2011年3月11日の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から8年が経過している。毎年いわき市や南相馬市などを訪れ、津波の被災からの復興状況や原発事故のその後について視察を行ってきましたが、今年は11月4日に行ってきました。
台風19号により長野県においても大きな被害をもたらしましたが、関東から東北にかけても大きな被害をもたらしました。とりわけ福島県内においては全国で最も多い死者31人となりました。続いて台風21号の降雨でさらに被害が拡大したそうです。
状況を話してくれたいわき自由労組の桂木さんは、気づいた時には夏井川が氾濫し避難場所へ行く間もなく、三階建てのアパートの二階の踊り場まで駆け上がるのが精いっぱいだったそうです。隣のおばあちゃんは、発泡スチロールの畳が船の役割をして流れ込んできた水と天井の狭間で助け出されたそうです。友達の母親は、助けに来た友達の目の前を川に飲み込まれていったそうです。
いわき市内全域に避難指示が次から次と出され、「警報が鳴りっぱなし。34万人に避難指示が出されても避難所の収容人数は7000人で、いったいどこへ避難をしろというのか」という声や、県営住宅の管理をしている方からは「県営住宅で被災した高齢者が4階に住んでいるが、トイレが使えず、一階の外にある仮設トイレを使ってくれと言われても降りていけない。とても寄り添っているとはいいがたい」など、様々な声が聞かれました。
また、「原発事故の除染処理をしたフレコンパックが流れ出したが、どこに行ったか分からない」といった深刻な事態も起きていました。
その後、被災現場を視察しました。一階の窓の汚れがあるところまで水が流れ込んできたアパートの被災現場です。
そのアパートの隣を流れていた夏井川の氾濫か所で、応急処理がされていました。
街のあちこちに災害瓦礫が積み上げられていました。市内では自衛隊の災害支援隊が瓦礫の片づけをしていました。