いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

自然の畏敬を失って。 awe of nature lost

2011-04-29 19:41:25 | 日記
 (1)ゴールデンウィークに五月晴れ、ロンドンでは王室家の結婚式、ロシアでの世界フィギュアスケート選手権大会で小塚さん(22)の終始見事なフリーの演技で前日の6位からの銀メダル獲得と天晴(あっぱ)れな手元には、銀メダルとあわせて「がんばろう日本」の日の丸が掲げられていた。

 日本では、被災地ハローワークに長蛇の列、海抜0メートル以下地帯が5倍強の地盤沈下、原発賠償と東電の免責規定の黒い文字が埋め尽くす有り様だ。現代の失楽園(paradise lost)だ。
 震災復興財源として、国民負担に頼るばかりの年金担保財源の切り崩しに増税、年金支給年令の引き上げによる補てんが検討されている中、なぜか1票の格差是正が急務の国会議員の定数、報酬削減が財源パラダイム(paradigm)のプライオウリティ(priority)には出てこないところに、この国の政治の決意が国民には届かない。

 (2)少々伸びすぎた厚い草木を、申し訳ない気もしながらせん定して、暖かい日差しの中、いつのまにか草木のその先からやわらかい透明な新芽がまっすぐ空に向かって伸びている。
 伸びてくれてありがたいし、自然のたくましさを感じる。こんな時でも春はやってきて桜が咲くという言葉を聞く。自然の巡り合わせだ。

 自然が覆いつくしていた地球(globe)、その自然のまたほんの一部分として存在した人類が文明を開花させ進化した姿が、マテリアル(material)コンクリートで覆いつくした模造の自然地球だ。
 人類はこの模造のマテリアルコンクリートの自然地球を、素手でひき剥(は)がすことなどは不可能な能力だが、自然はいつしかやわらかい、やさしい、やすらぐ草花が地球内から人類のマテリアルコンクリートを堀り起こして地上に凛(りん)として顔を出してくる。

 そのやわらかい、やさしさに、パラドックス(paradox)としての自然のたくましさ、強さのエネルギーを畏敬(awe)するばかりだった。
 そういう本当の自然のたくましさ、強さを日常の光景の中で感じながら、目にしながら人類はその畏敬をどこかに置き忘れてきていた。
 自然のほんの一部分としての存在の人類が、「自然との調和」なくして地球上に存在しえないことを悟った2011年春のことだった。

 (3)ロシアで開催の世界フィギュアスケート選手権大会。男子ショートプログラムに続いてフリー演技が行われた。日本は、前回チャンピオンの高橋さんを始め代表3名がすべて最終グループの6人の中に入って演技をした。
 最終グループの演技前の練習スケーティングでは、高橋さんのジャンプの回転の速さ、まとまりフィギュア(figure)は群を抜いているように見えた。

 男子大会は、すでに前日のショートプログラムでカナダのチャンさんが世界歴代最高点を出して断然リードしている展開だ。高橋さんは13点近い大差を逆転すべく後半の演技構成を高得点用に変更してフリー演技に臨んだ。
 最終グループともなると、各スケーターは転倒などの大きなミスはまったく見られない実力揃いだ。

 4番目に演技の高橋さんは、演技スタート直後の4回転トーループをジャンプする際に、一瞬スローモーション映像のようにフワリと1回転して演技を中断する。
 審判席に向かい左足のスケート靴裏を見せてそのままリンク外に出た。スケート靴と刃の部分を止めるかかとのビスが外れたクシデントだった。

 コーチ、メンタル、テクニカルツールすべてがプロフェッショナルとして機能しているフィギュアスケートで、あってはならないアクシデントであった。
 楽器と同じように新しいからいいと言うものでもなくて、スケート靴も使いこなしたツールの熟成(mellow)を好んで使うのがプロフェッショナルの自然だ。
 他のスケーターでは演技中に靴ひもが切れるというアクシデントもあった。靴ひもひとつでも老朽化しても使い慣れたものにこだわる、神経を使うスポーツだ。

 フィギュアスケートの日本男子は、よくチームとしての和のよさが言われる。見た目とは別に、高橋さんのリーダーシップの役割の力もよく聞く。チームとしては小塚さん(22)が終始見事な演技を披露して日本チームの面目は示した。
 25才高橋さんは、ソチオリンピックを目指すという。

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