リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

ショスタコ、武満、バッハ

2022年04月25日 15時44分41秒 | 音楽系
ショスタコーヴィチの交響曲を聴いているうちに、もうちょっと別のジャンルも聴いてみたくなりました。聴いたのはピアノ曲の24の前奏曲とフーガ、実はこれ高校生の頃にレコードを買った覚えがあります。何十年ぶりに聴いてみるとあのころとは全く異なった印象を受けました。あとピアノソナタ第1番、これは初めて聴く曲です。1926年の作品だそうですがいい曲ですね、これは。この手のサウンドはあまり多くの人の耳にはなじまないでしょうけど。技術的にはすごく大変そうです。

先日聴いた交響曲4番もオケは大変そうです。指揮者は相当オケをしごかないといけないかも知れません。私が聴いた演奏の指揮者はキタエンコですから名前からしてオケ(ケルン・ギュルツニッヘ・オーケストラ)に思いっきりハッパをかけたんでしょう。(笑)

前のエントリーでも書いたように私としては断然5番より4番の方が好みです。もしショスタコーヴィチが5番だけ作曲したというなら、傑作として評価されるでしょうけど、4番を作った人が次の5番ねぇ、とちょっと期待外れになる感じです。でもソ連の共産党幹部はこっち(5番)の方を大絶賛してショスタコーヴィチは「復権」したらしいです。

武満も70年代まではかなりとんがった作風でした。この時代の作品だと私は大阪万博の鉄鋼館のために作曲したクロッシングが好きです。ところが作曲の注文が増えてきた80年代にかけて、(作品で言えばギターソロのためのフォリオス以降か)作風が変わって妙にわかりやすくなってきます。武満は別に政府に言われたわけではないのでしょうけど、ある程度は「委嘱者」とか「大衆」を意識していったのかも知れません。もっとも最晩年(亡くなる10ヶ月前)のライブトークでは、どうもメロディックな音楽とかフーガのような対位法的な音楽を本当は作ってみたかったというような本音が聞かれました。とすると70年代までのアヴァンギャルドなスタイルは仮の姿だったのかも知れません。

バッハは公的な曲を作ったときよく市議会の偉いさんからクレームがついたそうです。偉いさんたちは、「あんたの音楽はいきなり和音が変わりすぎる。もっと普通のヤツを作ってほしい」というようなことをいったとか。今聴いても確かにバッハの音楽は同時代の他の作曲家が考えつかないような魅力的なハーモニー進行をします。今でもそう思えるのですから、当時の一般的な人が聴いたら驚き、人によっては酔いしれ、立場によってはやりすぎ、聞き苦しいと判断してしまったのでしょう。試しに平均律第1巻5番ニ長調のプレリュードを聴いてみてください。同じモチーフでどんどん手を替え品を替えめまぐるしく転調を繰り広げていきます。曲の〆になる終わり数小節を除いて同じモチーフで成り立っているという驚異的な作品です。

時代も社会状況も全く異なるショスタコーヴィチ、武満、バッハですが、三者三様、世の中にあるなんらかの圧力、抵抗、風潮のはざまで作品を書いていったことがわかります。