(1)何しろ「力」のあるもの(国)が核兵器を大量に寡占しておいて、後発組には一切持たせない条約を結んでまるで世界平和に貢献しているような顔をしていることが正義だと思わせる、自らの思想、宗教、主義にそぐわないものは敵として戦争で誤ってその国の市民、子どもまで殺害しても何ら法的に責任をとらされることなく、敵対勢力を一掃でもすれば勝利者として紛争地域安定、平定に貢献したと歓迎される「力」のパラダイム(paradaigm)が国際規律の規準となっている時代だ。
だから北朝鮮前第一総書記が自国の犯罪と認めた日本人拉致(abduction)事件被害者の帰国問題が、北朝鮮側のすでに解決済みから昨年一転再調査、報告を約束するまでになって1年以上が経過しても一向にその気配さえみせない展開だ。
(2)同再調査、報告には時間が必要だとして、日本の一刻も早く帰国を願う事情を見透かすような制裁解除、経済支援再開の「切り札」のように時間延ばしに使われて、北朝鮮側からは音沙汰もない。
日本政府の交渉頼みの被害者家族会ははやる気持を抑えて隠忍自重して政府の一向に進展を見せない交渉、対応にも一定の理解を示していたが、最近では被害者家族会も高年令を数えていつまでも待てない事情から再調査、報告などではなくて、いついつまでに拉致被害者全員を帰すというようにあらゆる手段、制裁をもって望むよう政府に要請した。当然のことだ。
(3)当時の北朝鮮独裁指導者が自らの国の犯罪だと認めた事件でありながら、日本との交渉では加害者意識もなく日本に責任転嫁するような対応は、冒頭の「力」のパラダイムが正義かのような国際政治、社会の錯誤の規律、規準がまかり通っているからだ。
一国の指導者が自ら認めた国家的犯罪を国際社会が自らの後ろめたさもあってか、打つ手がないなどとは何という不幸な社会なのだろうか。
(4)岩手県の中学2年生が「いじめ(tease)」を訴える文書、自殺をほのめかす文書を担任教師と交わしながら、学校側は打つ手もなく放置して中学2年生が自殺したとみられる事件は、学校での「いじめ」が社会問題となって対策が論じられるなかで、結果として有効に対策が機能していない重大問題をまたまた社会に問うことになった。
岩手県の中学2年生の場合は、当該生徒からの「SOS」が担任教師にたびたび発信されながら、担任、学校、家庭、地域で問題を「共有」できずにそれぞれに責任転嫁しての悲劇の結果を招いた。
(5)もういいかげんに「いじめ」悲劇などなくせないのか。正義のパラダイムの規準が弱者へではなく、「力」のあるものに偏っている証しだ。
北朝鮮「拉致被害」問題と「いじめ」問題はよく似ている(resemble)。実体が明らかでありながら、「力」のパラダイムが正義であるかのような錯誤規律、規準のなかで問題解決は先送りされている。
(6)もういいかげんに悲劇、問題はなくしてほしいのが善良な管理者としての国民の思いだ。
拉致担当相は被害者家族会から要請を受けるごとに、全員帰国に向けて全力で取り組む、それが唯一の解決とくり返すだけで、月日が無常に過ぎるばかりだ。
だから北朝鮮前第一総書記が自国の犯罪と認めた日本人拉致(abduction)事件被害者の帰国問題が、北朝鮮側のすでに解決済みから昨年一転再調査、報告を約束するまでになって1年以上が経過しても一向にその気配さえみせない展開だ。
(2)同再調査、報告には時間が必要だとして、日本の一刻も早く帰国を願う事情を見透かすような制裁解除、経済支援再開の「切り札」のように時間延ばしに使われて、北朝鮮側からは音沙汰もない。
日本政府の交渉頼みの被害者家族会ははやる気持を抑えて隠忍自重して政府の一向に進展を見せない交渉、対応にも一定の理解を示していたが、最近では被害者家族会も高年令を数えていつまでも待てない事情から再調査、報告などではなくて、いついつまでに拉致被害者全員を帰すというようにあらゆる手段、制裁をもって望むよう政府に要請した。当然のことだ。
(3)当時の北朝鮮独裁指導者が自らの国の犯罪だと認めた事件でありながら、日本との交渉では加害者意識もなく日本に責任転嫁するような対応は、冒頭の「力」のパラダイムが正義かのような国際政治、社会の錯誤の規律、規準がまかり通っているからだ。
一国の指導者が自ら認めた国家的犯罪を国際社会が自らの後ろめたさもあってか、打つ手がないなどとは何という不幸な社会なのだろうか。
(4)岩手県の中学2年生が「いじめ(tease)」を訴える文書、自殺をほのめかす文書を担任教師と交わしながら、学校側は打つ手もなく放置して中学2年生が自殺したとみられる事件は、学校での「いじめ」が社会問題となって対策が論じられるなかで、結果として有効に対策が機能していない重大問題をまたまた社会に問うことになった。
岩手県の中学2年生の場合は、当該生徒からの「SOS」が担任教師にたびたび発信されながら、担任、学校、家庭、地域で問題を「共有」できずにそれぞれに責任転嫁しての悲劇の結果を招いた。
(5)もういいかげんに「いじめ」悲劇などなくせないのか。正義のパラダイムの規準が弱者へではなく、「力」のあるものに偏っている証しだ。
北朝鮮「拉致被害」問題と「いじめ」問題はよく似ている(resemble)。実体が明らかでありながら、「力」のパラダイムが正義であるかのような錯誤規律、規準のなかで問題解決は先送りされている。
(6)もういいかげんに悲劇、問題はなくしてほしいのが善良な管理者としての国民の思いだ。
拉致担当相は被害者家族会から要請を受けるごとに、全員帰国に向けて全力で取り組む、それが唯一の解決とくり返すだけで、月日が無常に過ぎるばかりだ。