おとついのエントリー「よみがえる古楽器」は、私が関わっている分野の内容で、メディアが誤情報あるいは誤解を招く内容を発信することがときどきあるのを危惧したものでした。
少し前だとフェルメールの絵画に描かれている楽器名が間違っていたり、描かれているバロック・ギターをルネサンス・ギターだと主張したりしていたコラムがありました。
もう定着してしまった、「主よ、人の望みの喜びよ」という邦訳のでたらめさとか、秀吉の御前演奏の曲についての誤った認識の広まりなどについては当ブログで深掘りしてみました。
しかしどうしてこの類いの話が出てきて広まってしまうのでしょうかねぇ。世間的な認知度が低く、専門家もとても少ないのが原因なのかも知れません。あと、ネットの普及もあるかも知れません。
以前名古屋某新聞社にいらっしゃった某芸能記者の方はとても古楽を含めた音楽全般に明るく、とても正確な記事を書いて頂いていました。また私の若い頃某放送局で私の話をきちんと聞いてくれた30分番組を作ってくれたこともありました。リュートの歴史とその音楽、といった内容だったと思います。何度も取材に来て頂き、妙な先入観など全くなく、真摯な番組製作態度であったと思います。余談ですが、その番組は朝の連ドラの再放送直後に放映されたので、恐ろしいような反響がありました。(笑)
かと思えばオチャラケみたいな調子の番組や、あらかじめ「コンサート開催を夢見る若き勤労青年」みたいな筋書きがあって、インタビューを切り取って筋書きの方向で番組を作った、というようなケースもありました。それらを見たときは驚きでした。
まぁ要するに制作、取材、発信する側の人がいい加減だといい加減なものになるということでしょう。最近どうもその「いい加減側」に寄っている人が多いような感じがしていますが気のせいでしょうか。
少し前だとフェルメールの絵画に描かれている楽器名が間違っていたり、描かれているバロック・ギターをルネサンス・ギターだと主張したりしていたコラムがありました。
もう定着してしまった、「主よ、人の望みの喜びよ」という邦訳のでたらめさとか、秀吉の御前演奏の曲についての誤った認識の広まりなどについては当ブログで深掘りしてみました。
しかしどうしてこの類いの話が出てきて広まってしまうのでしょうかねぇ。世間的な認知度が低く、専門家もとても少ないのが原因なのかも知れません。あと、ネットの普及もあるかも知れません。
以前名古屋某新聞社にいらっしゃった某芸能記者の方はとても古楽を含めた音楽全般に明るく、とても正確な記事を書いて頂いていました。また私の若い頃某放送局で私の話をきちんと聞いてくれた30分番組を作ってくれたこともありました。リュートの歴史とその音楽、といった内容だったと思います。何度も取材に来て頂き、妙な先入観など全くなく、真摯な番組製作態度であったと思います。余談ですが、その番組は朝の連ドラの再放送直後に放映されたので、恐ろしいような反響がありました。(笑)
かと思えばオチャラケみたいな調子の番組や、あらかじめ「コンサート開催を夢見る若き勤労青年」みたいな筋書きがあって、インタビューを切り取って筋書きの方向で番組を作った、というようなケースもありました。それらを見たときは驚きでした。
まぁ要するに制作、取材、発信する側の人がいい加減だといい加減なものになるということでしょう。最近どうもその「いい加減側」に寄っている人が多いような感じがしていますが気のせいでしょうか。