平成元年のベルリンの壁の崩壊

2019年05月01日 | 長野労基のひと口コラム
皆様いかがお過ごしでいらっしゃいますか、令和元年の初日を。

 昭和生まれの私にとって明治は祖父の時代でした。

 だから明治は古い時代という感覚でもあったのでした。

 そういう私も昭和・平成・令和と3代を生きることになります。

 私がそう思ったとおり、平成生まれの孫たちは、やっぱり昭和は古いと言うかもしれません。

 自分の気持ちはとっても若い積りだけれども、本当に積りだけだわね。(笑)
 
  人生の中で、あーあれが世界の分岐点だったという事象をマスコミを通して幾つか目にしました。

 その中の一つが「ベルリンの壁の崩壊」です。

 2019年5月の長野労基のひと口コラムです。

 『分断の象徴、「ベルリンのかべって」、戦後すぐできたと思っていませんか?』

 以下引用です。

 共産主義国家の民主化の動きとして語られるものとして「ベルリンの壁」の崩壊があります。

 この壁の崩壊は1989年(平成元年)に起きたものです。

 東ドイツ国民によって、ハンマーやつるはし等で壁をたたいている映像が世界的に流たので、記憶にある方も多いと思います。

 敗戦によりドイツが分断され、首都ベルリンは東ドイツにありながら、市内が分断され、西ベルリン(西ドイツ領)が存在していました。

 ベルリンの壁は、西ベルリン周辺155キロにわたって遮断したコンクリート製の壁で、戦後すぐに造られたものかと思っていましたら、当初は有刺鉄線で張り巡らせていたものを、戦後15年以上経った昭和36年になって、石造りが始まり、昭和50年に完成したものでした。

 通行可能な検問所は数か所設けられましたが、西ベルリンから東ベルリンに入るには2か所に限定され、さらに滞在時間も24時間以内という条件付きでした。

 昭和60年頃から東欧諸国で民主化の動きが強まり、それに押されて東ドイツ政府が「旅行許可に関する出国規制緩和」という政令を出し、それによって東ドイツのすべての国境から出国可能になり、さらに自由化を求める動きに拍車がかかって壁の崩壊につながりました。

 分断の象徴は建設が始まって、30年足らずで姿を消すことになりました。

 以上引用終わり

 あの映像は平成元年だったということに感無量です。

 あれから30年ですか・・・・光陰矢の如しといいますが、30年に戻れたらどう生きようかななんて楽しく想像をしてみたりした、令和元年の朝でした。

 まあ―とりあえず前を向いて生きていきましょうか(笑)
                                     依田美恵子

       軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅・涼温な家  中島木材の家
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