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もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ノーサイドから学ぶこと

2011年06月05日 | 家・わたくしごと
 テニス会場は悲喜こもごもだった。負けた中学生たちが涙を流す姿や、次の試合に進める喜びを身体いっぱいに表現する姿。もうはるか昔のことだが、陸上部でそうした経験をしたことが頭をかすめた。なんで毎日、吐くまで練習していて決勝に行けないのだろう、と途方にくれたこともある。そんな時は、試合後にリレーのメンバーは競技場の脇に並ばされてよく顧問に「何は悪かったか考えろ」と言われた。でも必ず、そういうとぼくらにジュース代を手渡してくれた。
 陸上は一対一で戦うスポーツではない。ある意味、自分との戦いだったのかもしれない。でもテニスには明確に「敵」である「対戦相手」がいる。それに勝たなければ、自分達は負ける。それに1分ちょっとで終わる400メートルリレーと違って、その試合のプロセス一つ一つが記憶として脳裏に刻まれる。勝った者も負けた者も、そんなプロセスをノーサイド後に今一度反芻するだろう。そしてその結果が自らの感情となって現れる。
 厳密にいえば、テニスはラグビーのノーサイドとは同じではない。規定時間が終わるわけではないから。結果がすべてかもしれない。でも結果は次への出発だ。ノーサイドのその時から、試合を反芻し喜んだり、悲しんだりするのはほんの一つのプロセスにすぎない。「ノーサイドから学ぶこと」が重要なのだ。勝ったのならば、「何がよかったのか考えろ」。負けたのならば「何が悪かったか考えろ」。それができるかできないかが次の試合の結果につながるのだと思う。