まず一つ目についてです。
バッハのフーガはとても精緻に作られていて、楽譜を見るとよくぞこんなにきれいに音を書くことができるものだとただただ畏れ入ってしまいます。しかも単に仕組みがに複雑・精緻なだけでなく、肝心のサウンドが情感あふれ、目にも(耳にも?)鮮やかな世界を創り出しています。一方BWV565のフーガは、バッハの他のフーガと比べるととてもシンプルな作りです。とても分かりやすく速いパッセージが出て来たり、圧倒するような大音量になる部分もあります。速弾きと大音量は分かりやすい曲を書く鉄則です。
例えばシベリウスの交響曲第4番は全体としてとても「静か」で第2番の終結部のような大音量で迫りくるような部分は全くありません。第4番はオケ全員で大きな音で弾く箇所がほとんどなかったと思います。でもとても魅力的な曲で退屈な部分などひとつもありません。しかし世間では第2番の方が圧倒的に有名ですし演奏される機会も多いようです。やはり華麗なラッパには負けます。(笑)
さて件のフーガですが、テクスチャがシンプルなのは先述の通りですが、それがだんだん薄くなりついにはバスを全く伴わないシンプルなアルペジオの繰り返しに至ります。(前回の一つ目の譜例における→と←の間の部分)この曲の流れとしてはこういう形もありでしょうが、バッハのフーガでバスを伴わず「素っ裸」で「あっぱっぱ」になってしまう展開部を持つ曲はありません。
ラインが単音になるものは、例えばヴァイオリンのためのフーガBWV1001なんかにも出てきますが、単音のラインであってもポリフォニックなラインが聞こえてくるようにバッハは(というかバロック時代の作曲家は)書きますし(無伴奏チェロ組曲でもそのような書法は一杯出てきます)、BWV1001も実際そうなっています。前回の一つ目の譜例のようなポリフォニックなラインの聞きようがない単音のラインはバッハの手によるものではありません。
バッハのフーガはとても精緻に作られていて、楽譜を見るとよくぞこんなにきれいに音を書くことができるものだとただただ畏れ入ってしまいます。しかも単に仕組みがに複雑・精緻なだけでなく、肝心のサウンドが情感あふれ、目にも(耳にも?)鮮やかな世界を創り出しています。一方BWV565のフーガは、バッハの他のフーガと比べるととてもシンプルな作りです。とても分かりやすく速いパッセージが出て来たり、圧倒するような大音量になる部分もあります。速弾きと大音量は分かりやすい曲を書く鉄則です。
例えばシベリウスの交響曲第4番は全体としてとても「静か」で第2番の終結部のような大音量で迫りくるような部分は全くありません。第4番はオケ全員で大きな音で弾く箇所がほとんどなかったと思います。でもとても魅力的な曲で退屈な部分などひとつもありません。しかし世間では第2番の方が圧倒的に有名ですし演奏される機会も多いようです。やはり華麗なラッパには負けます。(笑)
さて件のフーガですが、テクスチャがシンプルなのは先述の通りですが、それがだんだん薄くなりついにはバスを全く伴わないシンプルなアルペジオの繰り返しに至ります。(前回の一つ目の譜例における→と←の間の部分)この曲の流れとしてはこういう形もありでしょうが、バッハのフーガでバスを伴わず「素っ裸」で「あっぱっぱ」になってしまう展開部を持つ曲はありません。
ラインが単音になるものは、例えばヴァイオリンのためのフーガBWV1001なんかにも出てきますが、単音のラインであってもポリフォニックなラインが聞こえてくるようにバッハは(というかバロック時代の作曲家は)書きますし(無伴奏チェロ組曲でもそのような書法は一杯出てきます)、BWV1001も実際そうなっています。前回の一つ目の譜例のようなポリフォニックなラインの聞きようがない単音のラインはバッハの手によるものではありません。