今年の5月に出版された『高橋悠治対談選』(ちくま学芸文庫)を読んでいる。15人との対談を編集した本なので、特に最初から読まなくても楽しめる。この数日、時間をみてはこの本に向き合っているのだが、永沢哲との対談の中で、高橋悠治は、ジャワのガムランの中で音の小さな縦笛スリンについて興味深いことを語っている。
「時々入って、というような。それもほとんど聴こえない。みんなが休む時に「あ、鳴ってたな」と気づくようなもの。それは、鳥が木の葉の陰で鳴いているようにと言われるらしい。ちらちらと時々見える。あるいは影が見えるというようなものですね。」
バリのガムランにおけるスリンの役割もまた高橋悠治が語るとおりである。しかし、「どうせ聴こえないなんだから」という理由で、われわれはスリンをほとんどアンサンブルに加えない。というよりも演奏者が足りないために、ほとんど聴こえない楽器にメンバーを割けないというのが現状なのだ。
しかし、それが間違っていることはよくわかっている。「音のチラリズム」の美学!しかし、私達の森の木々には野鳥がいないのだ。それより、葉は青々と茂っているんだろうか?私は今一度、ガムラン奏者として初心にかえらなくてはならない。そういう時期に来ているのだ。ガムランから自分を見つめなおすこと、自分からガムランを見つめなおすこと。