リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

カモ止め、カト止め

2021年11月25日 15時54分26秒 | 日々のこと
こんな文章があるとします。

・・・政府が石油の国家備蓄を放出するそうだ。経済や社会は石油を栄養源として動く。人間にとっての米と同じかもしれない。・・・

石油が人間の米である、と断定はしていません。この文章の筆者は断定までしてしまうとまたあとでいろいろ言われるから「かもしれない」で最初からスルっと逃げているわけです。この表現を「かも」で止めてしまうのが、「カモ止め」です。より口語的な表現と言えましょう。私も時々このブログで使います。


「カト止め」は例えば次のような感じで使います。

・・・リュートの弦はやはりガット弦がよろしいかと。・・・

ガット弦が合成樹脂弦よりいいんだー、いいに決まっている、と言いたいのですが、そこはぐっと押さえて、謙った感じを出し、断言はしていないので直接自分に責任が来ないように防御している言い方です。カト止めで言われると、「ガット弦のどこがええんや、ええ?ゆーてーみー!」という突っ込みは来ないと思います。「ガット弦がよろしいのかと思います」を縮めた言い方なんでしょう。

何かといろんなところで突っ込まれてメンドクサイことになりがちなこのご時世です。言葉遣いひとつでややこしいことになるのを避けられるのかも。まぁこのテの話は専門外なんでそのうちにボロが出るでしょうから、このくらいで止めといた方がよろしいかと。