ホリエモンの2年6月の実刑判決が確定した。
私がこの欄で、数年来「ホリエモンは無罪になるだろう」と言ってきた予想が外れた。私が無罪を確信していたのは、ホリエモンの言っていることに矛盾がなかったからである。
TVが「街の声」を聞いていた。たまたま写った女性は「当然じゃないでしょうか」とコメントした。何を根拠に?これまでホリエモンのやったことを、追跡してみたことがあるの?
これが「世論」の怖さ、言い換えれば「マスコミの怖さ」である。最高裁でも「世論」に抗することができなかった。
検察は監視する組織がないから暴走する、とここに書いてから、2年後に検察はようやく批判されるようになった。
三権分立というけれども、政府も国会も最高裁を批判しない。裁判所は検察とグルである。いつか批判されるだろう。
検察特捜部は上級検察によって批判、起訴された。これって、おかしくないか?要するに検察内部での処分に過ぎないのでしょ?
検察を監視する独立した組織を作らなくてはダメだ。政府や国会が裁判所を批判しないなら、国民が最高裁判事の国民審査を利用して、最高裁判事を辞めさせなければならない。でも、それにはマスコミの協力が必要である。
マスコミは、街角の女性から(ホリエモン有罪は)「当然じゃないでしょうか」というコメントを取ってくるくらいだから、アテにはできないけれども。
しかし、裁判所も世論とズレのある判断を往々にしてやっているから、まだ救いが残されている。それは、精神障害者の病期の犯罪についてである。
よく他科の医者に聞かれる。「精神障害者が病気だからと言って、殺人でも無罪放免は変じゃない?」という疑問である。素朴な疑問だと思うが、私にも明快に答えられない。ただ、我が国では江戸時代からそうだったのである。外国のことは知らない。
こうした「世論が疑問に思う制度」を裁判所は頑なに守っている。そのような頑なさが大切である。精神障害者の免責の良し悪しに矮小化するのではなく、一般論として裁判所には世論に迎合しない頑なさを持ち続けてほしい。
私がこの欄で、数年来「ホリエモンは無罪になるだろう」と言ってきた予想が外れた。私が無罪を確信していたのは、ホリエモンの言っていることに矛盾がなかったからである。
TVが「街の声」を聞いていた。たまたま写った女性は「当然じゃないでしょうか」とコメントした。何を根拠に?これまでホリエモンのやったことを、追跡してみたことがあるの?
これが「世論」の怖さ、言い換えれば「マスコミの怖さ」である。最高裁でも「世論」に抗することができなかった。
検察は監視する組織がないから暴走する、とここに書いてから、2年後に検察はようやく批判されるようになった。
三権分立というけれども、政府も国会も最高裁を批判しない。裁判所は検察とグルである。いつか批判されるだろう。
検察特捜部は上級検察によって批判、起訴された。これって、おかしくないか?要するに検察内部での処分に過ぎないのでしょ?
検察を監視する独立した組織を作らなくてはダメだ。政府や国会が裁判所を批判しないなら、国民が最高裁判事の国民審査を利用して、最高裁判事を辞めさせなければならない。でも、それにはマスコミの協力が必要である。
マスコミは、街角の女性から(ホリエモン有罪は)「当然じゃないでしょうか」というコメントを取ってくるくらいだから、アテにはできないけれども。
しかし、裁判所も世論とズレのある判断を往々にしてやっているから、まだ救いが残されている。それは、精神障害者の病期の犯罪についてである。
よく他科の医者に聞かれる。「精神障害者が病気だからと言って、殺人でも無罪放免は変じゃない?」という疑問である。素朴な疑問だと思うが、私にも明快に答えられない。ただ、我が国では江戸時代からそうだったのである。外国のことは知らない。
こうした「世論が疑問に思う制度」を裁判所は頑なに守っている。そのような頑なさが大切である。精神障害者の免責の良し悪しに矮小化するのではなく、一般論として裁判所には世論に迎合しない頑なさを持ち続けてほしい。