リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

音楽界三大ヤッチャッタ(1)

2020年05月20日 19時24分21秒 | ウソゆうたらアカンやろ!他【毒入注意反論無用】
昨日のエントリーで、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」という意味不明のタイトルがなぜそうなったかを推察してみました。まぁ要するにやっちまったわけですね。でもまだこういうのはありますよ。バッハのが1つ目だとすると、2つ目は・・・

「ノルウェーの森」です。ご存じビートルズの有名な曲です。1965年に発表されたラバー・ソウルというアルバム所収の曲です。もうここ何年も前から洋楽のタイトルは、原曲をそのままカタカナに直したものばかりですが、60年代初めは日本語に直したタイトルも結構ありました。I should have known better →恋する二人、A hard day's night 「ビートルズがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!」とか。もっともA hard day's nightは現在は「ア・ハード・デイズ・ナイト」になってます。「ノルウェーの森」ことNorwegian woodが出た頃はもう日本語のタイトルは少なくなってきた頃で、詳しく調べた訳ではありませんが、一番最後の邦題曲かも知れません。

ご存じように、woodは「木、材木」という意味で複数形で使うと「森」という意味になります。そんなに大きくない森のことをいいます。Norwegian woodの歌詞を引用してみますとこんな感じです。

I once had a girl
Or should I say she once had me
She showed me her room
Isn't it good, Norwegian wood

リュート・ソングと違って、中学生でも分かるレベルですね。内容は別として・・・

この歌詞のwood は単数形です。彼女が私を招き入れた部屋に使われていた木がノルウェー産の木だったということでしょう。このタイトルは誤訳だ、いやそうではないという論争があったらしいですが、間違いないのは英語ネイティブならこの曲の「Norwegian wood」の件を聴いて、ノルウェー王国に広がる森のことを連想する人はいないということです。そもそも広大な森はforestといいます。論争になる程の内容ではないでしょう。



主よ、人の望みの喜びよ(3)

2020年05月19日 23時59分05秒 | ウソゆうたらアカンやろ!他【毒入注意反論無用】
なかなかいい歌詞で音楽によくあっていると思いますが、原詩とはかなり異なる内容ではあります。それで、なぜか誰かが(多分どっかのレコード会社の方か音楽評論家の方でしょう)いつ頃かは知りませんが、英語のタイトルを見て、適当に日本語に直したのでしょう。

Jesu (主よ)、joy of man (人の望み)'s (の)desiring (喜び)+(よ)ってやっただけの訳ですから、算数で1/2+1/3=2/5とやる小学生とそう変わりません。
でも悪いことに、この迷訳がすっかり浸透してしまいました。偉大なるバッハの作品であり、宗教曲でもあるので、曲名に関しては思考停止してしまって疑問に思うことはなく、ずっと来てしまったのでしょう。

ちなみに、この部分を忠実に英語になおしますと次のようになります。(ウィキ)

(独)
Jesus bleibet meine Freude,
meines Herzens Trost und Saft,

(英)
Jesus remains my joy,
my heart's comfort and essence,

面白いことに、ある翻訳アプリで1行目を英語に翻訳しようと、Jesus beleibet meine Freudまで入力していきますと、順次Jesus, remain my joyと英訳がでてきますが、最後の Freude の e を入力しると、とたんに訳がぱっと変わり「Jesu, Joy of Man's Desiring」になります。これって文化的な翻訳であってもことばの翻訳ではないですよね。間違っていても定着してしまったものが正しい。悪貨は良貨を駆逐する。AIというのはこういうものなんですね。


祝!来ました。

2020年05月18日 11時04分21秒 | 日々のこと
特別給付金、予定通り入金されていました。5月1日、つまり受付初日にオンラインで申請したものですので、桑名市では早い方だと思います。ただアメリカ在住の娘の分について申請用紙がまだ届いていません。

そこで市に電話したのですが、なかなかつながりません。皆さんから沢山の問合せがあるんでしょう。10分くらいの間、「ダイアル→通話中→切る」を繰り返していましたらやっとつながりました。担当のお姉さんに事情を話すと、調べて折り返し連絡するとのこと。

1時間くらいして返事の電話がありました。実は娘はまだ私の戸籍に入っているとのことで、本当はオンラインで一緒に申請していただくとよかったとのことでした。

私はてっきり別の戸籍を作ってそこに入っていると思い込んでいましたので、娘の分はオンライン申請をしませんでした。今から思うとダメもとでしておけばよかったですねぇ。これから娘の分のオンライン申請をしてもいいですが、多分その方が時間がかかるでしょうから、市の方から申請用紙を送ってもらうことにしました。これで一件落着です。

主よ、人の望みの喜びよ(2)

2020年05月17日 16時33分41秒 | 音楽系
さて、その英訳歌詞は次のようなものです。

Jesu, joy of man's desiring,
Holy wisdom, love most bright;

訳した人は Robert Bridges という人ですが、これは原詩を訳したものではなく英語として歌いやすいように意訳というか、かなり創造的意訳をしたものです。

この部分の英語は、 joy of man's desiring も Holy wisdom も love most bright も Jesu の同格になります。Jesuでイエス様に呼びかけていますが、「主よ、人の望みの喜びよ」みたいに、もう一度 joy of man's desiring と呼びかけている訳ではありません。

英訳されたものを日本語訳しますと;

「人が望む崇拝の対象であり、聖なる知恵であり、最も輝かしい愛であるイエスよ」

となります。このあとは;

Drawn by Thee, our souls aspiring
Soar to uncreated light.
この文の主語は souls で動詞は soar です。(uncreated=永遠の)

「私たちの魂はあなた様により引き出され高みに昇り永遠の輝きとなる」

(つづく)

主よ、人の望みの喜びよ(1)

2020年05月16日 16時54分33秒 | 音楽系
バッハのよく知られた曲の中に「主よ、人の望みの喜びよ」という曲があります。これはカンタータ第147番の第10曲(終曲)であるコラールです。原曲はオーケストラと合唱の曲ですが、器楽独奏曲にも編曲されています。原曲よりも器楽曲で聴いた人の方が多いかもしれません。

でもこの曲のタイトル「主よ、人の望みの喜びよ」ってどういう意味でしょう?「主」はイエス・キリスト、「人」は我々のことです。イエス様に「人の望みの喜びよ」って呼びかけているような風にとれますが、では「人の望みの喜び」ってどういうことでしょう。この曲は宗教曲できっと有り難い内容なので、疑問なんか差し挟むのはバチが当たると感じてしまうのか、このことを疑問に思うという話は聞いたことがありません。

でもどう考えても「主よ、人の望みの喜びよ」って意味不明のことばですよね?そこでオリジナルのドイツ語の歌詞はどうなっているのか見てみましょう。第10曲の最初の部分はこの様な歌詞です。

Jesus bleibet meine Freude
meines Herzens Trost und Saft

bleibet は bleiben(英語では stay, remain)です。bleibet 以下はその補語になることばが続きます。meine Freide (私の喜び)、meines Herzens Trost(私の心の慰めと活力)。直訳しますと;


「イエス様、あなたは私の喜びであり、心の慰めと活力でずっとあり続けます」

うーむ、「主よ、人の望みの喜びよ」とは全然違いますね。実は調べて見ますと、この日本語のタイトルは、オリジナルのドイツ語歌詞の英訳を日本語訳したもののようです。(ウィキ)

山田耕筰

2020年05月15日 13時15分07秒 | 音楽系
NHKの朝の連続ドラマ「エール」が好評のようです。新型コロナ感染症で亡くなられた志村けんが小山田耕三役で好演しています。昔の大作曲家の貫禄が良く出ています。お笑いの人がこういうシリアスな役柄を演じると、キャラが強すぎるためどうしても本人が出てしまいミスキャストになりがちです。

関西の落語家のナントカという人はときどきドラマに出ますが、どれに出ても本人のキャラが丸見えです。唯一「アルキメデスの大戦」の映画で出演したときはぴったりはまっていました。でもこれは原作が本人のキャラで作画していたからで、逆に言うと彼しか演じることができません。

そんな中、志村けんは初めてのドラマ出演でしたがこれが最後になってしまいました。役者としてのいかりや長介を超えるようになったかも知れないだけに惜しいことをしました。

志村けん演ずる小山田耕三は山田耕筰がモデルです。4年程前に名古屋市のミューズ音楽館からギター合奏曲集「日本の歌101曲選」を出版しました。ギター三重奏と四重奏の曲集ですが、その中に山田耕筰の赤とんぼが入っています。


音源はここから聴くことができます→赤とんぼ(中川祥治編曲)

実はこの曲集、少しでも制作費を安く抑えようと、日本の歌101曲選の中から著作権が切れた作品ばかりを集めて編曲しました。当時は没後50年までは著作権が有効でしたので、1965年没の山田耕筰の作品はは2015年12月31日23時59分59秒・・・まで著作権により保護されていました。私の曲集はその翌年出版でしたので、滑り込みセーフというところでした。

ところがTPP(環太平洋パートナーシップ協定)がアメリカ抜きでしたが2018年に発効しましたので、有効著作権の扱いが没後75年までになってしまいました。山田耕筰作品は著作権復活でこれは一大事かと思いましたが、調べてみましたら旧取り決めで一旦著作権が切れたものに関しては過去に遡って復活はないそうです。とりあえずよかったです。(笑)1968年以降に亡くなった人の著作権が開放されるのはずっとあとになるということです。新しい規定によると、1970年没のジミ・ヘンドリックもまだまだ保護されます。作家で言えば三島由紀夫もまだまだ先です。

ケシカラン

2020年05月14日 15時35分52秒 | 日々のこと
熊本県で「違法なケシ」が自生しているというニュースがありました。ウィキで調べて見ますと開花期は4月~6月頃に開花とありましたので、この時期ですね。

「違法なケシ」という言い方はまともにとるとちょっと変。「違法なケシ」に言わせれば、「オレは何も悪いことはしていない!」と言うでしょうし、ケシ自体が刑務所に行くこともありません。植物の種としてのケシ自体には違法も合法もないので、「人間が摘んだり栽培したりしたら違法になるケシ」の短縮語と解釈しておきましょう。どのようなケシであっても何の責任もありませんし悪意もありません。

新型コロナウィルスも似たところがあります。さすがに違法ウィルスという言い方はしませんが、彼らは自身の生存戦略に従って生存域をどんどん拡大しているだけで、彼らに悪意はありません。

人間の周りにはいろんな生物がいてお互いに共存しています。私たちは彼らとバランスをとって生活し、時には利用させていただくこともあります。そしてあまり人間がのさばりすぎると彼らから警告を受けます。

「違法なケシ」は医薬品として利用させてもらっていますので有り難く思うべきでしょうし、今回の新型コロナ禍は人間社会のシステムあるいは生き方そのものに対する警告というふうに考えるべきだろうと思います。

自動車税納税

2020年05月13日 12時54分58秒 | 日々のこと
自治会連合から来た文書の返信(一応町内会長です)を郵送するために出かけようとしましたら、自動車税の請求が来ていました。ついでにコンビニにまわって支払いをしてこようかと、開封しましたら、今年度からアプリで支払いが可能とあります。

取りあえず封書を近くのポストに投函してきてからアプリで送金しようと、とりあえず近所のポストまで出かけました。ポストはすぐ近くの大きな交差点のそばです。そこの交差点では巨大なマンションが建設中で、しばらく新型コロナウィルス感染の影響で工事がストップしていましたが、先週あたりから再開しています。でもなんかゆっくりした感じでそれほど進んでいません。やはり職人が不足しているのか、三密を避けるためなのか。

自治会連合会の連絡はいまだに紙の文書で、毎回大きな封筒に入ったものが郵送されてきます。立派な封筒なので再利用しようと保管していたときもありますが、たまり過ぎて使い道もないので最近は捨てています。もったいないですねぇ。PDFで送付して、返信も同様にすれば紙も時間も無駄にならないと思いますが、自治会連合の老人社会ではまだ難しいようです。ハンコも押さないといけなかったし・・・

帰宅してPayBという支払用のアプリをダウンロード、必要事項を登録して送金いたしました。これはなかなか便利です。使い勝手もいいし。ただひとつ大きな課題を解決しないまま見切り発車した感はあります。それは領収書(納税証明書)が発行されないことです。車検を受けるときは、その年度の自動車税納税証明書が必要です。県の自動車税事務所から送られてきた説明にも、車検を受けるなど納税証明書が必要なときは、アプリで納入せず添付の支払書を使い、支払い場所で納税証明を受けて下さいとあります。でもこれはいかんでしょう。せっかく便利に納入することができても、1年おきにしかこの方法を使えません。デジタルで証明書を発行する手立てを講じて、それを車検の際の書類として有効になるよう、システムと法令の整備を早急にしていただきたいです。

ナンチャッテ情報(3)

2020年05月12日 18時28分45秒 | 日々のこと
こういった「ゆとり」概念の形成は、テレビだけでなく、他のメディアも関わっていたので根が深いです。1998年告示の学習指導要領に関わっていた人間としては忸怩たる思いがあります。間違ったことが通念となってしまって世の中に定着してしまったのはこれらのメディアの責任でありとても罪深いし、恐ろしいことです。

話が少し拡がってしまいましたので、テレビの情報番組に戻しましょう。私は毎日この手の番組を最低3本は見ています。批判している割にはよく見ていると言われそうですが。(笑)

番組を見るときはリアルタイムではなく必ず録画して、コマーシャルは飛ばし、意味のないことをいうコメンテーターはさっと30秒飛ばし、ボードの説明を繰り返ししている部分も飛ばし・・・という見方をしています。そういった方法だと1時間半の番組を見るのに15分もかかりません。自分には興味のない内容ばかり(例えばオリンピックの話)のときなんかは、天気予報を2、3分見て終わりというときもあります。NHKのためしてナントカという番組なんかも、確か1時間くらいの番組だったと思いますですが、終わりの5分も見れば充分ですし。まぁそれでも時間の無駄でしょうから、要は見ないのが一番とは言えますが・・・

ナンチャッテ情報(2)

2020年05月11日 15時05分14秒 | 日々のこと
本年度から新しい学習指導要領に基づく授業が小学校で行われていますが(といっても休業中の学校が多いです)、実は私、前の前の学習指導要領(外国語:1998年告示)作成に関わっていました。文部省(文部科学省になる少し前でした)による告示があった朝、ラジオのニュースで「・・・英語科は必修単語が100語になって大幅減です・・・」とアナウンサーは伝えていました。でも実際は大幅減ではなく、必修単語という提示の仕方をやめて、コアになる単語という示し方に変えたということでした。

小学校算数の円周率も3.14ではなく3になってしまった、と大騒ぎになっていたことも記憶されている方も多いと思います。授業時間数も「ゆとり」を持たせるために大幅に減ったなんてたたかれました。あげくの果て「ゆとり」というレッテルを貼られてしまい、「ゆとり」世代なることばも生まれてしまいました。

学習指導要領をしっかり読んでみれば、英語の100語指定も円周率も授業時間数もボロクソに言われる筋合いは全くありませんが、もうすでに悪い意味の「ゆとり」は定着して久しいです。その頃に小中高生だった人達も自分たちは「ゆとり世代」だと揶揄されるという話もあります。