安部俊幸さん(チューリップのギタリスト64才)が第2の旅立ち(he goes on a journey)をした。1回目は安部俊幸さんが自宅をインド北部に移した時だ。若いころに大病を経験してその後チューリップ脱退、姫野、上田さんとともにオールウェイズを結成して活動後、自宅をインド北部に移して独自の世界観で生きた。
インドで大きな事故、災害が発生するたびに安部さんの安否が気にもなっていた。ここ2~3日前にもインド北部を襲う大洪水が発生して被害者も多数出ているニュースもあって、安部さんの自宅のある地域でもあり気にかけていた。
インド北部に自宅を移したときは、安部さんも随分と遠くに旅立ちをしてこれからは音信を聞くこともままならないと感じていた。
一昨日のニュースで安部俊幸さんが7月7日(現地時間なのか日本時間なのか不明)にその自宅のあるインド北部から天の川に第2の旅立ちをしていた(he goes on a journey to ama-no-gawa)ことが報じられた。
チューリップの中でも財津さんは別格としてメンバーの中でもっともチューリップ音楽、財津音楽に格別の想いを持ってほとんど独自の音楽活動をやってこなかった安部さんだ。
97年から再開したほぼオリジナルメンバーでのチューリップコンサートにもインドからかけつけて、以後昨年7月までの6回のチューリップコンサートに元気な姿を見せていた。
97年当時はステージにも高いイスを持ち込んで座って演奏することもあり、使用ギターも軽いE.ギターを使用していた。2回(00年)、3回(02年)とチューリップコンサートを重ねるごとに愛用の赤い重いギブソンES335(1966年モデル)のE.ギターを使用して2時間30分近いチューリップコンサートを立ったままでギター演奏する姿からは、かっての大病を感じさせない元気な姿が拝見できた。
自宅のあるインド北部での生活は知られていないが、一度だけ安部さんの口から自宅で野菜を栽培していてそれが日本のものと違って葉がバリバリと強く硬い歯ごたえのあるものだと言っている。
12年から昨年7月まで続いた6回目のチューリップコンサートでは、安部さんが半年はギターにさわっていない男と財津さんが紹介しており、悠々自適のインド生活の様子が目に見えるようだった。
一途で真摯な人柄は、若いころにはチューリップでも一番の人気、親しみを持って迎えられており、映像で拝見した安部さんの楽屋ドアには手書きで「小心者につき、コンサート前の来訪はひかえさせてください」(趣旨)の張り紙にセンシティブ(sensitive)な飾らない人柄の安部さんがよく見えるものだった。
チューリップ音楽、財津音楽にひとりこだわりほとんど目立った独自の音楽活動は行わずに、晩年は自宅生活をインドに移して独自の人生観、人生哲学で生きた安部俊幸さんは、またギター演奏においても独自の音楽観を持っていた。
外国の著名ミュージシャンから譲り受けたといわれるギブソンES335を終身愛用して、音感は安部さん独特の感性を持っていた。ギターを弾けば「それ」とわかる音色でテンポでリズムで響きがあった。
きれいな音にこだわるのではなく、少々ざらついたようなハイブリッド(hybrid)な音色が特徴で(ギターの弦も新品は跳ねすぎて好まず、少々サビたものがいいと言っていた)、情感、情緒にあふれたスケールの大きい濃密なギター演奏が印象的だ。
「青春の影」、「シューティング・スター」での間奏に代表されてよく表現されている。
今年7月6日の渋谷公会堂での財津さんと姫野さんコラボの「チューリップの夢を歌う」コンサートを聞き終えるかのように7月7日に天の川に第2の旅立ちをして、もはや手の届かないところに行った。
チューリップのオリジナルメンバーによるコンサートが不可能になって最も残念なのは安部俊幸さん本人だ。
ひとりチューリップに生きて、生きてひとりチューリップから天の川に旅立ちをした安部俊幸さんの一途な生き方もまたすばらしい人生であったと思う。
晩年の自宅をインドに移しての生涯もチューリップ人生、音楽を外から異次元から見つめる人生ではなかったのかと思わせる。
そういう意味では第1回目の異次元インド旅立ちが覚悟の人生でもあったのではないのか。見事な人生観であり、また人生である。
直接話をする機会はなかったが、昨年のチューリップコンサートでちょうど安部さんの目の前の席でギター演奏を見たのが最後となった。少々の因縁を感じている。
見事な人生観、人生であった(excellent human life)。これからは1年に一度は会いたいものである。
インドで大きな事故、災害が発生するたびに安部さんの安否が気にもなっていた。ここ2~3日前にもインド北部を襲う大洪水が発生して被害者も多数出ているニュースもあって、安部さんの自宅のある地域でもあり気にかけていた。
インド北部に自宅を移したときは、安部さんも随分と遠くに旅立ちをしてこれからは音信を聞くこともままならないと感じていた。
一昨日のニュースで安部俊幸さんが7月7日(現地時間なのか日本時間なのか不明)にその自宅のあるインド北部から天の川に第2の旅立ちをしていた(he goes on a journey to ama-no-gawa)ことが報じられた。
チューリップの中でも財津さんは別格としてメンバーの中でもっともチューリップ音楽、財津音楽に格別の想いを持ってほとんど独自の音楽活動をやってこなかった安部さんだ。
97年から再開したほぼオリジナルメンバーでのチューリップコンサートにもインドからかけつけて、以後昨年7月までの6回のチューリップコンサートに元気な姿を見せていた。
97年当時はステージにも高いイスを持ち込んで座って演奏することもあり、使用ギターも軽いE.ギターを使用していた。2回(00年)、3回(02年)とチューリップコンサートを重ねるごとに愛用の赤い重いギブソンES335(1966年モデル)のE.ギターを使用して2時間30分近いチューリップコンサートを立ったままでギター演奏する姿からは、かっての大病を感じさせない元気な姿が拝見できた。
自宅のあるインド北部での生活は知られていないが、一度だけ安部さんの口から自宅で野菜を栽培していてそれが日本のものと違って葉がバリバリと強く硬い歯ごたえのあるものだと言っている。
12年から昨年7月まで続いた6回目のチューリップコンサートでは、安部さんが半年はギターにさわっていない男と財津さんが紹介しており、悠々自適のインド生活の様子が目に見えるようだった。
一途で真摯な人柄は、若いころにはチューリップでも一番の人気、親しみを持って迎えられており、映像で拝見した安部さんの楽屋ドアには手書きで「小心者につき、コンサート前の来訪はひかえさせてください」(趣旨)の張り紙にセンシティブ(sensitive)な飾らない人柄の安部さんがよく見えるものだった。
チューリップ音楽、財津音楽にひとりこだわりほとんど目立った独自の音楽活動は行わずに、晩年は自宅生活をインドに移して独自の人生観、人生哲学で生きた安部俊幸さんは、またギター演奏においても独自の音楽観を持っていた。
外国の著名ミュージシャンから譲り受けたといわれるギブソンES335を終身愛用して、音感は安部さん独特の感性を持っていた。ギターを弾けば「それ」とわかる音色でテンポでリズムで響きがあった。
きれいな音にこだわるのではなく、少々ざらついたようなハイブリッド(hybrid)な音色が特徴で(ギターの弦も新品は跳ねすぎて好まず、少々サビたものがいいと言っていた)、情感、情緒にあふれたスケールの大きい濃密なギター演奏が印象的だ。
「青春の影」、「シューティング・スター」での間奏に代表されてよく表現されている。
今年7月6日の渋谷公会堂での財津さんと姫野さんコラボの「チューリップの夢を歌う」コンサートを聞き終えるかのように7月7日に天の川に第2の旅立ちをして、もはや手の届かないところに行った。
チューリップのオリジナルメンバーによるコンサートが不可能になって最も残念なのは安部俊幸さん本人だ。
ひとりチューリップに生きて、生きてひとりチューリップから天の川に旅立ちをした安部俊幸さんの一途な生き方もまたすばらしい人生であったと思う。
晩年の自宅をインドに移しての生涯もチューリップ人生、音楽を外から異次元から見つめる人生ではなかったのかと思わせる。
そういう意味では第1回目の異次元インド旅立ちが覚悟の人生でもあったのではないのか。見事な人生観であり、また人生である。
直接話をする機会はなかったが、昨年のチューリップコンサートでちょうど安部さんの目の前の席でギター演奏を見たのが最後となった。少々の因縁を感じている。
見事な人生観、人生であった(excellent human life)。これからは1年に一度は会いたいものである。