Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

エスプレッソメーカー

2010年12月07日 | 家・わたくしごと

 ぼくがエスプレッソメーカーを知ったのはブダペストで、たまたま宿泊した場所にこれがあり、使い方を教えてもらった。そのとき飲んだコーヒーの美味しさが忘れられなくて、その旅の終わりにドイツでステンレス製のりっぱなエスプレッソメーカーを買った。
 あれから今まで、消耗した部品を交換しながらも、毎朝、私がこのエスプレッソメーカーでコーヒーを沸かしている。バリのコーヒーもハワイのコーヒーもすべてこのメーカーを使う。全部、エスプレッソで飲む。味よりもむしろこのメーカーを使うことへの一種のこだわりである。
 いろいろなものの記憶が少しずつ薄れていく。あらゆる記憶を残しておくことは不可能だ。しかし、ヨーロッパでの記憶のキーの一つがこのエスプレッソメーカーなのだ。不思議な味覚の記憶。ハンガリーで体験した味覚から出発した記憶は、それと関わるあらゆる感覚を呼び覚まして、一時だけ、膨大な記憶の網の中にゆらゆらと自分の身をゆだねることができる。そうしてぼくはもう5年以上もの間、一日を始めるのだ。


ゲームラン gamelan

2010年12月05日 | 大学

 英語の原典購読の授業で、ある学生がgamelan(ガムラン)を、「ゲームラン」と読んだ。これまでの人生の中で、ガムランをゲームランと読んだ学生や友人に出会ったことがなく、そのときは驚いたとともに、「君ね、そんなの読めないでどうするんですか?君はゲーム好きなんてすか?」なんて言ってしまった気がする。
 しかし、研究室に帰って考えてみると、gamelanを「ゲームラン」と読んで、なぜいけないのか?だいたいこれがイタリック体で書かれていたって、英語の文献なのだから、ガムランが身近でなければ、gameを「ゲーム」と読んで当然である。そう考えてみると、私はこれまでゲームランと読めなかったことが不思議なのだ。この学生の誤った読み方から、私はそのことに気づかされた。
 バリ人の名前でI Made ●●という名前が英文購読の文章の中にあったとき、ある学生は、「私は●●を作った」と訳した。Madeは、Makeの過去形ではなく、マデは名前に使われるバリ語の名称である。私はこのとき丁寧にその間違いを説明したと思う。これと、「ゲームラン」は同じレベルではないにしても、この学生の過ちはしごく当然のことなのである。だって、ガムランは知っていても、gamelanの綴りは知らないのだから。ということで、ぼくはこの場を借りて、学生にこう言いなおしたい。「間違えて当然です。しかし、次からガムランと読みなさい。」


大ホールで落語

2010年12月04日 | 家・わたくしごと

 昨日、息子と二人で志の輔の落語の会に行った。実は落語の独演会というのは初めてで、基本的に寄席でしか見たことがないために、1000人近く収容できるホールで落語はどんな風に聞こえるのだろうかと思って出かけた。志の輔の沖縄での上演はこれが99回目だそうで、1980年代からずっと上演を続けている。継続は力である。話の「まくら」では、数人程度の客の前でも上演していたと話していておもしろかった。
 新作落語もよかったが、久しぶりに古典落語の「つるの一声」を聞いてホールで大笑いした。つい最近、大学の定期公演がおこなわれた同じ場所で、周りに気兼ねなく笑うことに最初は躊躇したが、時間の経過とともに気にならなくなった。落語は笑うものである。
 落語の好きな息子も面白かったらしく、隣でよく笑っていた。彼が終演後「面白かった」を連発していたが、ひとこと「弁当を食べながら見られないのが残念だった」とつぶやいた。東京にいくたび私の父と寄席に通う息子にとっては、食べながら、飲みながら、寄席を楽しむというのが大衆芸能のあるべき姿のようで、それだけが物足りないようだった。なんだか急に寄席に行きたくなった……。


スリンの存在から

2010年12月02日 | 家・わたくしごと

 今年の5月に出版された『高橋悠治対談選』(ちくま学芸文庫)を読んでいる。15人との対談を編集した本なので、特に最初から読まなくても楽しめる。この数日、時間をみてはこの本に向き合っているのだが、永沢哲との対談の中で、高橋悠治は、ジャワのガムランの中で音の小さな縦笛スリンについて興味深いことを語っている。
 「時々入って、というような。それもほとんど聴こえない。みんなが休む時に「あ、鳴ってたな」と気づくようなもの。それは、鳥が木の葉の陰で鳴いているようにと言われるらしい。ちらちらと時々見える。あるいは影が見えるというようなものですね。」
 バリのガムランにおけるスリンの役割もまた高橋悠治が語るとおりである。しかし、「どうせ聴こえないなんだから」という理由で、われわれはスリンをほとんどアンサンブルに加えない。というよりも演奏者が足りないために、ほとんど聴こえない楽器にメンバーを割けないというのが現状なのだ。
 しかし、それが間違っていることはよくわかっている。「音のチラリズム」の美学!しかし、私達の森の木々には野鳥がいないのだ。それより、葉は青々と茂っているんだろうか?私は今一度、ガムラン奏者として初心にかえらなくてはならない。そういう時期に来ているのだ。ガムランから自分を見つめなおすこと、自分からガムランを見つめなおすこと。


バリの三大舞踊とは?

2010年12月01日 | 家・わたくしごと

 先日、BSで放送されていたバリの番組を見ていたとき、「バリの三大舞踊」の一つとして、バロンの映像が流れました。そのときふと考えたのです。バリの三大舞踊とは何ぞや?
 社会主義リアリズム舞踊を研究している今の僕ならば迷わずこう言います。
「トゥヌン(機織)、タニ(農民)、ヌラヤン(漁師)」
 しかしそんなマニアックな舞踊のわけはありません。というわけで先日、googleにバリと三大舞踊というキーワードを入れて検索してみたのです。その結果、バリの三大舞踊は、以下の三つであることがわかりました。
「バロン・ダンス、ケチャ・ダンス、レゴン(クラトン)」
 まあ、正直なところ予想はついていましたが、ありきたりでがっかり。だいたい「ケチャ・ダンス」といわれますが、あれはダンス(舞踊)的要素よりもむしろ演劇に近いし、ケチャの見所は、男性による声の芸術です。ケチャを入れるのだったら、「バリの三大芸能」と言って欲しい!ということで、皆さんのバリの三大舞踊は何でしょう?
「オレッグ、クビャル・ドゥドゥック、トゥルナ・ジャヤ」なんて人もいるでしょうし、
「レゴン・ラッセム、レゴン・スマラダナ、レゴン・クントゥル」なんて人もいるんでしょうね。
「ペンデット、ガボール、パニャンブラマ」なんてどうでしょう?ここで、皆さん募集します!と声をかけたいところですが、私のブログは双方向コミュニケーションができないように設定されていますから統計はとれません。ということで、皆さん、バリ大好きのお友達に会ったら、「バリ三大舞踊とは何か」、そして、「あなたにとってのバリに三大舞踊とは?」と聞いてみましょう。これで忘年会の話題が一つ増えるはずです。