リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

名声と実力

2021年01月18日 12時55分30秒 | 音楽系
100mを9秒58で走ったウサイン・ボルトは世界一の実力者でありその名声をほしいままにしています。69連勝を果たした横綱の双葉山も角界史随一の実力者であり没後50年以上経った今でもその名声に陰りはありません。その実力は数値でも示すことができ、少なくともその部分に関しては誰でもわかります。

時計で計測できたり、勝った負けたできまるスポーツではその実力は非常に明確に提示できます。ただフィギュア・スケートやアーティスティックスイミング(シンクロ)、ボクシングの判定などだと主観的要素が入り若干微妙なところも出てきます。でも明確かつ厳格に評価基準が定められており大幅にぶれてしまうということはほとんどないようです。この場合もやはり実力が何らかの数値的尺度が示され、多くの人がその実力を認識することができ名声が確立されていきます。

では音楽などの芸術分野ではどうでしょうか。日本を代表する演奏家だと言われている人の演奏を聴くと「確かにそうだ」と納得してしまうことが多いでしょうが、その納得は単に人の言説に左右された結果にすぎないのかも知れません。速く指が動くということで絶賛されるというケースもあります。それは音楽の世界では数少ない定量的な指標となる事柄でしょうが、芸術性と結びつくものではありません。そういうのは曲芸の世界です。

音楽以外の美術や文芸でも実際のところどこがいいのかよくわからないけど、みんながそう言っているからあの作品はすばらしい、と思うのが実際のところでしょうし、真の評価ができる人はその芸術家と近いレベルかそれ以上の力を持っている人に限られるでしょう。そういう事実があるので時として名声と実力がかなり乖離している芸術家が出てくるのは想像に難くありません。

もちろん名声も実力も備えている人はいます。昨日NHKのらららクラシックという番組に出演していた鈴木雅明さんはまさしくそういう人でしょう。彼は間違いなく日本の古楽界のトップランナーですし、ヨーロッパでの名声は日本におけるそれ以上に高いです。バーゼルのCDショップには大々的に「SUZUKIコーナー」があったくらいでしたから。

10何年か前、シュツットガルトで2日に渡る彼の講習会に参加させていただき、そのあとの打ち上げで一緒にお食事をする機会がありました。初対面でかつ私の方が少し年上ということもあってか、向こうもいろいろ気を使ってことばを選んで話している感じがしましたが、そのことがかえってなんかオーラみたいなものを私に感じさせました。

彼みたいに名声と実力を兼ね備えている人は実はそんなに多くはないというのが私の見立てです。残念ながらリュート界にもギター界にもヴァイオリン界にも指揮者界にも(美術や文芸の世界はよくわからないので何とも言えません)「乖離人」がいます。まぁ名声はなく実力も中途半端な私が言うことですから全くアテにはなりませんが。