場は民間任せでなく公正な取引のための政策介入が必要
欧米では小売サイドの大型化による市場支配力の強化によって酪農家が不利にならないように、政策介入が当然のものとして行われている。市場の機能に問題があり、適正な価格が形成されない場合には、市場介入は正当化される。それが欧米の認識である。
米国では、ミルク・マーケティング・オーダー(FMMO)制度の下、政府が、乳製品市況から逆算した加工原料乳価をメーカーの最低支払い義務乳価として設定し、それに全米2,600の郡(カウンティ)別に定めた「飲用プレミアム」を加算して地域別のメーカーの最低支払い義務の飲用乳価を毎月公定している。それでも、飼料高騰などで取引乳価がコストをカバーできない事態に備えて、最低限の「乳代-餌代」を下回ったら政府が補填する仕組みも組み合わせている。
さらには、米国の酪農協は、脱脂粉乳やバターへの加工施設(余乳処理工場)を酪農協自らが持ち、需給調整機能を生産者サイドが担える体制を整えることによって、飲用乳の価格交渉力を強めているが、これが米国で可能な背景には、米国政府が余剰乳製品の買上げ制度を維持し、国内外への援助物資などによる最終的販路を準備していることも大きい。今回の我が国の生乳取引改善策の検討では、民間ベースの改善努力のみが議論されているが、それだけでは解決できない問題だという認識を持たないと手遅れになる。
不完全な市場の規制緩和は不当な価格形成を助長する
今でも小売に「買いたたかれて」いるのに、「対等な競争条件」のために、生産者に与えられた共販の独禁法適用除外をやめるべきだという議論は、今でさえ不当な競争条件をさらに不当にし、小売に有利にするものであり、市場の歪みを是正するどころか悪化させる、誤った方向性であることを改めて認識しないといけない。
対照的なカナダ・スイス~「三方よし」の価格形成
2014年9月現在では、バンクーバー近郊のスーパー店頭の全乳1リットル紙パック乳価は3ドル(約300円)で、日本より大幅に高い。日本と比較して、メーカーのMMBへの支払飲用乳価(1ドル=約100円、日本とほぼ同水準)と小売価格との差は、小売価格が生産者乳価の3倍と大きい。
カナダでは、制度的支えの下での「州唯一の独占集乳・販売ボード(MMB)、寡占的メーカー、寡占的スーパー」という市場構造に基づくパワーバランスによって、生・処・販のそれぞれの段階が十分な利益を得た上で、最終的には消費者に高い価格を負担してもらい、消費者も安全・安心な国産牛乳・乳製品(米国の成長ホルモン入り牛乳は不安)の確保のために、それに不満を持っていないのである。つまり、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」の価格形成が実現されているのである。ただし、そのためには、TPPで断固たる対応が必要になり、カナダはそれを押し通している。
真に強い農業とは何か。規模拡大してコストダウンすれば強い農業になるだろうか。規模拡大してコストダウンする努力は重要だが、日本の土地条件の制約の下では、それだけでは、オーストラリアや米国に一ひねりで負けてしまう。少々高いけれども、徹底的に物が違うからあなたの物しか食べたくないという人がいてくれることが重要だ。そういうホンモノを提供する生産者とそれを理解する消費者との絆、ネットワークこそが強い農業ではないか(注)。
スイスの卵の話も象徴的である。スイスでは、生産過程において、ナチュラルとか有機とか動物愛護とか、生物多様性とか美しい景観とかにも配慮すれば、できた物もホンモノで安全でおいしい。これらはつながっているので、スイス国民は、これを当たり前として支える。高いのではなくこれが当たり前なのだという感覚だ。実例として、筆者も見てきたが、輸入物の5倍もするような1個80円もする国産の卵のほうが売れていた。小学生ぐらいの女の子が買っていて、聞いた人がいた。その子は「これを買うことで生産者の皆さんの生活も支えられ、そのお陰で私達の生活も成り立つのだから当たり前でしょう」といとも簡単に答えたという。
このスイスの卵の例のように、これだけ高く買われていても、スイスでは生産費用も高いので、高くても買おうというときの理由と同様の根拠(環境、動物福祉、生物多様性、景観等)に基づいて、スイスの農家の農業所得の95%が政府からの直接支払いで形成されている。イタリアの稲作地帯では、水田にオタマジャクシが棲めるという生物多様性、ダムとしての洪水防止機能、水を濾過してくれる機能、こういう機能が米の値段に十分反映できてないなら、みんなでしっかりとお金を集めて払わないといけないとの感覚が直接支払いの根拠になっている。
根拠をしっかりと積み上げ、予算化し、国民の理解を得ている。スイスでは、環境支払い(豚の食事場所と寝床を区分し、外にも自由に出て行けるように飼うと)230万円、生物多様性維持への特別支払い(草刈りをし、木を切り、雑木林化を防ぐことでより多くの生物種を維持する作業)170万円などときめ細かい。個別具体的に、農業の果たす多面的機能の項目ごとに支払われる直接支払額が決められているから、消費者も自分たちの応分の対価の支払いが納得でき、直接支払いもバラマキとは言われないし、農家もしっかりそれを認識し、誇りをもって生産に臨める (安く売って補填で凌ぐのでは誇りを失うとの農家の声も多いので、農家の努力に見合う価格形成を維持し、高く買ったメーカーや消費者に補填するような政策も検討すべきではあるが)。一方の日本での漠然とした「多面的機能論」は、国民からは保護の言い訳だと言われてしまいがちである。欧米のように、消費者が自分たちの生存に不可欠で環境も地域も守る農業の生産物に応分の負担をして、しっかりとした値段で購入し、さらに足りない部分は税金からの多面的機能の具体的項目ごとに直接支払いで対価を支払うというシステムを日本に確立する必要があろう。
(注)コストでは負けても品質で負けてはならないのに、小麦などは、一般には、品質も海外産のほうがいいと言われている。これでは話にならない。引き合いが殺到するような自慢の品質を確立すべきである。個々が自身のオリジナル・ブランドを確立し、個別の販売ルートを確立し、販売力を高めることが重要だが、ブランド力はある程度量をまとめて供給できることによって強化される。全体の組織的結集力を軽視してしまうと価格形成力を弱めてしまう。「私の顧客づくり」なくしてはブランド力の強化はできないが、「カウンターベイリング・パワー」(拮抗力)の形成なくしては小売などの買手の市場支配力には対抗できない。つまり、組織力の強化と個別の「私の顧客づくり」とを矛盾させるのではなく、最高の形で融合させていくことが求められる。
欧米では小売サイドの大型化による市場支配力の強化によって酪農家が不利にならないように、政策介入が当然のものとして行われている。市場の機能に問題があり、適正な価格が形成されない場合には、市場介入は正当化される。それが欧米の認識である。
米国では、ミルク・マーケティング・オーダー(FMMO)制度の下、政府が、乳製品市況から逆算した加工原料乳価をメーカーの最低支払い義務乳価として設定し、それに全米2,600の郡(カウンティ)別に定めた「飲用プレミアム」を加算して地域別のメーカーの最低支払い義務の飲用乳価を毎月公定している。それでも、飼料高騰などで取引乳価がコストをカバーできない事態に備えて、最低限の「乳代-餌代」を下回ったら政府が補填する仕組みも組み合わせている。
さらには、米国の酪農協は、脱脂粉乳やバターへの加工施設(余乳処理工場)を酪農協自らが持ち、需給調整機能を生産者サイドが担える体制を整えることによって、飲用乳の価格交渉力を強めているが、これが米国で可能な背景には、米国政府が余剰乳製品の買上げ制度を維持し、国内外への援助物資などによる最終的販路を準備していることも大きい。今回の我が国の生乳取引改善策の検討では、民間ベースの改善努力のみが議論されているが、それだけでは解決できない問題だという認識を持たないと手遅れになる。
不完全な市場の規制緩和は不当な価格形成を助長する
今でも小売に「買いたたかれて」いるのに、「対等な競争条件」のために、生産者に与えられた共販の独禁法適用除外をやめるべきだという議論は、今でさえ不当な競争条件をさらに不当にし、小売に有利にするものであり、市場の歪みを是正するどころか悪化させる、誤った方向性であることを改めて認識しないといけない。
対照的なカナダ・スイス~「三方よし」の価格形成
2014年9月現在では、バンクーバー近郊のスーパー店頭の全乳1リットル紙パック乳価は3ドル(約300円)で、日本より大幅に高い。日本と比較して、メーカーのMMBへの支払飲用乳価(1ドル=約100円、日本とほぼ同水準)と小売価格との差は、小売価格が生産者乳価の3倍と大きい。
カナダでは、制度的支えの下での「州唯一の独占集乳・販売ボード(MMB)、寡占的メーカー、寡占的スーパー」という市場構造に基づくパワーバランスによって、生・処・販のそれぞれの段階が十分な利益を得た上で、最終的には消費者に高い価格を負担してもらい、消費者も安全・安心な国産牛乳・乳製品(米国の成長ホルモン入り牛乳は不安)の確保のために、それに不満を持っていないのである。つまり、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」の価格形成が実現されているのである。ただし、そのためには、TPPで断固たる対応が必要になり、カナダはそれを押し通している。
真に強い農業とは何か。規模拡大してコストダウンすれば強い農業になるだろうか。規模拡大してコストダウンする努力は重要だが、日本の土地条件の制約の下では、それだけでは、オーストラリアや米国に一ひねりで負けてしまう。少々高いけれども、徹底的に物が違うからあなたの物しか食べたくないという人がいてくれることが重要だ。そういうホンモノを提供する生産者とそれを理解する消費者との絆、ネットワークこそが強い農業ではないか(注)。
スイスの卵の話も象徴的である。スイスでは、生産過程において、ナチュラルとか有機とか動物愛護とか、生物多様性とか美しい景観とかにも配慮すれば、できた物もホンモノで安全でおいしい。これらはつながっているので、スイス国民は、これを当たり前として支える。高いのではなくこれが当たり前なのだという感覚だ。実例として、筆者も見てきたが、輸入物の5倍もするような1個80円もする国産の卵のほうが売れていた。小学生ぐらいの女の子が買っていて、聞いた人がいた。その子は「これを買うことで生産者の皆さんの生活も支えられ、そのお陰で私達の生活も成り立つのだから当たり前でしょう」といとも簡単に答えたという。
このスイスの卵の例のように、これだけ高く買われていても、スイスでは生産費用も高いので、高くても買おうというときの理由と同様の根拠(環境、動物福祉、生物多様性、景観等)に基づいて、スイスの農家の農業所得の95%が政府からの直接支払いで形成されている。イタリアの稲作地帯では、水田にオタマジャクシが棲めるという生物多様性、ダムとしての洪水防止機能、水を濾過してくれる機能、こういう機能が米の値段に十分反映できてないなら、みんなでしっかりとお金を集めて払わないといけないとの感覚が直接支払いの根拠になっている。
根拠をしっかりと積み上げ、予算化し、国民の理解を得ている。スイスでは、環境支払い(豚の食事場所と寝床を区分し、外にも自由に出て行けるように飼うと)230万円、生物多様性維持への特別支払い(草刈りをし、木を切り、雑木林化を防ぐことでより多くの生物種を維持する作業)170万円などときめ細かい。個別具体的に、農業の果たす多面的機能の項目ごとに支払われる直接支払額が決められているから、消費者も自分たちの応分の対価の支払いが納得でき、直接支払いもバラマキとは言われないし、農家もしっかりそれを認識し、誇りをもって生産に臨める (安く売って補填で凌ぐのでは誇りを失うとの農家の声も多いので、農家の努力に見合う価格形成を維持し、高く買ったメーカーや消費者に補填するような政策も検討すべきではあるが)。一方の日本での漠然とした「多面的機能論」は、国民からは保護の言い訳だと言われてしまいがちである。欧米のように、消費者が自分たちの生存に不可欠で環境も地域も守る農業の生産物に応分の負担をして、しっかりとした値段で購入し、さらに足りない部分は税金からの多面的機能の具体的項目ごとに直接支払いで対価を支払うというシステムを日本に確立する必要があろう。
(注)コストでは負けても品質で負けてはならないのに、小麦などは、一般には、品質も海外産のほうがいいと言われている。これでは話にならない。引き合いが殺到するような自慢の品質を確立すべきである。個々が自身のオリジナル・ブランドを確立し、個別の販売ルートを確立し、販売力を高めることが重要だが、ブランド力はある程度量をまとめて供給できることによって強化される。全体の組織的結集力を軽視してしまうと価格形成力を弱めてしまう。「私の顧客づくり」なくしてはブランド力の強化はできないが、「カウンターベイリング・パワー」(拮抗力)の形成なくしては小売などの買手の市場支配力には対抗できない。つまり、組織力の強化と個別の「私の顧客づくり」とを矛盾させるのではなく、最高の形で融合させていくことが求められる。