日本最古の人類は佐久を選んだ

2021年09月20日 | 読書

土曜の午後は「佐久市香坂山遺跡出土の旧石器について」と発掘の結果報告会の講演が開催され、夫と共に出席しました。

講師はもちろん、発掘現場でお会いした国武貞克氏です。

佐久市香坂は私の生まれたところです。

小学生の頃、学校から少し離れた場所で土器のかけらを村の子供たち総出で拾ったことがありました。

すぐ止められましたけれど。

たぶんそれは、今回の遺跡よりずっと最近の縄文時代以降の物だと思います。

今回、3万7000年まえから縄文時代、そして現代までつながっただろう命を思いました。

講演の中で、いやいやびっくりです。3万6800年前がさらに古く3万7000年から3万8000年前とわかったそうです。

ユーラシアの最古の石刃石器群と酷似しているとのこと。

そのユーラシア遺跡は5万年前です。そこから西に1000㎞移る事に1000年の時代を経て、韓国には4万1000年前の遺跡が発掘されているとのこと。

そこから、海を渡ってきたのでしょうね。韓国経路なのか、サハリン経由なのか。

日本最古の人類が佐久の香坂山なのか・・・・一番気になるところです。

海から一番遠い地点ですから。

国武氏は、中央アジアや北アジアの遺跡との共通点をあげられました。

標高が1200m前後で水が出るところ(あるところ)・石刃の石材になる石があるところ・草原地帯で大型の草食動物がいるところ。

香坂山と言っていますが、これは林野庁が国有林に付けた名で、正確には八風山1315mの山麓で、遺跡の所は1100m台です。

500mはなれた場所に黒色安山岩があること。ここから500m群馬側に行った矢川峠の下には、香坂川の源流があり、動物の水飲み場になっていて狩りがしやすかったのではないか。

氷河期は2万年前まで9万年も続いていたとのことです。

当時木は生えていず、草原だったのが、発掘された地層ではっきりわかりました。

最初に来た人類が目にした景色は、草原がズッーと続き遠くまで見通せたのですね。

私が幼い頃から慣れ親しんでいた景色、高台に登った時見えた景色に重なっていきます。

国武氏は、ここに立った最古の人はユーラシアの風を感じただろうと表現して、詩人の面も持ち合わせていらっしゃいました。

質疑応答の中で、次の発掘の予定が聞かれました。

国武氏はそれはないと明言されました。掘ってしまうと無くなってしまうと話され、将来の世代のために残しておきたいと。

私たち一般人はあれだけすごいものが出れば、その前後左右はどうなっているのかと期待が募っていました。

市の教育長も、同じことを話され、今後はこの宝を守っていきたいと。

発掘者国武氏の「大事にしてほしい」の言葉が強く胸に響きました。

教科書が書き換えられるような遺跡ですが、いつになるでしょうね、そんな質問もでました。

肝心の石刃までたどり着けません。

あらためて、次の機会に。

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片付けの相談とお手伝い

2021年09月19日 | 日々のこと

10日ほど前、息子から実家を片付けたい方がいるから、相談にのって欲しいと言われました。

それではと昨日出かけていきました。

ご両親が亡くなられて20年近く経っている築60年のお宅でした。

養蚕をしていた時代の総2階の大きな家に、牛小屋と納屋付きでした。

どうやって手を付けていいかわからないとは、ご本人の思いかもしれませんが、「大丈夫ですよ、簡単に片付きますよ」と答えた私。

建物の解体は業者になりますが、その前の家財の片付けはできるだけご自分でなさることをお勧めして。

こんなこともありやと、持参した指定のゴミ袋で片付け始めました。

「あとでやるから」のご本人ですが、今までやれなかった物がそうそう簡単に手を付けられるハズはありません。

もう背中を押すしかありません。

まず、ゴミの分別も未経験のようだから・・・・。

最初に家中のお布団と小型家電をまとめました。

来週日曜日に市の持ち込みの埋め立てゴミの休日回収があるからです。

この布団が無くなると、田舎の家はかなりスッキリします。

私たち1世代前、大正末から昭和の初めに生まれた方のお住まいでしたから、物の量がさほど多くありません。

私の子供時代は部屋は四角そのものでした。あちこちに物があふれるようになったのは、高度成長時代から、そうそうプラスチック製品がでるようになってからですね。

子供たちも独立して夫婦だけの生活だと、この程度の量で充分豊かに暮らせたのだろうと想像できました。

多少、片付けられた物もあったかもしれません。

2階も見てくださいと言われて、実は恐る恐る上りましたら、大丈夫でした。

養蚕の道具がわずかに残っていた位でした。

60年前の家は、アルミサッシがまだ普及する少し前ですから、建具は木製、壁は土壁です。

若い同居人がいなかったから、本や紙類がないのも幸いです。

多いのは食器です。まだ寄り事を家でやった時代ですから、これが一番多いようです。

そして漬物桶・・・・もちろん木ですがいくつもありました。

そして中身の入った自家製醤油の1升瓶が十数本、こちらも木箱に入っていました・・・・時代を感じます。

木関係をどうするか、悩むところです。

薪ストーブをお使いの方に聞いてみましょう。

もうすぐ定年だそうです。

でも定年後にやろうと思っていると、それはそれなり忙しいものです。特に寒い時期に定年を迎えると伺えば。

思い立った今コツコツと袋に入れ、出してくださいね。

そうコツコツしかないのです・・・・お金を掛けないために・・・・半年かければ大丈夫。

昨日も息子と嫁ちゃんと4人2時間ばかりでかなり進みました。

寝ていても、この後の段取りが頭をよぎりますが、お手伝いするのは私でなくて息子でしょう。

でも私、片付けするの好きなんだわ。

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自家製醤油の瓶詰と浴衣で作ったパンツとシャツ

2021年09月18日 | 家事のこと

プルーン収穫と同時に、お醤油が絞り上がってきて、1週間したら瓶詰してと言われました。

瓶詰って簡単に思っていましたが、味噌部屋はただ今、野菜の貯蔵庫も兼ねていて、じゃがいもに、人参にかぼちゃが鎮座しています。

70リットルの桶は移動が出来ず、1升瓶片手に奮闘しました。

1升瓶は結局30本のお酒を飲み切れず、4合瓶も動員し、さらにペツトポトルにも頑張ってもらいました。

日の光が入ると色が悪くなるので、ペットボトルはダンボールの箱にしまいました。

詰めていてハタと思ったのです。口元のどこまで入れるかをです。

確実に上部の空気に触れているところはカビます・・・・・昔そうでした。

だから目いっぱいかな・・・・でも発酵が進むとパンッと蓋が飛ぶかもしれません。

とかとかいろいろ考えて、その気持ちの揺れ動くままに、いろいろになりました。

詰めたビンの外側も洗い、醤油がかかったものを洗いました。

醤油は1滴でもすごく香り高いから。

春、もろみの掻きまわし棒を作ってくれた、元同僚に届けました。

いい香りがするなあーって。

 

月初めから縫い始めていた、現代風もんぺですが、採った型はワイドパンツでした。

カットしてから気が付いたけど、仕方がないわ丈を長くして仕上げようと安易に妥協。

結果・・・自分で大笑いするものが出来上がりました。

素直に丈を摘めてワイドパンツにしました。

そして余った生地で、カレンシャツを縫いました。

このシャツとっても簡単なのだけど、裏の始末に時間がかかるのです。

なんたって手縫いの返し針で・・・ついついつるし雛のように細かく縫っているから。

そして縫物用のタンスを開けたら、昔の絣の着物をほどいたのが目に入ってしまいました。

柔らかな手触り・・・・これこそ野良着のモンペにぴったりではないですか。

リベンジです。間違いなく型紙も取り出しました。

衣替えをしていて、今年1度も気なかった綿の洋服。

旅先で、汗っかきの私が土産物屋で求めて着替えたものです。色はきれいなのだけど・・・・。

たぶん来年も着ないだろうなー、ということで2枚お手玉用にカットしました。

ついでにいただき物の洋服、洗ってみたらサイズが合わなくて。

結局70個のお手玉用が出来ました。

パラリンピックで盛り上がった「ポッチャ」。

施設でお手玉を使って、このゲームをやっていて、1昨年差し上げたことがありました。

先日、そのお礼を再び言っていただきました。

それ用に作ったものでないので、もうパンクしているかもしれないかもと思いいたったのです。

今はやりたいことが幾つもあって、お手玉までたどり着けませんが、冬場のおこもり仕事にでも作りましょうか。

作業部屋の前を通るたびに、縫物をしたいという誘惑を振り切っているこの頃です。

糸もフェルト綿も買いに行きた~い・・・この気持ち。

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吾亦紅とゴマシジミ オコメの値段が下がるって

2021年09月16日 | 日々のこと

昨日、吾亦紅のことまで書けませんでした。

信濃毎日新聞の斜面を書き写していましたら、吾亦紅を唯一の食材にしている蝶がいるのだと書かれていました。

ゴマシジミだそうです。花穂に卵を産み、幼虫は花穂を食べて成長し、4齢になると、特定のアリによって巣に運ばれ、その卵や幼虫を食べて翌年夏に羽化するのだそうです。

筆者が「いくつもの条件が重なって生まれる命の循環」と書いていましたが、誠に奇跡のようだと思いました。

今、野にこれらの花を見ることは稀です。

かえって人様のお庭で拝見することのほうが多いのです。

最近昆虫食が話題になりますね。

九州で昆虫の素揚げを自動販売機で販売し始めたという話が、ラジオから流れてきました。

そんな話を聞きながら、収穫も近くになった田んぼの畦に立ちました。

いません、イナゴが。

昆虫食時代になって、私が食べれるとしたら、イナゴだけかも。

野の花もそうですが、昆虫自体減っているのですね。

 

先日車を走らせていましたら、稲刈りもまもなくの田んぼに人が団体で入っていました。

団体っていっても7~8人、若い方たちです。

稲の中のシイやバカを取り除いていました。

これを取り除いておかないと、お米の中に混じってしまうのですね。

委託を受けた農業法人の皆さんなのでしょう。

数年前まで、これらの雑草がいっぱいの田んぼがありましたが、今年は少ないなと思っていました。

つまり・・・・自分で出来なくなって、田植えと稲刈りはお願いしていたけれど、雑草は自分でやらなければならないのだけど、結局できなかったということなのだと想像していました。

それが一歩進んで委託すると、先のように委託先が全部やってくれるようになったということなのでしょね。

我が家も全部委託にだして3年です。

今朝の新聞に「コメ価格、2年連続下落へ 在庫高止まり 外食需要縮小」とありました。

今、委託に出すと、わずかに地主にコメでなくお金がきます。

この調子でいくと、逆にお金を払って委託する時代の到来も近いですね。

それにしても外食が縮小しているから、おコメを食べないってどういうことなのでしょうね。

我が国のカロリーベースの食料自給率は38パーセントと、また下がりました。

この余っているお米も計算に入れてでしょうね。

小麦も油も値上がりしています。

国民一人ひとりが、ごはんを毎日1杯余計に食べたら、解消できるのではと思います。

そうでなければ、我が国の食は守られません。

世界中から物が買えるというのも、永遠ではないでしょう。

今回のコロナで私たちは、日本国が一等国と思っていたのが幻想であったことを思い知ったはずです。

食料が自給できていない国は最終的に一番切ない思いをするかもしれません。

あ~あ、やっぱり長くなってしまいました。

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吾亦紅とツリカセネニンジンとととき

2021年09月15日 | 日々のこと

すっかり秋めいてまいりました。

先日遺跡を訪ねていった帰り、私の穴場であるイグチタケがそろそろかなと覗いてみました。

まだ早かったようです。

私の穴場と言っても、きっと大勢の方が自分の穴場だと思っているでしょうね(笑)

木が大きくなったり、手が入っていなかったりで、キノコのとれる山が少なくなっているのです。

私がその穴場を見つけたのは、本当に偶然でした。

その年、絵にかいたようなキノコを、それはそれはたくさん何回も採りに行ったものです。

2011年の秋・・・・誰も採りにいかなかったから、採れただけのこと。

その後はほとんど採れていません。

そのキノコを食べるかどうか迷いました。

影響がでるまでには20年かかるという話にのり、影響が出てくる頃までは生きていないだろうということで食しました。

当然若い人たちには食べさせませんでした。

 

キノコ山の道端で野の花を見ていました。

道端だけは草が刈られているので、かろうじて花が咲いているのです。

吾亦紅が2株、ツリガネニンジンが1株、肩を寄せるように咲いていました。

貴重です。

見ていて、ツリガネニンジンが「ととき」だということを思い出しました。

春、若い葉をお浸しにして食べたのです。田畑の畔にいっぱいあったものでした。

それはもう60年も前のこと。

あの味が忘れられないのです。

いつしかとときを見かけなくなりました。

自分の生活も変わったからということもありますが。

構造改善事業をしたことにより、野の花が無くなりました。

 

40年も前でしょうか、かなり山奥のお宅に仕事で伺った時、お茶にお浸しが出てきました。

一口食べてみたら、懐かしい味で感動したのが食べたのが最後です。

もう1度食べたい物のひとつです。

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自家製醤油ができあがりました

2021年09月13日 | 住まいづくり

今年の3月に仕込んだ、醤油のもろみ。

毎日1度、40回ずつかき混ぜ続けてきました。

250日経って、かき混ぜるのも、いささか飽きたわと感じたその日、麹屋さんが私の心を見透かしたかのように見えてくれました。

麹屋さんの容器にあらかた移し、私の桶も持ち帰ってくれました。

そして翌日出来上がってきました。

1升瓶で30本取れると聞いていましたので、年初めから一生懸命にお酒を飲んだのですが、とても達せられませんでした。

まあー、そんな程度と思われる方もいらっしゃるかしら、でも最近夫は飲むものが違うから。

それで4合瓶のお酒ビンにワインの瓶まで洗って乾燥させて用意していました。

そして肝心のお味はというと。

その昔、といっても20数年前まで我が家で父母が作っていました。

娘は市販の醤油を嫌ったので、娘のために作っていたのかもしれません。

舌が敏感で、ほんの少しの醤油も自家製でないと分かってしまうのでした。

たしかに私もその当時おいしいと思いました。

そして今回、おいしいお豆腐を用意して味見をしました。

う~ん、しょっぱい!!

気負い過ぎて掛け過ぎましたかしら。

いえー、やっぱり塩気が強いです。

それに、20数年、市販の醤油に慣れ過ぎたのでしょう。

多分売っている醤油には添加物が入っているのでしょう。

その添加物に慣れてしまった私の舌。

豆と麹と塩と砂糖だけの自家製醤油。

この味に慣れるにも、時間が必要のようです。

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終わりましたあー

2021年09月12日 | 日々のこと

8日から始めたプルーンの収穫。出荷している訳ではなく、全部ご贈答用。

ここ何年か、足りるか足りないかの微妙な出来具合。今年も霜にやられたし、私が見てもパラパラ状態だったから、用意した化粧箱も少なめにしていました。

だから追加の箱を買いに3度も走りました。採れたということなのですね。

夫が採り、私が選別、箱詰、発送パターンで3日。

そして昨日、息子ファミリーの強力な手が入り、採るのは終わりました。

発送は伝票書いて、業者さんにお願いですみますが、お届けは・・・まさに市内と近隣の街へ夫と交代で届けに行きます。

頭の中に順路を描いて。

怒涛のような日々を過ごしました。

採って家に置いておくわけにはいきません、最後の1箱まで嫁入り先に届けて、ようやく終わりです。

自家用の分も冷蔵庫に残して、さらにジャム用に5キロほど残しました。

作らないつもりでしたが、すでに2キロは完成。

そして「送っただけ来る電話」があるのですが、ここ何年も到着しましたからの電話をご遠慮させていただいているのです。

10年前位までは、早朝から夜の11時まで、選別していた頃から比べれば、体力の衰えたということですね。

一晩に30本もの電話、受けきれません(笑)

もうバターンキューしています。

ごはんの支度をする元気がなくなります。

土曜、と今日はCちゃんパパがテイクアウトやハンバーガーを手配してくれました。

今日の午前中でお届けもみんな終わりました。

余った箱を片付け、在庫にあった使わない規格のパックは友人宅へ届け、出荷用の箱も知人に届けて、思い切りました。

朝、ナスの辛子漬けの仕込みをして出かけました。ナスの辛子漬けは3時間半コースなのです。

帰って、選別していたキッチンの掃除をし、家中の床に雑巾を掛けて採集カゴに付いてきた砂が拡散しないうちに撤去です。

午後、2時間料理です。

野菜室の野菜を一掃させました。

これで・・・終わりました・・・ハズです。

電話は何本もありませんでしたが、メールにメッセージにラインにいっぱいいただいていました。

5つ年上の友人からのメッセージに驚いてしましました。

この1年の間に要支援2になっていました。車の運転もできないと・・・・。

仕事中階段から落下したのでしたが、こんな状態になっているなんて。

誰しも、いつまでも元気で健康体でいられる保証はないですものね。

そろそろ終活を考えた生き方が必要だと思わされたのでした。

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香坂山遺跡に至るまで

2021年09月11日 | 日々のこと

先日の記事のタイトルが大きく間違っていました。3万6800万年前を3億6800万年前と。

自分のタイトルは治りましたが、あちこちに拡散したものは直りません。

みどりさん教えていただいてありがとうございます。

ネットの怖さを感じました。気を付けなければいけないですね。

 

なぜ、私が「香坂山遺跡」に興味を持っようになったかは、昨年の今頃の信濃毎日新聞の記事でした。

香坂は私の生まれたとこ、とともに、「エイラ」が私の中にあったからかもしれません。

しばらく前、その発掘調査の説明会が開かれたという報道もあって、この目で見てみたいという気持ちが高まっていました。

新聞の記事から推察するに、私が子供の頃掘っていた遺跡の所とは離れているようでした。

古い記憶を辿れば、私たち子供が傾斜地の畑から拾い出した時のかけらには、縄模様があったような気がします。

その意味も知りたいと。

最近になって公民館のお誘いがありました「香坂山遺跡に日本最古の石器作りを学ぶ」という講座です。

夫と2人申し込み、現地での見学を楽しみにしていましたがコロナで延期となりました。

いつになるのかな、と思っていましたら、発掘現場をそのままにしておけないらしく、埋め戻してしまうようです。

それで個人で現場を見られますと、地図も送られてきました。

天候が回復した日、さっそく出かけていきました。

土地勘がある私でも、なぜこんなところに遺跡があるってわかったのだろうが、素朴な疑問でした。

そうしたら遺跡の発掘現場の道路の反対側に、自然の中にまさに不似合いな無機質なコンクリートの建物が建っていました。

「なんですか?」という私の問いに、作業員の方が「八風山トンネルの通気口」と教えてくれました。

地下に高速のトンネルが走っているのですね、その通気口を作る時に遺跡が出てきたということなのですね。

それにしても・・・・すごい発見。

発掘現場は深いので気を付けて、上から見学してくださいとのことでしたが、「どうぞ中へ」とお声を掛けてくださったのは邦武貞克さん。

あいにく出土した石器はほぼ片付けづけられていて、それらが出たところに、印の棒が高さを示して立っていました。

ここが調理場だったらしいと。炎で焼けた石は残っていました。

ここの地か「黒色安山岩」が手に入るからだとか。

石器の材料なのです。

発掘された周囲の土の壁が、見事に年代を教えてくれます。

氷河期は、木がはえていなかったから、土に有機物がはいっていないから、黄色です。

一番上は黒土です・・・・なるほどです。

浅間の黒斑山の大噴火・・・・山が吹っ飛んだ・・・・それが30センチもの火山れきとなっていました。

そして度々の噴火の噴石が時々の年代の中に見られます。

さらに古くは鹿児島湾の大噴火の火山灰層もみられるのです。

この年代をずっとお話いただいたのに、正確に記憶できませんでした。

ただ見させていただけるだけと思っていたので、メモを取る用意をしてなかったのです。

公民館の講座は、開催できるようになったら座学を開催してくださるとのこと、その時にお聞きします。

それとは別に、9月18日に特別講演会「佐久市香坂山遺跡の調査成果について」が開催されます。

こちらも申し込みしました。

プルーンの収穫の山場を迎えており、走り書きのようなブログです。

このことについては、またゆっくり書きたいです。

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プルーン仕事の合間です

2021年09月09日 | 日々のこと

天候か不順です。

プルーン採りたくても採れません。

もっとも私は、選別、パツク詰めして発送係。

9時過ぎ、雨が上がったようで、夫が出かけて行きました。

Cちゃんから、リクエストがあった肉巻おにぎりのお弁当。

「思い出すのよね、運動会の肉巻おにぎり」と、Cちゃん。

「私のたった一つの運動会の楽しい思い出よ」と、これまたCちゃん。

運動嫌いの彼女にとって、運動会はうれしくないものの筆頭だったみたい。

私もそんな口だったかなあー。

時間があれば料理。

プルーンの収穫の間は、なかなか落ち着いて料理していられないから・・・・。

でも今が一番忙しい時なのに。

だけど、冷蔵庫の中さみしいもの。

遠慮しているジャムも、差し上げられない状態の裂果を1キロ合間に作ってしまったのでした。

先日口明けした味噌も、毎年心待ちしてくださる方に送るべくこちらも袋詰めしました。

確かに・・・・疲れているわ・・・肩こりしているもの(笑)

週末息子ファミリーが手伝いにしてくれるのを心待ちにしています。

1年に1度の我が家の最大事業。

これが終わると、すぐにお豆仕事が入ってきます。

キッチンの窓からお隣さんが、豆のカラビを取っているのが見えましたもの。

すみません、コメントをいただいている皆様、ご返事しばらくお待ちくださいね。

とりあえず今日も一日がんばります。

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香坂山遺跡、3万6800年前の遺跡の場に立って

2021年09月08日 | 日々のこと

私の目の前に現れた遺跡は、3万6800年前と、炭化物を科学的な方法で年代測定された物でした。

そこで発見された石刃石器を分析したら、ユーラシア大陸で発見されている後期旧石器時代のはじめの頃の石器群に瓜二つなのだそうです。

どうして?

どうやって?


私の頭の中では疑問がぐろぐるとかけめぐります。

エイラの世界ではありませんか。

エイラとは「地上の旅人」のシリーズで、10数巻発刊されている、ジーン・アウル作の物語です。

3万年から3万5千年前のネアンデルタール時代から始まるこの物語に私はドキドキしながら、もう何十年も惹かれ続けているのです。

多くの遺跡から、そう「骨と石」から、蘇らせたのです、生き生きと。

私は、この本を読み返す度に、そんな時代に生きる自分を想像したのでした。

北アフリカから南ヨーロッパが舞台でしたが、その文明が日本とほぼ同時期に伝わっていたなんて、どうやってと思います。

海を渡ってきたのでしょうね、とは説明してくださった、国立文化財機構、奈良文化財研究所、考古第一研究室長の国武貞克氏でした。

一番海の遠い場所なのに、と話されました。

いえいえ、この辺りは、昔海だったんですよ、私。

でもねえ、時間差が有り過ぎですね、きっと。

香坂は私が生まれたところなのです。

そこで、日本最古の遺跡が出たと知ったのは、昨年の今頃でした。

ずっと気になっていました。

60年も前、村の子供たち全員がという位に、土器を掘ったことがあったからです。

今だったら大騒ぎだったでしょうね。

ところが今回の場所はそこからかなり奥でした。

どうしてこんなところにあるってわかったの、が私が一番先に思ったことでした。

もうとっても書きたいこといっぱいなんです。

でも今朝・・・・プルーンの熟し具合を見に行った夫が、プルーンが萎んでいると。

収獲の時期が過ぎているようです。

ということで、今朝から臨戦態勢に突入です。

このところやりたいことのあれこれに手を出していて、プルーンの収穫の用意が間に合っていませんでした(笑)

間に合わせていたのは箱と発送伝票だけ。

あわてて間に合わせました。

どれだけ採れるのだかわからないので、数の準備も内場です、だからその調達にも走ります。

だから「香坂山遺跡から日本最古の石刃石器が出土」したという、素晴らしい話をアップするのがすぐにできません。

この感動を届けたいのに。

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