院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

このたびの地震に寄せて(21)

2011-04-17 23:00:34 | Weblog
 中井久夫氏(神戸大学名誉教授)が、毎日新聞東京版3月23日付朝刊で発言していたらしい。このほどWeb版の毎日JPにそれが転載されている。

 PTSDについて述べている部分を転載しよう。

以下引用------------------------------------------------------------

 大災害や大きな事件・事故に伴って起こる症状を表す医学用語「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」を新聞やテレビでよく見聞きするが、わが国では16年前の阪神大震災を機に広く知られるようになった。不眠や悪夢を見るなどの症状が長い期間続く。阪神大震災の時は医療従事者もそのような症例を診察した経験がなく、被災者も自分たちの心の中で処理すべき問題だと思って、口に出すことを避けてきた部分もあるだろう。それゆえか、さまざまな心身症状の中で最も遅く症状が現れてきた。

 PTSDは、被災者が「自分たちの存在が忘れられていく」と感じることと深い関係がある。阪神大震災時には、誰かがそばに「いてくれる」ことがいかにありがたいことかを、被災者となった私自身が再認識した。だから、被災者のそばに「いること」こそが最大の安心を与える、と折に触れて言ってきた。

引用ここまで---------------------------------------------------------

 中井氏は、私がこの欄で述べてきたPTSDの成り立ちについては、先刻ご存じのはずだ。しかし中井氏はPTSD概念をあまり批判しない。それは、ひとつにはPTSDの名称だけはよく知られていること。もうひとつは、PTSD概念を無反省に使用している専門家やジャーナリストを貶めないためだろう。

 中井氏はJ.ハーマンとA.ヤングを翻訳した本人である。両者は同時に翻訳が始まったが、事情でハーマンの『心的外傷と回復』(みすず書房)が随分先に出版されてしまった。ハーマンはDSMに記載されたPTSD概念を、レイプや幼少時の性的虐待にまで拡張してしまった人だ。

 この翻訳が出たとき、ある臨床心理士の人が雑誌・週刊新潮で「精神医療の神様も遂にヤキが回ったか」という論調で中井氏を批判した。まったく同じ見出しではなかったと思うが、「精神医療の神様」という言葉は使っていた。

 この臨床心理士はよくできる人で、私と同じようにハーマンはやり過ぎだと思っていたらしく、そのような(アメリカで人々を煽動したような)本を訳して出版までした中井氏を批判した。中井氏はなんの反論もしなかった。

 確かに中井氏の『心的外傷と回復』でのあとがきには、ハーマンに批判的な言辞はなかった。しかし、同時に翻訳の過程にあったヤングの『PTSDの社会人類学』(みすず書房)がハーマンの本より5年遅れ(2001年)で出版されたことが、ハーマンと上記の臨床心理士への返事となっているだろう。ヤングは人類学者として、努めて中立的な立場から研究を行っている。

 中井氏がハーマンを批判しなかったわけは色々あろうが、まず2点は思いつく。ひとつは阪神淡路大震災のときに、ハーマンの本は中井氏の導きの糸となっただろうこと。もうひとつは、中井氏はハーマンと文通をしており、文通相手が書いた本を翻訳して批判することは常識人ならしないだろう、ということである。

 今回の毎日新聞での中井氏の発言で注目すべきは「PTSDは被災者が『自分たちの存在が忘れられていく』と感じることと深い関係がある」という部分である。ひどいストレスは誰にでもさらされる。しかし「自分たちが忘れられていく」体験は、そうない。

 ここでは、やはりベトナム帰還兵が意識されていると思う。ベトナム戦争のとき、若者は金やコネで兵役を逃れようとした。逃れられなかった者がベトナムへ行った。そのときに戦地に送られた若者は「アメリカから捨てられた」と思ったそうだ。

 そして、彼らがベトナムへ行っているうちに、母国で反戦意識が強まり、帰還したときには英雄として迎えられるどころか、嫌な眼で見られたという。その嫌な眼で見る集団の中に金やコネで兵役を逃れた者が入っていたという。

 これがPTSDの本態だろうと中井氏が考えているフシがある。だから、中井氏は「強い恐怖にさらされた」と言わずに、「自分たちが忘れられていく」点に注目したのだろう。深読みが過ぎると思う向きもあろう。しかし、中井氏の発言や記述は、5年も10年も後にならないと本当の価値が分からないことが多い。

 実は私のPTSD批判も、ベトナム戦争、その補償、DSMがなぜPTSDを自らの「哲学」を曲げてまで載せたかなどの知識は、元を質せば中井氏の記述によるところが大きい。

モダンジャズの歴史(番外編)

2011-04-17 10:07:02 | Weblog
 女性ジャズピアニストの平原某という人は本物である。アメリカを中心に活躍している。32歳、静岡県浜松市出身。

 高校時代は体育を全部「見学」にして、指を痛めるのを防いだ。高校は、浜北高校。浜松随一の進学校で、平原某は卒業後すぐにアメリカのバークレー音楽院に留学し、主席で卒業した。

 バークレーへ行った嚆矢はナベサダである。昭和40年台に嘱望されてアメリカに渡った。行くときも帰ってくるときも、ファンは騒いだ。ナベサダは期待を寄せられていた。(ナベサダより前にバークレーに行った人に秋吉敏子がいるが、彼女は現地のミュージシャンと結婚して、まだ帰国していない。彼女の演奏はすばらしい。)

 ナベサダはジャズ理論を持ち帰った。日本を発つ前からうまかったが、バークレーでいっそう洗練されて帰国した。私にとってナベサダの演奏はいまひとつだけれども、彼が日本のジャズ界に与えた影響は大きい。

 ナベサダは自分の音を持っている。誰と言われなくても、ナベサダの音は分かる。ナベサダの声と言ってもよいかもしれない。ナベサダはイージーリスニング風の演奏をして、けっして難解にならず、支持層を広げた。

 だが害もあった。アルトサックスと言えば、未だにナベサダで、40年以上も居座っている。彼のアドリブはびっくりするような演奏ではない。なのに峰康介やマルタ以外にアルトサクソフォニストは育っていない。

 平原某はとてもうまい。自分の音楽をもっているし、テクニックもすごい。そのうちに我が国でも逆輸入されてビッグになるだろう。

 それに引き換え、女子高校生のアルトサクソフォニストとしてチヤホヤされた娘はどうなったのだろう。ニュースTV番組「報道ステーション」では、始まりのテーマ音楽に彼女の演奏を未だに使用しているけれども、素人芸の域を出ない。

 その娘もバークレーに行きたいと言っていたが、その後どうなったのだろうか?「報道ステーション」での演奏を、現在では恥ずかしく思っているのではないか?

 ジャズ演奏の上手下手が分からない方でも、「報道ステーション」で彼女のアルトサックスのパートが終わって、ピアノのパートになるとホッするのではないか??ホッとすると言うことは、ジャズを聴く耳をもっているということだ。