唐松・・・1本でも多く市場にのせることが、先人の努力にむくいること

2008年06月18日 | 信州の木材
 今までの人生の大半を、長野の唐松と共に生きてきた。戦後の荒廃した山に、先人たちが植林をしてきた様を見てきただけに、唐松がお荷物とされた日々がやってくるなんて思いもしなかった。

 20年前の秋、NHKだったと思うのだが、唐松の山々を映しだしていた、春の芽吹きそして秋の紅葉までが、絵葉書のように美しく流れていた。突然ナレーションが「その唐松が今やお荷物となり・・・・・」の言葉に本当に「ギョッ」としたものである。その日までわたしの中にその認識がなかったのだ。
 
 海の向こうから持ってきたもののほうが安いという理由で、国内の木は使われなかった。間伐しても、20%しか市場にでなかった。切捨間伐である。昔なら奥山から線をはって、吊って出材した物であるが、今は大型の機械による出材である。
そのためには山に道路を付けなければならないのだ。
 国有林のような物であれば、その予算は取れようが、民有林ではとても採算が取れないから、80%というのは、その結果であるとも言えるのだろう。

 植える時は、そんな発想がなかったのだろう。
私が幼い日々の山は、栗の木もいっぱいあったが、いつのまにやら唐松の山が多くなった。

 10年に一度位の大型台風がくると、間伐の進まぬ唐松の林はのぎ倒されるのだった。いったん植林という人の手を入れたものは、人の手を入れ続けなければならないのだ。どんなにお荷物であっても、自国で資源をまかわなければならないのなら。現実に今その時がきたようだ。

 山林は100年の計である。今お荷物だといって、広葉樹の森ばかり続けたなら、次世代は資源としての森をうしなうことにもなりうる。
山は個人のものであっても、その山が及ぼす環境への影響は皆の共有となるだけに、治山はむずかしい。

 自然に帰すつもりなら、木を伐った後に植林をしなければ、100年もすれば森はできるかもしれないが、大型の機械が入った土地は、地表がむき出しになり、雨の度に土はながされて、樹木が育ちように無い地に変わっていってしまうのだ。
そしてそれは災害へと続いていってしまう。

 二酸化炭素削減は山にとって、大きなチャンスかもしれない。
1本でも多く市場にのせることが、植林をしてきた先人たちの努力に報いること、と信じて努力してきたけれど、なんだか自信を失ってきた感もする今日この頃である。

                         依田 美恵子


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