リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

主よ、人の望みの喜びよ(1)

2020年05月16日 16時54分33秒 | 音楽系
バッハのよく知られた曲の中に「主よ、人の望みの喜びよ」という曲があります。これはカンタータ第147番の第10曲(終曲)であるコラールです。原曲はオーケストラと合唱の曲ですが、器楽独奏曲にも編曲されています。原曲よりも器楽曲で聴いた人の方が多いかもしれません。

でもこの曲のタイトル「主よ、人の望みの喜びよ」ってどういう意味でしょう?「主」はイエス・キリスト、「人」は我々のことです。イエス様に「人の望みの喜びよ」って呼びかけているような風にとれますが、では「人の望みの喜び」ってどういうことでしょう。この曲は宗教曲できっと有り難い内容なので、疑問なんか差し挟むのはバチが当たると感じてしまうのか、このことを疑問に思うという話は聞いたことがありません。

でもどう考えても「主よ、人の望みの喜びよ」って意味不明のことばですよね?そこでオリジナルのドイツ語の歌詞はどうなっているのか見てみましょう。第10曲の最初の部分はこの様な歌詞です。

Jesus bleibet meine Freude
meines Herzens Trost und Saft

bleibet は bleiben(英語では stay, remain)です。bleibet 以下はその補語になることばが続きます。meine Freide (私の喜び)、meines Herzens Trost(私の心の慰めと活力)。直訳しますと;


「イエス様、あなたは私の喜びであり、心の慰めと活力でずっとあり続けます」

うーむ、「主よ、人の望みの喜びよ」とは全然違いますね。実は調べて見ますと、この日本語のタイトルは、オリジナルのドイツ語歌詞の英訳を日本語訳したもののようです。(ウィキ)