母の日近し

2019年05月10日 | 家族
母の日が近い。

 ここ10数年は母の日の前日がお客様感謝祭だったから、母の日というイベントは眼中になくきていた。

 おまけに夫や息子ファミリーもちーちゃんたちも、お客様感謝祭のスタッフとして動員していたから、終わった後はご苦労さんということで慰労会になり、母の日はその陰に隠れてしまっていた・・・・と私自身はそう解釈(笑)

 それが今年はその感謝祭が秋になった。

 日が近づいても、何の予定も入ってこない・・・・・私主催になるのかなー・・・なんて。

 連休中から、夫に「座ればごはんがでてくると思っていない」と、ひそかにうたっていたのに、日々のおさんどんからの開放もなくきて、母の日である。

 あちこちの催し物に行きたいと思いつつも、年寄を抱えると夫と2人で出かけていきがたい状態になってきている。

 これから先はなおそうなるだろうな。

 昨夜諦めて、「手巻き寿司」にでもするわあー、と夫に声を掛けた。なんか一番手がかからなそう(笑)冷凍のいくらの醤油漬けもあることだし、なんて。

 息子ファミリーに「出かけておいて」と電話しよう。

 週末は自分の好きなことをして過ごそうとあれこれ思案する。

 「坂の上の雲」の最終巻と「つるし雛」の押絵をやろう。

 草取りにも目を瞑って・・・・できるかな(笑)

 現実は山椒の葉も大きくなってきているから、ペースト用に摘まなくてはならないし、わらびも採り頃になってくるし。

 優雅な時間すごせるかな(笑)

 皆様も有意義な母の日をお迎えください。

                          依田美恵子

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何事も繰り返し繰り返し勉強する

2019年05月08日 | 読書
 今朝の信濃毎日新聞の「斜面」を書き写しながら、弘化4年(1847年)が目に留まった。弘化4年は我が地区の道祖神の塔の裏に刻み込まれた年でもある。
 
 「斜面」によれば、172年前の今日は善行寺地震が発生された日だという。

 山崩れが犀川をせき止め19日後に決壊、大洪水となった。

 昨年「真田太平記」を読んだ後、その後の真田家関係の本を読みながら、この大洪水によって苦しんだ松代藩のくだりがあった。

 歴史が教科書の中のものではなく、地域のものとして強く意識されたのだった。

 1742年には「戌の満水」で大洪水が伝えられているが、明治・大正・昭和になっても、大なり小なりの洪水に襲われている。

 治山治水といって多くの公共事業が投じられてきたが、現在でもなくならない。自然の力は偉大で驚異である。

 しかし一方、人間の方も、宅地を求めて自然の範疇に踏み込みすぎていると思う。

 宅地にインフラが間に合わないというか、水の流れや量に考慮した整備が置き去りにされていってはいまいか。

 土地が私有財産だけに、なかなかむずかしい問題でもある。

 昨今、地球規模で天候が変わってきているのを肌で感じる。

 

 司馬遼太郎の「坂の上の雲」を居眠りをしつつ読んでいる。最大の難関は、5巻と6巻だった。

 読書はベットに入ってからにしているので、何度手元から本を滑り落したことか。

 本当にくどいほどに日露戦争を書いている。しかし繰り返し繰り返し書かれてよんでいるうちに、読者にもことの「本質」が理解できてくるのだと思う。

 日露戦争は日本の勝利だった・・・・これは教科書で習ったことである。

 が、その中身というか・・・・。

 明治になって30年ばかりのわが国が大国と戦う。長い間戦争をしていない、幕末の国内での戦争経験のみが原点。

 武器も弾薬も戦艦も十分ない中で、兵士がどんどんとつぎ込まれていった。

 この戦争に負けたなら、わが国の国体が無くなってしまう。その切羽詰まった事情がわかる。

 なぜ勝てたか・・・・一番はロシアの腐敗かも。

 昨年ロシアの博物館で出会った財宝。これは権力そのものだと感じたけれども、この本を読むと、これまたロシアが少し理解できたと思う。

 最近、歴史小説を読み始めて、遅まきながら知ることが多い。

 坂の上の雲、ようやく7巻が終わり、最終巻に入る、これからバルチック艦隊との戦いである。何が書かれているかわくわくする気分。

 しかし、この日露の戦いの勝利ということだけが、国民や政府の中にもクローズアップされ、昭和の戦争に突入していったのだと、「私も」思ったが、

 司馬さんもこのあたり何回も書いている。

 本当に繰り返し繰り返し同じことを書いている小説である。

 この本を愛読書に取り上げる経済人もいるが、とてもよくその気持ちがわかる。

 何事も繰り返し勉強することが大切なんだわと思ったりする・・・・・60年前に理解してればね(笑)
                                     依田美恵子

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雹が降って

2019年05月07日 | 日々のこと
連休最後の日、午後は天気が気まぐれになりました。北東の空が真っ黒でした。夕食の後すごい音がしました。何事かと思うような風が吹き、強い雨音の中に固い音が混じりました。

 庭に出ましたら、1面に雹が落ちていました。直径8ミリ位ですから、かなり大きめです。

 嫌ですね。

 この日午前中にお知り合いと電話で話しました。プルーンを楽しみにしているの、と言われたので、頑張って送りますねとお話したばかりでした。

 う~ん、大丈夫かしらねえ。

 
 ここしばらく、せっせと畑に通って苗を植えたり種まきしていた夫です。

 今朝畑に行ったら、畑の方がひどいようだと言います。

 せっかくの苦労が気泡にならなければいいんだけどな。

 ダメだったら食べれないだけだから、と夫。いえいえ私困るんだけどな・・・・ちょうど伸び始めていた雪割りの芽がやられたのを受けての話でした。

 
 桜からバトンを渡された花ミズキがきれいですね。

 田んぼにも徐々に水が張られてきました。

 また農家の忙しい日々の始まりです。

 連休が明けて、本日から仕事が稼動になります。

 そう言いつつ、私は本日は「つるし雛」の教室ですので、朝1時間早く出社して仕事を間に合わせました。

 今朝は冷気を含んだ風が冷たいです。

 気温の差がありすぎですね、皆様もご自愛くださいね。
                       依田美恵子

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連休お疲れ様でした

2019年05月06日 | 日々のこと
実は、連休の初日に1回のトイレの水が止まらなくなりました。

 会社の設備の秋山さんに見てもらったのですが、部品が・・・・取り寄せできないのです。

 なんで、こんな日になんでしょうね(笑)

 結局連休明けの7日ということになりました。

 この連休中、お客様のお宅が2軒、トイレの不具合があったのですが、そちらは休み中ですが、対応ができました。

 メーカーは動きませんが、修理部門は動いてくれます。

 ただ部品がないとね。

 そんな訳で不自由この上ないお休みでした。

 どうやつて対応したかって?

 バケツの水を流すという基本的な方法があるのですが、それもなかなか厄介なので、2階のトイレを使いました。

 問題は母ですが、こちらは昼間もホータブルで済ませました。でも1日何回かのトイレまでの歩行が無くなると、それだけで脚力が落ちるのですね。

 今朝ディーサービスに送り出す時、母に出来ることをやっているだけでは退化でしかないのではと進言しました。

 平らなところを歩いているだけでは、どんどん歩くことも出来なくなってきているからです。

 いつもなら「私はとてもよく運動している」と言うところですが、本日は「そのうちやってみるわ」となりました。

 この「そのうち」が問題なんですけれどもね(笑)

 そのうち暖かくなったら・・・・涼しくなったらの言葉で4シーズンが3回めぐっていますから。

 施設では「無理するな」と言うのだそうです・・・・だから無理なことはしないのだとか。

 それは施設の中で転倒されるのが嫌なのでしょうし、歩けなくなっても、施設では何の問題もないことなのですから。

 1段でもいいから昇り降りをしなければ、ヨチヨチ歩きを改善できないように思えるのです。

 気持ちだけは一生懸命やっているのですが、1日の運動量は私の15分の動きにも足りない位なのです。

 齢を重ねるって・・・・私たちにとって未知の世界なのです。

 長いお休みが本日で終わりです。

 本当にやれやれです。

 やることがどんどん見えてきて、結局ずっと動きっぱなしでした。

 昨日から、結婚当初私たちが住んでいた離れを片付けました。

 古い箪笥に、古文書と本が詰まっています。この本夫購入の「見せる本」というか「積んどく本」です。

 もう何回も手を付け、おおよそ3分の1位にしたのですが、結局今回処分できませんでした。

 読めばためになりそうというか、これから役にたつことがありそう・・・・と思うことにして(笑)

 一部母屋に戻しました・・・・世界遺産シリーズで厚くて大きいのが10冊ほど。

 いえねえ・・・・この世界遺産の本・・・別シリーズがあるんです。そちらさえほとんど目を通していません。

 時たま出かける先の物をチラっチラッという位。でもフランスにその冊子・・・・そうこれは薄い冊子になっているのです・・・を持っていたら同行者が

 私も持っていたのに、持ってくれば良かったと言いました。

 そこで役に立ったくらいなのにね。

 持ち込んだ10冊にたどり着けられるかしら(笑)

 みなさん連休お疲れ様でした。
                              依田美恵子

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長い連休に

2019年05月04日 | 日々のこと
 昨日あたりから、まだ3日もあるの、と食傷気味な休日です。

 まさかに長いです。

 お正月休みなら、寒いからと自分に言い訳もできたし、新年早々から掃除も片付けもできないしというあきらめもあったけど、この5月です。

 陽気は上々ですもの。

 というわけで、どこへ行っても家事が目に付くこと。

 まず貯蔵庫の整理です。3畳ばかりの広さですが、棚か2面に2段つくてあります。

 果実酒・きゅうりのピクルス・らっきょう漬け・にんにくの醤油漬け・トマトのピクルス等があります。そしてその空きビンも置いてあります。

 棚の下の床には、昨年と今年仕込んだ味噌のタッパーが6本。梅漬けが1本。

 棚の上には、漬物の時期に使う様々なタッパーです。

 少し数を減らしたいと思っても、いざ使う時になると足りなくなります。

 粕漬けは温かくなると、冷蔵庫に移動していますので、今は一番貯蔵庫が空いている時期です。

 棚を拭いて敷紙を新しくし、全然使いそうもない物を抜きました。

 お鍋も一つ入れ替えしました。

 平形のタッパーを開けてみたら、ごはん茶碗が30個ばかり出てきました。人寄せようですが、何年か前にここに入れた私でさえ忘れています。

 だれでもわかるように、キッチン納戸の食器棚に移動しました。ついでにお椀も同数並べて収納しました。

 実を言えば、家の外の味噌部屋にも小屋にも、鍋類も食器も存在しません。かっては至るところに存在していました。

 ここまでよく減らせたと思います。

 アー思い出してしまいました。味噌部屋にありました、本当に大きなお鍋が幾つも。これはIHでは使えない「みゆき」鍋です。

 これこそは人寄せの時に使うものですが、万が一災害でもあった時に炊き出しに仕えるので取っておきます。

 床も漂白剤で吹いてさっぱりとしました。

 そのついでに、キッチンの戸棚の脚立を使わなければ掃除ができない戸棚の掃除です。

 ここには昔からの「塗りのお椀」を入れています。おめでたい時に使うオレンジ色と、緑色です。

 その他には佐久らしく「鯉こく碗」が存在します。

 嫁いだ頃は正月やお祭りのお客様に使っていたのに、いつしか仕舞いこんだままです。

 代々の嫁が大事にしてきたものですから、これは温存します。

 まだ温存しているもの・・・・重箱です。

 重箱がおこわやお餅にお寿司を詰めて行ったり来たりしたのも、もう過去のことになりました。

 そうでなくても、便利な入れ物でまにあわせています。

 代々伝わっている「塗り」の物だけにして、中代流行ったプラスチックの物はとうに処分しました。

 それでも処分できないものが。一番高い棚にありました・・・・これにも目を瞑りました。

 そして一つのコーナーは娘の遺した食器の類です。塗りの物が好きだったから。

 実用のあるものは、我が家で使っているのですが、これらの物はちーちゃんに残そうとそっとしてあります。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 お庭に出れば、草に目がいきます。裏庭に「こごみ」が出始めました。こちらも日に1回は取らなければなりません。

 珍しいうちにと僅かずつお届けに行きます。

 山椒の葉も芽吹いてきました。これを見て急に献立が変わります。


 これだけお休みがあると、私の「つるし雛」もはかどりました。もっとやりたいけれど、教えていただいていませんので、針箱の整理までできました。

 母がズボン下の長さを短くして・・・とか入ります。

 ちーちゃんの枕カバーも全部で3枚縫い上げました。

 お座敷の炬燵をひとつ片付けました。干したり、洗ったりもして、夏座布団も出して間に合わせました。

 なんたって主婦をしているからどんどんと間に合って行ってしまうのです(笑)

 私もどっかへ行きた~い!!

 絶対上げ膳据え膳がいいぞなあと思っているのですが・・・・。

 皆様もどうぞよいお休みをお過ごしください。

  依田美恵子

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平成元年のベルリンの壁の崩壊

2019年05月01日 | 長野労基のひと口コラム
皆様いかがお過ごしでいらっしゃいますか、令和元年の初日を。

 昭和生まれの私にとって明治は祖父の時代でした。

 だから明治は古い時代という感覚でもあったのでした。

 そういう私も昭和・平成・令和と3代を生きることになります。

 私がそう思ったとおり、平成生まれの孫たちは、やっぱり昭和は古いと言うかもしれません。

 自分の気持ちはとっても若い積りだけれども、本当に積りだけだわね。(笑)
 
  人生の中で、あーあれが世界の分岐点だったという事象をマスコミを通して幾つか目にしました。

 その中の一つが「ベルリンの壁の崩壊」です。

 2019年5月の長野労基のひと口コラムです。

 『分断の象徴、「ベルリンのかべって」、戦後すぐできたと思っていませんか?』

 以下引用です。

 共産主義国家の民主化の動きとして語られるものとして「ベルリンの壁」の崩壊があります。

 この壁の崩壊は1989年(平成元年)に起きたものです。

 東ドイツ国民によって、ハンマーやつるはし等で壁をたたいている映像が世界的に流たので、記憶にある方も多いと思います。

 敗戦によりドイツが分断され、首都ベルリンは東ドイツにありながら、市内が分断され、西ベルリン(西ドイツ領)が存在していました。

 ベルリンの壁は、西ベルリン周辺155キロにわたって遮断したコンクリート製の壁で、戦後すぐに造られたものかと思っていましたら、当初は有刺鉄線で張り巡らせていたものを、戦後15年以上経った昭和36年になって、石造りが始まり、昭和50年に完成したものでした。

 通行可能な検問所は数か所設けられましたが、西ベルリンから東ベルリンに入るには2か所に限定され、さらに滞在時間も24時間以内という条件付きでした。

 昭和60年頃から東欧諸国で民主化の動きが強まり、それに押されて東ドイツ政府が「旅行許可に関する出国規制緩和」という政令を出し、それによって東ドイツのすべての国境から出国可能になり、さらに自由化を求める動きに拍車がかかって壁の崩壊につながりました。

 分断の象徴は建設が始まって、30年足らずで姿を消すことになりました。

 以上引用終わり

 あの映像は平成元年だったということに感無量です。

 あれから30年ですか・・・・光陰矢の如しといいますが、30年に戻れたらどう生きようかななんて楽しく想像をしてみたりした、令和元年の朝でした。

 まあ―とりあえず前を向いて生きていきましょうか(笑)
                                     依田美恵子

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