1本の柿の木

2008年06月19日 | 日々のこと
 6月初旬には、柿の花が咲く。OBのお客様のお宅を訪問し玄関横に立つ柿の木を見上げた。この柿の木、家を建てるときの後退線にひっかかった。

 100年以上の古木だ。移植する案も出たが、自信を持って請け負ってくれる植木屋さんもなく本当に建設屋泣かせの木だった。

 お施主様は、絶対伐りたくないと、家族の思い出の詰まった木に強い愛着をしめされていた。後退といっても、ご自身しか使わない道路だから、法の杓子定規さに切ない思いだけが募った。

 長い時間がかかったが、どうしても枯らすことも、伐ることも納得しなかったお施主様の意が通り、そこの部分だけが、後退から残された。

 当時小さく伐り詰められてたが、あれから5年の月日を経て、今日青々とした葉の中に花弁をつけた小さな青い実がなっていた。

 ちょうど外出から帰られたご主人と、伐らなくてよかったですね、と語り合った。この柿の木は、生きてきた分だけ、この家族の歴史と共にあったのだと納得した日だった。
                            依田 美恵子


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唐松・・・1本でも多く市場にのせることが、先人の努力にむくいること

2008年06月18日 | 信州の木材
 今までの人生の大半を、長野の唐松と共に生きてきた。戦後の荒廃した山に、先人たちが植林をしてきた様を見てきただけに、唐松がお荷物とされた日々がやってくるなんて思いもしなかった。

 20年前の秋、NHKだったと思うのだが、唐松の山々を映しだしていた、春の芽吹きそして秋の紅葉までが、絵葉書のように美しく流れていた。突然ナレーションが「その唐松が今やお荷物となり・・・・・」の言葉に本当に「ギョッ」としたものである。その日までわたしの中にその認識がなかったのだ。
 
 海の向こうから持ってきたもののほうが安いという理由で、国内の木は使われなかった。間伐しても、20%しか市場にでなかった。切捨間伐である。昔なら奥山から線をはって、吊って出材した物であるが、今は大型の機械による出材である。
そのためには山に道路を付けなければならないのだ。
 国有林のような物であれば、その予算は取れようが、民有林ではとても採算が取れないから、80%というのは、その結果であるとも言えるのだろう。

 植える時は、そんな発想がなかったのだろう。
私が幼い日々の山は、栗の木もいっぱいあったが、いつのまにやら唐松の山が多くなった。

 10年に一度位の大型台風がくると、間伐の進まぬ唐松の林はのぎ倒されるのだった。いったん植林という人の手を入れたものは、人の手を入れ続けなければならないのだ。どんなにお荷物であっても、自国で資源をまかわなければならないのなら。現実に今その時がきたようだ。

 山林は100年の計である。今お荷物だといって、広葉樹の森ばかり続けたなら、次世代は資源としての森をうしなうことにもなりうる。
山は個人のものであっても、その山が及ぼす環境への影響は皆の共有となるだけに、治山はむずかしい。

 自然に帰すつもりなら、木を伐った後に植林をしなければ、100年もすれば森はできるかもしれないが、大型の機械が入った土地は、地表がむき出しになり、雨の度に土はながされて、樹木が育ちように無い地に変わっていってしまうのだ。
そしてそれは災害へと続いていってしまう。

 二酸化炭素削減は山にとって、大きなチャンスかもしれない。
1本でも多く市場にのせることが、植林をしてきた先人たちの努力に報いること、と信じて努力してきたけれど、なんだか自信を失ってきた感もする今日この頃である。

                         依田 美恵子


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宮脇 昭さん。本物の木を植える活動

2008年06月17日 | 読書
宮脇 昭さんのお話を聞いたのは、ホームウェル八ヶ岳の株式会社キムラ工房の木村浩行社長からだった。ホームウェルのオーナー会の席で、ちよっと時間を、と言って、宮脇さんの「本物の木」を植える活動と彼自身が今それに共感して活動していると、熱っぽく語ったのだった。

 あわせて、来春の植林は佐久でするんですよ、と私に念を押した。そして全員に「鎮守の森」という氏の本を贈呈してくれたのだった。
なかなか手にとる機会がないまま、机の片隅に押しやられていたのだった。

 16日の信濃毎日新聞の教育欄の「あの一言」コーナーを読んだ時、すべてが繋がった。氏は今80歳、農家の出身で、皆が雑草取りで苦労するのを見て育ち、大学で雑草を研究し、ある時全国120ケ所を年4回ずつ回る調査を、恩師の教授の「君ならできる。ぜひやりたまえ」の言葉に力づけられ、研究を続け、その論文がドイツの研究所の教授の目にとまり、留学。

 そのドイツの教授の「見えるものしか見ない若者と、見えないものを見ようとする若者がいる。君は後者だ。君ならできる」と。いったん帰国した後もドイツに21回通い、潜在自然植生を把握したのだった。

 ここまでの話は以前に読んだのだろうか・・・・ラジオのこころの時間で聞いたのだろうか・・・・。

 昨日片隅に置き去りにしていた「鎮守の森」を昼休みに読んだ。

 心にずっしりときた。

 折りしも、東北の地震の時でもある。「鎮守の森」は大震災も耐え抜いた森として神戸の大震災の話から始まっているのだ。

 その地域、地域に適した木がある。それは昔からその地に生えていた木だ。それを植えることにより、森をつくる。

 現実の山は植林したものだ、街路樹も公園も日本中同じパターンだ。
大きな工場に、緑地が義務づけられたが、そこには芝生が植えられ、ポッンポッンと木が植えられている。それを維持するのに、労力とお金がかかるのだ。
氏の推奨する森は3年以後、維持費がかからないという。大きな魅力ではないか。

 氏の推奨する森が、新日鉄の各工場の周囲に実践されているとのことだ。それとイオングループのお店の周囲、佐久のジャスコでも駐車場の廻りにも私の好きな野山の木が植えられている。この本を読んでその意味が本当によくわかった。

 これを植林する時は、一般市民を公募している。その意味は大きい。

 この運動は日本にとどまらず、世界に飛んでいるのだ。あの中国の万里の長城の際にも植林しているのだ。かって中国だって鬱蒼とした森があったはずだ。長城をつくるレンガを焼くための燃料になってしまったのだろう。いったん風化してしまった土地を森に帰すことは困難だが、氏の研究による成果はすばらしい。

 東南アジアの熱帯雨林再生プロジェクトも興味深かった。私が学生時代読んだ「堀田良衛」の著作で日本の商社丸は、南洋材を切り倒して熱帯雨林を破壊しているというという文章があって、私は今までそう信じていた。
 しかし氏の見解は違っていた。それは長いこと調査に通っての結果である。

 また問題は焼き畑そのほかの火入れにあるという。すべてが焼き尽くされた跡地では、裸地から土地本来の熱帯雨林に再生するには、300年、500年かかるかもしれないという。
 その地で氏は熱帯雨林の再生にも取り組んでいるのだ。

 上田市の日置電機さんで、その植林をするという話を木村氏からきいた。

 私は長いこと、この佐久で資源としての山をみてきた。人の手が入った山がどんなにも、もろいものかも知り尽くしている。

 古来この地で生えてきた木の山に戻すことは、災害にも強いだろう。しっかりと地中深く根をはった木は、台風にも地震にも強いはずだ。唐松のように根を深くはらない木をみているだけに余計そう思う。

 これからの一番の問題は資源としての木だ。外国からの木材の輸入にはもう頼れない時代が来ている。その時に今までのような家づくりをし続けていいものだろうか。
少なくとも、木材が循環する50年~60年もつ家づくりをしなければなるまい。
 安ければいいという安易な選択は、資源が許してはくれまい。

  長くなりすぎたので、続きはまた。
                          依田 美恵子


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今日は年金の給付日です。

2008年06月16日 | 日々のこと
9時半に銀行と郵便局に行きましたら、いつもと違う雰囲気です。そうか年金の日だったのかと納得です。とってもシルバーの皆さんで賑やかでした。お菓子のサービスまであるんですね。皆さんとてもにこやかでした。

 2年程前のクラス会の折、われわれの年金はどうなるだろうかが話題になりました。厚生省勤めの彼が、国を代表して謝って(?)くれましたけど。3割カットぐらいかなんて、みんな納得があきらめの境地でしたけど。なんしろ給付までに時間がありすぎて実感がわきませんでしたから。

 しかし、いよいよ今年のお誕生日あたりに、おおよそこの位というのがくるらしいです。見て楽しめますでしょうか(?)。

 見てないからまだ余裕な気持ちなんですが、このところ問題の年金の未払いがあんなにあっても、給付が足りないなんて、ほんとに信じられな--い。
遡って支払うようになれば、私たちの時代はいよいよ給付は、半分かな・・・と戦々恐々の気分もちらほらです。

 かなり以前若い人たちの前で、そんな話をしたら、「あなたたちを支える僕たちが大変なんです」と言われてしまいました。まさしくこれこそが真実だと思いました。

 後期高齢者・・・うんぬんで、評判が良くありませんが、あれは決して悪いと一概に否定はできないと思うのです。お医者さんのはしごとか、要らない薬は捨てているとか、良く聞きます。医院のサロン化なんて話も聞きます。終末医療も含めて、この際みんなで考える機会としてとらえるべきではなかったのでしょうか。

 すべて政治家まかせなんて、のんびりしていたら・・・こんな結果ですもの。
ちゃんとチェツクをして、自己責任という部分もありと思うんだけどな。

 どちらにしても、行き詰っているとしか思えない年金ですね。

                          依田 美恵子


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しゃべりすぎ?

2008年06月15日 | 住まいづくり
今週は打ち合わせの多い週末だった。

金曜日は千葉のお客様がパンフレットをもらいに立ち寄られたので、モデルハウスにご案内して説明、他の工法もよく研究探索されている方でしたので、こちらも説明に力が入りました。

質問に対応して2時間程?説明して最後に「社長はもっとしゃべるんですよ」とお話しすると 「失礼ですが奥さんよりしゃべるんですか?私は奥さんが倒れるのではないと心配になりました」と、お客様がニコニコしながら仰いました。

「しまった。」ゆっくりお話したつもりだったが、お客様の疑問にお答えしようと早口でしゃべり過ぎたようだ。

いつもは社長が一人でしゃべり続けると、私が止めに入るのだが・・・・

土曜日は、トステムショールームでお客様と2時間半ほどキッチンやバス・建材建具等打ち合わせ、最後にお客様が「疲れたでしょ、ありがとうございました。」と私を気遣ってくださる、私疲れた顔してたのかな?反省。
私は大丈夫だけれどきっとお客様がお疲れになったのだと思う。お疲れ様でした。

午後は、建売分譲地に住宅を建てようとお考えのお客様が図面の打ち合わせに見えてくださいました。
実は分譲の建設業者から住宅の建設も進められていたのですが、当社を選んでくださったのです。
ありがとうございます。いい家が出来るようがんばります。


その後はリフォームのお客様のお宅にお邪魔して間取りの打ち合わせ、ここでもやってしまった。
「みゆきさんがぽんぽん言って、設計の若林さんがコメントしていいコンビですね。」とお客様に褒められた。のか??

今日は午前中上田市の建て替えのお客様のお宅に伺い間取りの打ち合わせ、ここでも間取りの打ち合わせしながら、基礎や工法の説明になる。

お客様も感謝祭や完成見学会にみえ、勉強していらっしゃるので、近所の他社工事現場の工事も注意深く見られていて、私に工事の様子を説明してくださいました。


午後は2組のお客様を、OBのお客様E様の家にご案内しました。

社長と二人でご案内したのですが、ここでは私たちが説明しなくても、OBのE様が順序よく説明してくださいました。
1階から2階まで隅々まで見せてくださり、こだわったところ、良かったことをお話しくださいました。お連れしたお客様が「E様は中島木材の広告塔ですね。」と仰るくらい良く説明してくださいました。ありがとうございました。

よくしゃべった週末でした。   中島みゆき



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ふるさと納税ってこういうことだったんだ。

2008年06月13日 | 日々のこと
「ふるさと納税って、寄付のことなの?」テレビで、長野県のふるさと納税が48万円という報道を見ての私の感想。

 ふるさとに納税なんて、どうやってやるのかななんて無関心ながらも疑問に思っていたけど、そういうことなんだ。

 たとえば、30.000円をふるさとの市町村に寄付をすると、5.000円はカットで25.000円の1割2.500円が所得税の寄付控除、残りの22.500円が地方税から控除。
相方に聞いたら、そう説明してくれた。

 突き詰めると、寄付する金額に関係なく5.000円でふるさとに貢献できるという仕組みなのだ。

 器は同じなんだけど、その中で取り合い合戦をする訳だ。債権団体に陥っているふるさとを持つ人にはいい方法かもしれない。

 「それでも、これにかける費用ってばかにならないのでは?」「・・・・・・」
「2000円札と同じレベルかなー」「・・・・・」相方は、私の感想には答えません。そりゃそうだあなたが作った政策ではないのに、これ以上はかわいそうか。

 「ねぇー、納税と付いているから、あなたの仕事かと思っていたけど、違うんじゃないの」「・・・・・」・・・・・口が堅い。

                          依田 美恵子
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天気予報によると、佐久地方は霧の名所になりました。

2008年06月12日 | 日々のこと
 天気予報で度々、長野県佐久地方に霧予報がでる。昔からこんなに霧が出たのかしら、と考えることしきりです。隣の軽井沢は昔から霧の名所でしたから、軽井沢も佐久と思えば・・・そういえばそうか。
 わたしは高速道路の閼伽流山(あかるさん)トンネルができたせいかなーーーなんて想像してたりして(笑)。


 長野労働基準協会の「ひと口コラム」・・・・たびたび登場しますが、今回も楽しかったので引用します。

 「霧」と「靄(もや)」、そして「霞(かすみ)」の違いはご存知ですか。
 よく霧が濃いとか、靄がかかったようだといいますが、どんな違いがあるのでしょう。

 霧はひと言で言えば、地表上の雲のことで、水蒸気が地表近くで冷やされれば霧、空高いところであれば雲になるわけで、必ず冷たい空気と暖かい空気の利用法がないと霧はできません。冷たい空気だけの時は、露になってしまいます。

 そして、靄(もや)は、霧と成分は同じですが、霧が水平視1km未満に対し、靄は、1km以上のものを言います。要するに、よく遠くが見えない上体が霧、うっすらとなんとなく見ることができるものを靄(もや)というわけです。

 霞(かすみ)は、霧や靄と違って、正式な気象用語ではなく、空気中の水滴の他、煙等によって遠くがかすんで見える現象を言います。

 いずれがアヤメかカキツバタか。・・・・覚えるそばから忘れたりして・・・・いえ最初から入らなかったりして(笑)。

                         依田 美恵子

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とっても有名な猪料理のお店「やまおく」

2008年06月11日 | 日々のこと
昨日静岡からお見えになったお客様と、社長にご用のお客様と合同で、お昼を食べに「やまおく」に行きました。会社から歩いて3分のところなんですが、私は3年に1度位のペースでしか行ったことがないのです。

 しかし、とんでもない出先で、お宅の近所の「やまおく」へ行ってきました。とお話いただくことがあるのです。灯台元暗しというのでしょうか、とっても有名なんだそうです。

 猪料理が売り物なんです。猪ときいただけで・・・ちょつと恐れをなす感じですが、牛も豚もありまして、とってもおいしいお肉を備長炭の炉で焼いていただきました。その炉でお鍋もいただきました。運動不足を炉の暑さの汗で補った気分でした。それでも背広姿のお二人にはお気のどくでしたよ。焼肉食べたのバレバレじゃあんだったりして。

 お昼でもこんなに混んでいるのと、私はとーっても驚きでした。

 我が家の外食ときたら、お魚・お魚っていう感じですので、縁がなかったでしたね。

 今年の春店内をリフォームしたとのことで、尺3寸はあろうかと思える欅の大黒柱にフロアーも欅張りでしたよ。

 昨年秋、会長がその日ゴルフを一緒にプレーしたご婦人が、夕食はお嬢さんとその友人と一緒に「やまおく」ですとお聞きして、佐久の特産品を「やまおく」に託して差し上げたところ、後日丁重なお礼状が届いた。お礼状が届いて知ったのだけど、その友人は阿川佐和子さんだったとは・・・・・。私ファンなんだけどな。もっとも会長は阿川佐和子さんが何者か知ってか知らずかだろうけど。

 結構有名人がお見えのお店らしく、以前は色紙が貼ってあったような気がしましたが、さすがに今はありませんでしたよ。

 今度は、あの焼肉でビールがいいですね。どなたかご一緒しませんか。

                           依田 美恵子

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梅雨の晴れ間です。

2008年06月10日 | 読書
梅雨の晴れ間のいい天気です。会社は雷の通り道ですので、昨日は早々とパソコンを切り念には念を入れて、コンセントまで抜きました。

 最近は雷が落ちると、高くつくんですよね。昨年我が家のパソコンも電話機も、近くの大木に落ちた雷でやられました。
 修理したけれど、いまだに回復していません。会社で1日パソコンに向かい合って、家に帰ってまでやらないと決めて以来放ってあります。
 
 時々調べ物をしたい時、不便なんですよね。それ以外は・・・・ということにしています。
 そうでないと、家庭内でコミニュケーションの時間がなくなってしまうのです。さらに読書の時間が一番先に消えちゃうのです。たまにはテレビドラマも見たいですものね。

ここしばらく、推理小説を読んでいます。題名は・・・・、作者は・・・・、あらあら最初から見てないというか、覚えていないというか。夜中の3時頃目ざめたので、ラツキーと思って読み続けました。朝が辛かったことといったら。
 本当は仕事に役立つ1冊を先に読まなければならなかったのだけど、楽しいほうが優先しちゃいました。
                          依田 美恵子
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人生おしまいの日に思うこと。

2008年06月09日 | 家族
3年に1度の同窓会の出席をお誘いした電話で。「なぜいつもそう明るい声なの?」「どうしてそんなに積極的にできるの?」とはかって同じクラスの地元が同じ友人のセリフだ。誘っても断られると分かっていても誘ってしまう。

 「私はあなたに会いたいのよ」と強引に出席を約束させても、前回はドタキャンだった。軽井沢へアート展を見に行こうと誘った時もそうだっけ。なぜそれが断る理由になるのよと・・・・内心そう思いつつ電話の声を聞く。

 なぜって?。卒業生が母校を支えなくて誰が支えるのよ、と言おうかと思ったが、思わず「人生のおしまいの日に、やり残したことがないようによ」と返していた。「今が一番若いのよ、今出来なくていつ出来るのよ」

 学生時代のあなたはそうじゃなかった・・・・その言葉を胸の内でつぶやいて、電話を切り上げようとすると、「忙しいの?」と聞く。「ええ」と答える。
忙しくなんかないけれど、話していると、自分のエネルギーが吸い取られるような気がしたのだ。

 懲りない電話をした後、やりきれない気持ちを抱えながら、なぜ人生おしまいの日なんて言葉が出たのだろうかと考えた。
 15年前父が亡くなる1週間前、病室で眠れぬ夜を明方まで、私に自分の半生を語った父、最期に「自分の人生に悔いは無い」と締めくくった。

 普段忘れているようでも、私自身の生き方の根本に影響を与えなかったわけではなかったようだ、無意識なうちにも私自身の内に、「そのように生きたい自分」が確立していたのだろう。

 人生長い間、いつでもおんぶにだっこではならないから、人様のお役にたつことを何処かでしなければならないと思っているのだか・・・傍目で見れば「なんとお好きで」と思われているのかな。

                            依田 美恵子
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