リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

贋作はなぜ魅力的なのか(13)

2021年02月23日 16時35分22秒 | 音楽系
バッハによる短調の曲のエンディング、聴いてみました?オルガン曲以外にも平均律、イギリス組曲、フランス組曲、パルティータなどを順に聴いていき実感されるといいかなと思います。

BWV565のトッカータに関して贋作の「証拠」はまだ言及していませんので、ひとつあげておきましょう。それは冒頭から続くフレーズです。少し前のエントリーでリンクをつけましたYouTubeのビデオクリップをまたご覧ください。タララー鼻から牛乳ー(笑)、から始まって1分22秒くらいの間まで和音以外のラプソディックなフレーズが全てオクターブになっています。バッハならこういう書法を取らず、単音でもっと複雑な音型を使っているはずです。

BWV565のソースについては詳しいことは知りません。使われている用紙の研究で大体の時代はわかるかも知れませんが、それ以上の詳しいことはわからないのが実情なのでしょう。本作は構造がシンプルなことからよくバッハの若い頃の作品だろうと言われてきましたが、バッハは若い頃でもあのようなスタイルの曲は書いていません。さすがのバッハも若い頃はまだシンプルな作品しか書けなくて、そのうちだんだん複雑な曲を書けるようになったと思うのは凡才の思考で、天才はごく若いうちからすごい作品を書きます。息子のエマヌエルやモーツァルトの10代の作品なんか、全く老大家が書いたかのような「こなれ感」があります。ましてや天才中の天才、バッハが若い頃は緩んだスタイルの曲しか書けなかった、ということはあり得ません。

BWV565は、あくまでも私の直感ですが、時代的にはバッハの次の世代の人の作品ではないかと思います。時代はちょうどバロックの時代が終わりかけて、新しいスタイルがで始めたころ、生まれたのが1700年から10年代のドイツ語圏の人が1740年前後に書いた作品、というと大体納得の範囲に入ります。18世紀後半とかましてやロマン派の時代の誰かが書いたとなると少し無理があると思います。