Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

夏なんです

2011年06月09日 | 那覇、沖縄
 今日6月9日、史上最速で梅雨明けの沖縄は今日から「夏なんです」。梅雨明けのニュースを聞いて頭に浮かんだ曲がはっぴいえんどの《夏なんです》。松本・細野コンビの大好きソングの一つです。
 松本隆の詩にこうあります。
  
  ギンギンギラギラの
  太陽なんです
  ギンギンギラギラの
  夏なんです

 今日から沖縄はこんな天気がしばらく続きます。でもまだ騒音公害で訴えたいと思うような蝉の声がまったくしません。蝉がなく前に夏になっちゃったよ!

  モンモンモコモコの
  入道雲です
  モンモンモコモコの
  夏なんです
  日傘ぐるぐるぼくはたいくつ

 素敵な日傘が花開く季節。だからぼくはたいくつにはなりません。きっと沖縄の夏が嫌いではないのです。でも何でだろう…。
  

ミニトマト

2011年06月08日 | 家・わたくしごと
 ミニトマトが色づくのはあっという間だ。数日前には青々としたトマトの実がもう赤く色づくのだから。数時間単位で変化しているのかしら。
 それにしてもどうしてこんな小さな株でたわわとミニトマトが実るのかが不思議でならない。品種改良によって家の中でも観賞用として楽しめるトマトが作られたのだろうが、こんな小さな株でたくさんの実をつけると、体力を消耗して疲れちゃうんじゃないだろうか、と心配してしまうほどである。
 昨晩、はじめての一個を収穫したのだが、今日の午後にはまたいくつか収穫できるだろう。梅雨もあと数日であけそうな青空が続いているし、あと1ヶ月、2ヶ月は沖縄の大きな太陽にあたって、たくさんの実をつけてほしいな。ちゃんと毎朝、お水をあげるから。
 

ワヤン切手

2011年06月07日 | 家・わたくしごと
 偉い先生とゼミ学生の会話
「君、切手まで収集しているのかね。そこまで来ると収集癖が過ぎるな。」
 「いえいえ、そんなことはありません。一つのポリシーを持って収集しておりますので。」
 「それはどんなポリシーだね?」
 「切手に関して申し上げれば、それは、アジアの芸能に限定しております。」
 「そんなものがあるのかね?」
 「それはもちろん。この切手はインドネシアのワヤンとよばれる人形芝居の切手です。」
 「ちょっと待てよ君。一番上の切手は、どうみても人形ではなく仮面をした人が演じているように見えるのだが。」
 「さすが先生ですね。観察力が鋭い。切手にはワヤン・オランと書かれていますが、これはバリでワヤン・ウォンとよばれる演劇で、もとは影絵人形劇だったものを、ある王が人に演じさせたと言われております。」
 「なかなかよく勉強しているね。その調子でがんばってくれたまえ。しかし、あまりyahooオークションとやらにはまってはいけないよ。」
 「はい、ご指導ありがとうございます。」

バイクでお散歩~垣花樋川

2011年06月06日 | 家・わたくしごと
 日曜日、天気が良かったので、首里の家からバイクで30分位で行ける垣花樋川(かきのはなひーじゃー)に行ってきた。いわゆる湧水地で、日本の名水百選の一つ。急な斜面を下ると突然視界が開けて、青い海が一面に広がり、そんな斜面の中腹にとうとうと水が沸いている。
 バリのようにかつてはそこで水浴びをしていたようで、今も男性用と女性用の湧水口があり、その下には馬を洗う場所がある。ちょうど写真に映った小さな池が馬用の場所かもしれない。
 それにしても景色の美しいところである。夏になると子ども達が裸になって水浴びを楽しむ場所。駐車場もほとんどないので路上駐車だし、バスもあるのだがたぶん1時間に一本あればいいような場所である。でも沖縄に来たら是非寄って欲しい、清らかな湧水と美しい景色が楽しめる最高の場所である。

ノーサイドから学ぶこと

2011年06月05日 | 家・わたくしごと
 テニス会場は悲喜こもごもだった。負けた中学生たちが涙を流す姿や、次の試合に進める喜びを身体いっぱいに表現する姿。もうはるか昔のことだが、陸上部でそうした経験をしたことが頭をかすめた。なんで毎日、吐くまで練習していて決勝に行けないのだろう、と途方にくれたこともある。そんな時は、試合後にリレーのメンバーは競技場の脇に並ばされてよく顧問に「何は悪かったか考えろ」と言われた。でも必ず、そういうとぼくらにジュース代を手渡してくれた。
 陸上は一対一で戦うスポーツではない。ある意味、自分との戦いだったのかもしれない。でもテニスには明確に「敵」である「対戦相手」がいる。それに勝たなければ、自分達は負ける。それに1分ちょっとで終わる400メートルリレーと違って、その試合のプロセス一つ一つが記憶として脳裏に刻まれる。勝った者も負けた者も、そんなプロセスをノーサイド後に今一度反芻するだろう。そしてその結果が自らの感情となって現れる。
 厳密にいえば、テニスはラグビーのノーサイドとは同じではない。規定時間が終わるわけではないから。結果がすべてかもしれない。でも結果は次への出発だ。ノーサイドのその時から、試合を反芻し喜んだり、悲しんだりするのはほんの一つのプロセスにすぎない。「ノーサイドから学ぶこと」が重要なのだ。勝ったのならば、「何がよかったのか考えろ」。負けたのならば「何が悪かったか考えろ」。それができるかできないかが次の試合の結果につながるのだと思う。

待つわ

2011年06月04日 | 家・わたくしごと
 息子のテニスの試合を見に午前9時に運動公園に行ったのだが(なぜなら息子が9時から始まるといったからだ)、待てど暮らせど彼の試合は始まらず。最初は、どうせ1時間くらいならと思って、日陰のイスに座ってウォークマンを聞いていたのだが、1時間、2時間とたっても全く始まる気配がない。
 とうとうしびれを切らして、近場を散策すると、なんと古本屋を発見。外のワゴンで一冊100円の文庫本コーナーから藤沢周平『冤罪』を見つけて、再びコートに戻る。その後、読書を始めて数時間、やっと第一試合が2時近く。しかも次の予選までまたまた3時間半も待つ。これだけ待つと、待つ方も意地になって、「待つわ、いつまでも待つわ」と、ふてくされたおじさん風に口ずさんでみた。
 ということで本日の私のデスクは研究室ではなく、写真の野外デスク。今日の那覇はお天気もよかったし、日陰を通る涼しい風が心地よくて、なんだかちょっぴりピクニックにきているような気分だった。それにしてもよく待った1日。でもただ本を読んで待っただけなのに、なんでこんなに疲れたんだろう?

うまくいかない日

2011年06月03日 | 大学
 大学で学内の演奏会関係の資料を作っていて、最後に全部データを消しました。復旧できませんでした。消したというより、何かの操作で、他のものが上書きされちゃったんです。そういう日ってありますよね。なんで途中でデータを保存しておかなかったんだろうと後悔しても、もうダメ。
 こういう日は帰るしかありません。イライラして仕事したってうまくいくはずがありません。ただプリントアウトしていたことが唯一の救い。見ながらもう一回、入力すればいいわけですから。まあ土日があるし、会議は火曜日なので気長にやります。
 はっぴいえんど《いらいら》の歌詞の後半部分がまさに今日の私。こういう日もあるさ。

  できない 多過ぎる 多過ぎる
  いらいら いらいら いらいら
  嫌だ嫌だ 何もいいことなんてない
  街へ出ても 部屋にいても
  いらいら いらいら いらいら

レラシ#ファソレソラ (Repeat)

2011年06月02日 | CD・DVD・カセット・レコード
 朝、なんとなくバロックの名曲集が聞きたくなった。中学生だった頃、皆川達夫先生や服部幸三先生が解説をしていたバロック音楽の番組が、FM-NHKで朝6時くらいからオン・エアーされていたからだろうが、不思議とバロック音楽には「朝」が似合うのである。(ある時期、わが家でも朝はテレビではなく、この番組が流れていた時期があった。なんだか、洋館に住んでいそうな家みたいだな。)
 そんなバロック音楽のCDの中で、パッヘルベルのカノンだけは「朝」ではなく、「名曲喫茶」がイメージできる。薄暗いクラシック喫茶ではよくこの曲がかかっていたからかもしれないし、最後に通った中野の名曲喫茶「クラシック」ではよくこの曲が流れていた。私も何度か、リクエストをするための薄汚れた小さな黒板にチョークでこの曲を書いた。
 家では決してきかないのに、なぜか名曲喫茶で聞きたくなる曲だった。最初から最後まで繰り返されるレラシ#ファソレソラ の低音部の進行が心地よかった。これだけでグルグルまわったらガムランみたいだと思った。中野の「クラシック」がなくなってしまってから、ぼくはこの曲のことをすっかり忘れてしまっていた。久しぶりに、今日は朝から夜までレラシ#ファソレソラ が鳴り続けて、まだ終止線が訪れないのである。ただ、「クラシック」で聞いたカノンのレコードの方がゆっくり朗々と演奏していたせいか、ぼくには、ちょっぴり急ぎ足のCDの演奏には違和感があったけれど。

ありし日の姿

2011年06月01日 | 大学
 大学のキャンパスの入口に立つ大きな椰子の木の写真は、二週間ほど前に音楽学コース紹介のリーフレットに掲載するために撮影した一枚である。太陽光の輝きと逆行のシルエットが欲しくて、数十枚撮影したものの中の一枚。すでにリーフレットにも使われている。
 しかし、もうこの椰子の木の葉は存在しない。無残にも根元からむしりとられているように折れてしまっていて、その折れた後が今なお生々しく残っているのである。私はそんな無残な写真はブログに掲載したくないので、ありし日の姿を残すことにした。
 すべては土曜日に上陸した台風のせいである。大学の構内だけでなく、首里の風景がある意味、一変してしまったのである。首里城のそばの大きなガジュマルの木も残念ながら折れてしまい、もう美しい容姿を見ることができないのだ。いつの日か大学の椰子の木はまた大きな葉をつけて、太陽を遮ってくれるのだろうか……。