モダンジャズの祖といえば、チャーリー・パーカーだろう。彼は「バップ」を始めた。「バップ」は最初、難解だと言われたけれども、今そんなことを言う人はいない。私なぞは「バップ」すなわちモダンジャズだと思っている。
もっともチャーリー・パーカーが一人で「バップ」をやったわけではない。モダンジャズにもアカペラのようなものがないではないが、ふつう合奏(バンド)でやる。彼のグループからは、マイルス・デビスやジョン・コルトレーンなど、錚々たるメンバーが輩出している。
マイルス・デビスもジョン・コルトレーンも、チャーリー・パーカーを超えようとして頑張った。マイルス・デビスは当時「クール・ジャズ」と呼ばれた演奏スタイルで名盤(LP)を残している。
クール・ジャズの次はモード奏法である。マイルスは自らのスタイルを変えては変えて、とうとう死ぬまで変え続けた。モードとは旋法のことである。モード奏法とは、コード進行を決めるのではなく、あらかじめ旋法の変化だけを決めておいて合奏する方法である。
これはマイルスの「発明」というよりも、チャーリー・パーカーのコード奏法があまりに華麗すぎて、マイルスにはそれをマネするほどのテクニックがなく、しかたなくモード奏法でごまかした、という見方もある。モード奏法でもカデンツァ(終止形)の部分はコードが決められていた。
それはともかく、マイルスがモード奏法で新境地を開いたのは紛れもない事実である。名盤「マイルス・スマイルズ」は、マイルスでなくては実現しなかった音楽だ。このレコードは今や「古典」となった。この流れを汲むのが我が国では日野テルマサである。
マイルスはその後さらに変化して、エレキ・トランペットや電子効果音を出す「ワウワウ」を使用して、別の音楽を始めた。そのころのLPが「ビッチズ・ブルー」だが、これは今では聴く人が少ない。居酒屋のBGMで使われるのは、せいぜい「マイルス・スマイルズ」までか、多くはそれ以前の演奏である。(つまり、モード奏法は、あまりBGMには使用されない。)
モード奏法の時代を飛び越えて、突然のようにフリージャズ的な方向に向かったのがジョン・コルトレーンである。彼の難解だが胸にしみる「至上の愛」や「マイ・フェーバリト・シングズ」などの演奏(LP)には今でもファンがいる。
そのファンたちも、コルトレーンの生演奏は聴いたことがないはずだ。自慢話しで恐縮だが、私は1965年に来日したコルトレーンの生演奏を聴いている。すばらしかった。当時、コルトレーンは日本ではまだメジャーではなく、演奏会場も半分くらいの入りだった。彼は来日の翌年に急死したから、日本人でコルトレーンの生に接した人は少ないと、私が言うのには根拠がある。
コルトレーンと同じころ、オーネット・コールマンという人がフリージャズを引っ提げて来日した。私はコールマンのジャズを好まなかったので、演奏会には行かなかった。現在、もうフリージャズは忘れられ、コールマンも忘れられた。
モダンジャズを志す多くの若者がコピーするのは、今でもやはりチャーリー・パーカーである。マイルスでもコルトレーンでもなくて、パーカーなのだ。現在の我が国の居酒屋で鳴らされているBGMは、その大元はパーカーによって造られたものなのである。
もっともチャーリー・パーカーが一人で「バップ」をやったわけではない。モダンジャズにもアカペラのようなものがないではないが、ふつう合奏(バンド)でやる。彼のグループからは、マイルス・デビスやジョン・コルトレーンなど、錚々たるメンバーが輩出している。
マイルス・デビスもジョン・コルトレーンも、チャーリー・パーカーを超えようとして頑張った。マイルス・デビスは当時「クール・ジャズ」と呼ばれた演奏スタイルで名盤(LP)を残している。
クール・ジャズの次はモード奏法である。マイルスは自らのスタイルを変えては変えて、とうとう死ぬまで変え続けた。モードとは旋法のことである。モード奏法とは、コード進行を決めるのではなく、あらかじめ旋法の変化だけを決めておいて合奏する方法である。
これはマイルスの「発明」というよりも、チャーリー・パーカーのコード奏法があまりに華麗すぎて、マイルスにはそれをマネするほどのテクニックがなく、しかたなくモード奏法でごまかした、という見方もある。モード奏法でもカデンツァ(終止形)の部分はコードが決められていた。
それはともかく、マイルスがモード奏法で新境地を開いたのは紛れもない事実である。名盤「マイルス・スマイルズ」は、マイルスでなくては実現しなかった音楽だ。このレコードは今や「古典」となった。この流れを汲むのが我が国では日野テルマサである。
マイルスはその後さらに変化して、エレキ・トランペットや電子効果音を出す「ワウワウ」を使用して、別の音楽を始めた。そのころのLPが「ビッチズ・ブルー」だが、これは今では聴く人が少ない。居酒屋のBGMで使われるのは、せいぜい「マイルス・スマイルズ」までか、多くはそれ以前の演奏である。(つまり、モード奏法は、あまりBGMには使用されない。)
モード奏法の時代を飛び越えて、突然のようにフリージャズ的な方向に向かったのがジョン・コルトレーンである。彼の難解だが胸にしみる「至上の愛」や「マイ・フェーバリト・シングズ」などの演奏(LP)には今でもファンがいる。
そのファンたちも、コルトレーンの生演奏は聴いたことがないはずだ。自慢話しで恐縮だが、私は1965年に来日したコルトレーンの生演奏を聴いている。すばらしかった。当時、コルトレーンは日本ではまだメジャーではなく、演奏会場も半分くらいの入りだった。彼は来日の翌年に急死したから、日本人でコルトレーンの生に接した人は少ないと、私が言うのには根拠がある。
コルトレーンと同じころ、オーネット・コールマンという人がフリージャズを引っ提げて来日した。私はコールマンのジャズを好まなかったので、演奏会には行かなかった。現在、もうフリージャズは忘れられ、コールマンも忘れられた。
モダンジャズを志す多くの若者がコピーするのは、今でもやはりチャーリー・パーカーである。マイルスでもコルトレーンでもなくて、パーカーなのだ。現在の我が国の居酒屋で鳴らされているBGMは、その大元はパーカーによって造られたものなのである。