いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

メディアも奮起を。 stirring up the media

2011-04-24 19:23:32 | 日記
 (1)東日本大震災復興支援で政府、首相は諮問的(意見を聞く)なものを含めて20にも及ぶ関連会議を立ち上げたらしいが、ようやく基軸となる「復興構想会議」をスタートさせた。
 そこに与野党代表者も参加するものと思っていたら、政治は政治で全閣僚で構成する「復興対策本部」を設置してそこに野党関係者の参加も要請しているが、政治的思惑から参加協力も得られないと見ると、今度は連立する国民新党の呼びかけに応じて首相は「復興実施本部」の設置で野党代表者の参加を要請していくそうだ。

 つまり『復興(renaissance)』の「構想」と「対策」と「実施」をそれぞれ次から次へと立ち上げて個別に対応していく、前代未聞の大震災被害を前にして随分と悠長な呑気な震災対応策だ。毎日のようにこの有り様を聞かされるので、この首相の「考え」ていること、「頭」の構造がまったく理解不能だ。

 首相は「持てるすべての力を振り絞って(復興の)実現に向けて頑張りたい」らしいが、この経過を見ていると比喩でもなくて「持てるすべての力」も「ない」思考停止状態は明らかだ。
 議院内閣制で首相自らを国民が選べない国民の不幸(そういう首相を選択した議員を選んだ国民にも大いに責任はある)がそのまま被災地、被災者の救済支援の不統一、機能停止、遅れに直結していく。

 (2)首相も記者会見には登場してくるようなので、メディアも国民に代わってこの首相の思考停止「ストーリー」の真偽についてトコトン問い質してほしいものだ。が、メディアもメディアで記者会見の様子をテレビで見る限りでは、双方言いっぱなしの噛み合わない緊張感のない、現状を「正さない」無味乾燥のパフォーマンスに終始している。政治の低迷にメディアのチェック機能の不足、欠如が後押ししている。

 メディアの使命は評論とは違うから、分析、検証、解説のそのトップに「追求・正す」という高い「使命感」が国民から求められている。政治とともにメディアにも反省と奮起(stirring up the media)を促したい。
 前代未聞の東日本大震災を前にして、メディアと被災地、被災者とのスタンスで、政治のチェック機能も含めて被災地、被災者の「心」の代弁者として機能しているのか疑問だし、当然満足できるメディアの役割(検証)を果たしているとは言えない。

 あるコメンテーター(元新聞記者)が原発の前からリポートをして、メディアがここまで立ち入って被災地現地の現状を報道する姿勢のないことを批判していた。
 その行動が適切なのかは別にして、メディアの役割、意識、意欲の低さの指摘だけは的を得ている。

 それでも、子ども達の『笑顔』が、「夢」を「町」を立て直したいという「声」が救いだ。

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