(写真は、楢川小学校の給食の記事)
同僚の続木県議と塩尻市楢川の木曽漆器工業協同組合を尋ねました。
きっかけは、県政レポートを配布しているときに和田の花をやっている高校の先輩で上條信太郎さんと話をしていて、「10年20年先を見て地域づくりを考えていかなければあならない。松枯れの山に漆を植えるというのはどうか」と示唆をいただいたことがきっかけです。
さて、漆の分かは縄文時代まで遡るのだそうで、北海道で9千年前のものが出ているとのこと。長野県内では朝日村、長和町で確認されている。安土桃山時代には金閣寺などで使われ、今日の基礎ができたそうだ。出島を通じて広く海外でも日本の漆器が流通していた。
漆はアジアの文化で、ミャンマー、ベトナム、中国で使われている。福井県鳥浜では12600年前の漆の木が出土しているので、もともと日本にも自生していたのではないか。
ミャンマーの漆は、民主化が進められているとき、楢川との交流が始まり、4-5年続いた。協定を結び、女性の交流団を送ったこともある。芸大の松村先生を通じて交流してきた。
ブータンからも研修生を受け入れたことがある。
現在、松本市中山、塩尻市片丘などで漆の木は1.3ha管理し800本植えてある。「漆は寂しがり屋で里を好む」と言われている。肥沃な土地で水はけのよい土地が適地。漆を木からとる、「かきこ」が不足していて、岩手県二戸市浄法寺へ研修にいく。
現在、漆の9割は輸入。ピークには30トン輸入していたが、今は0.4トン。中国と国交がない時代でも木曽日中貿易会社をつくって直輸入してきた。
3-4年前、文化庁から文化財の修復には日本産の漆を使うよう指導があり、定期的に修復がある日光東照宮や名古屋城で使われ、国産漆は品薄状態。
長野雄県内では、漆の掻き子は一人だけ。伝統的産業や技術を育てる支援が必要だ。
(お話を聞いた道の駅楢川のすぐ前で、8月の豪雨で土砂崩れがあり、JR中央西線が不通となった。参考までに写真を掲載しておく)
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