いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

私的な財津和夫論。(12) private essay about k. zaitsu

2011-04-08 19:26:17 | 日記
 「私的な財津和夫論」の第12回は、「日本をすくえ '11」です。
 12 日本をすくえ '11
 ①18年前の93年7月12日に、日本海で起きた地震では当時最大規模と言われたM8.2、震度6強の北海道南西沖地震が発生し、「津波」や「火災」で奥尻島、北海道日本海側が津波による破壊のツメ跡を地域全体に残して被害を受けた。
 ②さかのぼって91年6月3日、雲仙普賢岳の長期間の噴火中に突如の大きな火砕流が発生して、島原・深江地区を分断して海にまで及び町の機能を破壊した。取材中の報道関係者、警戒中の消防関係者をも複数者を一瞬の内にのみ込んで、ともに大きな被害のツメ跡、教訓を残した。

 94年になってミュージシャンの泉谷しげるさん、小田和正さんが中心となって吉田拓郎さんを支えてこれらの震災復興を支援する救済コンサート企画を立ち上げ、ミュージシャンに呼びかけて94年8月16日に「日本をすくえ'94 奥尻島、島原・深江地区救済コンサート」を日本武道館で開催した。
 当日は快晴、灼熱の夏日の中で大勢のミュージシャン、観衆が武道館に集結して、復興支援救済コンサートが午後6時30分からスタートした。

 同コンサートは1部、2部構成で、1部は佐藤竹善さん、沢田知可子さん他の当時若いミュージシャンが出演し、2部は吉田拓郎さん、小田和正さん率いるスーパーバンドに財津和夫さん他の大勢のゲストミュージシャンが参加した。

 武道館内のバックステージ裏のカフェには、モニターのディスプレイに同コンサートのリハーサルの模様が映し出されており、そこへリハーサルを終えた財津和夫さんがカフェに入ってきて、関係者と打ち合わせを行っています。
 後でコンサートステージで小田和正さんが紹介していましたが、この日の財津和夫さんは抜歯をしてきたばかりのコンディションながら復興支援救済コンサートに駆けつけてくれたと言うことです。

 この日のスーパーバンドは、稲垣潤一(Dr)、大友康平(Dr)のかってドラマーのツインドラムに、伊勢正三(G)、坂崎幸之助(G)、泉谷しげる(G)のギターセクション、小田和正(Pf)、白井貴子(Pf)のキーボードセクション、そして吉田拓郎(B)、山本潤子(cho)のバンドメンバーです。
 リハーサルを重ねて当日コンサートではベース担当の吉田拓郎さんは楕円形ステージセットのバックステージ側をベースギターを抱えて演奏しながら走り回っての熱演でした。

 後半に登場した財津和夫さんは、ギターを抱えてスーパーバンドの演奏の中「サボテンの花」を披露しています。
 リハーサルを重ねたとはいえ、スーパーバンドもすでにアドリブで盛り上がっていますから、定石のコード進行はどうでもよくて(多分)、財津和夫さんは冗談とも本気ともつかない、とても歌いづらい「サボテンの花」だったと言っていたのを聞いたことがあります。

 18年後の東日本大震災は奥尻島震災の津波の教訓を活かせずに、昨日も震度6強の大余震が続いて原発崩壊、被害拡散のあらたな恐怖の中にいます。
 今はただ、ただ「全国力」でこれに立ち向かうしかない。
 それぞれが出来得る普通の生活で、日常に活力を取り戻そうという「冷静さ」も出てきています。
 みんなが十分がんばっているので、ここは冷静さを取り戻す日常も大事です。

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