(1)前代未聞の東日本大震災がもたらした不条理、不合理、不可解は数多(あまた)あるけれども、あきらめきれない極め付けのひとつが「被災地犯罪容疑者の釈放(discharge by reason of earthquake disaster)」だった。
大震災による被災で、事件現場、証拠物件が壊滅、消失して起訴に必要な立証、立件が「不可能」になったためのものである。
一部政府関係者の言うように現地での施設拘束が不可能が原因なら、全国の代替施設での収容というのは法治国家の日本としては当然考えなければならない条件であったはずだ。
危機管理にあたっての緊急を要する政府、機関の判断、決断能力は、その精度の高さ、見通し、洞察力、結果が厳しく問われて、与える影響力も広さと深さの範囲が大きく、重い。
(2)容疑の段階での自然破壊による起訴に必要な立証条件、物件の消滅では、どこにも責任を問えずに、立件能力の要件、条件欠如により犯罪者としての責任を問うことが不可能となる。
犯罪者としての責任を問えない者を施設に不当に拘束する訳にもいかずに、社会不安と引き替えに不条理ではあっても「釈放」せざるを得ない。
ただし、政府、機関(地検)は立証条件、物件が消滅して起訴に必要な立件能力の要件、条件が欠如した「事実」、「背景」を丁寧に情報開示する必要がある。
今回は「この」情報開示が十分になされずに、いきなり大震災被害による容疑者の釈放と言う結果に結びつけた「説明責任(accountability)」に欠けたものであったから、社会からは一様に不可解な理解を得られず「社会不安」を一層増長させた。
その立証方法、検証の「時間」は本当になかったのか、熟慮したのかだ。
(3)その「社会不安」は、当釈放された容疑者がすぐに窃盗侵入を企てて逮捕されることで「現実」のものとなったから、上記の地検の対応に批判が強まっている。
さらに不信を高めているのは、その後の地検の説明では「釈放したのは微罪」と言い、「震災による起訴に必要な捜査が困難」と言う説明とは整合性(捜査が困難な条件は犯罪の重軽に関係ない)のない「言い訳」をしたことだ。
(4)犯罪の成立要件、現場検証、証拠物件、立証能力、起訴条件が、整合性をもって揃わなければ犯罪として立件できない以上、誰もが推測、仮定、仮説で罰せられるものではない。
今回の教訓として、最低逮捕以前の現場の詳細な写真(事件はすでに起きていた訳だから)とあわせて、釈放前の状況証拠の積み重ねによる検証、被災を受けたとはいえ現場検証の出来得る限りの「時間」的余裕があってもよかったのだ。
法治国家として、もう一側面の考える課題だ。
大震災による被災で、事件現場、証拠物件が壊滅、消失して起訴に必要な立証、立件が「不可能」になったためのものである。
一部政府関係者の言うように現地での施設拘束が不可能が原因なら、全国の代替施設での収容というのは法治国家の日本としては当然考えなければならない条件であったはずだ。
危機管理にあたっての緊急を要する政府、機関の判断、決断能力は、その精度の高さ、見通し、洞察力、結果が厳しく問われて、与える影響力も広さと深さの範囲が大きく、重い。
(2)容疑の段階での自然破壊による起訴に必要な立証条件、物件の消滅では、どこにも責任を問えずに、立件能力の要件、条件欠如により犯罪者としての責任を問うことが不可能となる。
犯罪者としての責任を問えない者を施設に不当に拘束する訳にもいかずに、社会不安と引き替えに不条理ではあっても「釈放」せざるを得ない。
ただし、政府、機関(地検)は立証条件、物件が消滅して起訴に必要な立件能力の要件、条件が欠如した「事実」、「背景」を丁寧に情報開示する必要がある。
今回は「この」情報開示が十分になされずに、いきなり大震災被害による容疑者の釈放と言う結果に結びつけた「説明責任(accountability)」に欠けたものであったから、社会からは一様に不可解な理解を得られず「社会不安」を一層増長させた。
その立証方法、検証の「時間」は本当になかったのか、熟慮したのかだ。
(3)その「社会不安」は、当釈放された容疑者がすぐに窃盗侵入を企てて逮捕されることで「現実」のものとなったから、上記の地検の対応に批判が強まっている。
さらに不信を高めているのは、その後の地検の説明では「釈放したのは微罪」と言い、「震災による起訴に必要な捜査が困難」と言う説明とは整合性(捜査が困難な条件は犯罪の重軽に関係ない)のない「言い訳」をしたことだ。
(4)犯罪の成立要件、現場検証、証拠物件、立証能力、起訴条件が、整合性をもって揃わなければ犯罪として立件できない以上、誰もが推測、仮定、仮説で罰せられるものではない。
今回の教訓として、最低逮捕以前の現場の詳細な写真(事件はすでに起きていた訳だから)とあわせて、釈放前の状況証拠の積み重ねによる検証、被災を受けたとはいえ現場検証の出来得る限りの「時間」的余裕があってもよかったのだ。
法治国家として、もう一側面の考える課題だ。